うなぎ坂の上の雲 | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

伊勢堂山中腹の亀松亭から、国宝・大崎八幡神社
裏参道入口までは徒歩15分。そこから弘法山・
国見東山方向に続く細道がある。細道を行くと間も
なく、広瀬川に流れ落ちる小石沢の急流に出くわす。
滝のような水音に、深山の風情を感じる。

江戸・寛文年間の古地図には、ここに広さ10haの八幡池
があり、景勝地になっていた。おそらくは八幡神社参詣の後、
この池のほとりで桜や紅葉を愛でながら、弁当を広げ、酒を
酌み交わしたのだろう。明治25年頃に埋め立てられて水田
となり、現在は仙台市水道局荒巻配水所公園や住宅地になって
いる。

この配水所脇に「うなぎ坂」という急坂がある。伊達政宗の
仙台藩開府当時は、仙台城石垣の石を国見大石原から切り出し、
うなぎ坂をゴロゴロ転がしながら運んだのだろう。細くて蛇行
している坂道なので、うなぎ坂とは、言いえて妙である。
作並街道(国道48号線)の登り口から、マウンテンバイクで
最も軽いギアにして登っても、すぐに息切れしてリタイアする
だろう。

このうなぎ坂を登りきった辺りに「南山閣」という文学史蹟
がある。私有地であるためか、それを示す看板や標識などは
一切無い。建物も残っていない。雑木林と人家が残るのみで
ある。そもそも南山閣とは、仙台藩士・石田典謁が眺望絶佳
なこの地に、父の為に別荘(隠居所)を建てた事に始まる。
明治期に石田氏が帰農した後、映画俳優・上山草人の父・
上山静山の所有となった。静山は仙台医専教授で漢詩をよくし、
土井晩翠らと親交があった。

ここに与謝野鉄幹らと短歌運動の「浅香社」を起こした、
気仙沼藩主・鮎貝家の鮎貝槐園や、その兄・落合直文が出入り
するようになる。南山閣は一種の文学サロンの様相を呈して
いったわけだ。正岡子規も短歌運動を通じて、鮎貝と交友
があった。子規が南山閣を訪れたのは、1893(明治26)
年7月の事。松島の風、象潟の雨に心ひかれ・・・と、西行
芭蕉の足跡を辿る奥州旅行の途上に立ち寄ったわけだ。
子規27歳。肺を患っていたとはいえ、俳句革新の志を胸に
して、目を爛々と輝かせ、覇気に溢れた旅行だったであろう。
仙台駅から青葉通りを大橋まで進み、仙台城脇を抜けて広瀬川
土手を闊歩し、青息吐息になりながらうなぎ坂を下駄で登った
のだろう。100年前の話だ。

本日、司馬遼太郎原作「坂の上の雲」放送開始。うなぎ坂の
如き艱難辛苦だった子規の人生。坂の上の南山閣から見た
空と雲と森の色は、100年後の今も、変わっていないの
だろうか・・・

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