ほととぎす | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

司馬遼太郎の「坂の上の雲」の中で、何が辛いと言って
正岡子規の晩年ほど読んでいて痛々しいものはない。
子規は21歳の時の鎌倉旅行で初喀血する。肺結核は
当時不治の病であり、自らの病に愕然としただろう。
すぐに死ぬ事はないにせよ、長生きは望めないと覚悟
せざるをえなかっただろう。子規とはホトトギスの異称
であり、血を吐きながら歌うとされたホトトギスに、
自らを喩えた名前だ。

うなぎ坂で子規を思う。彼は病さえなければ、好奇心の
赴くまま、地の果てまで出かけて行くような性格だったの
だろう。だが東北旅行翌年の1895(明治28)年、日清
戦争従軍記者として清国に渡った帰路大喀血し、腰痛で
歩行困難になる。それでも人力車で外出する事があった。

脊椎カリエス。結核菌が脊椎の骨組織を侵食して壊死
させ、神経が圧迫されて座るのはおろか、寝返りさえ
困難になり、激痛に苛まれる病だ。子規に対してこの
脊椎カリエス禅師は「まあ座れ」と言った。むろん座る
どころか、寝たきりで動けない。最初は絶望しただろう。
だが現在の病と、台東区根岸の六畳の居場所から動けぬ
自分という現実を受け入れない限り、絶望と苦痛しか
ない。禅師の修行は苛酷にして苛烈だった。

脊椎カリエス禅師曰く「人間は常にここではないどこか
の場所を求め、自分ではない誰かになろうとして、あるが
ままのものを拒絶する。常にないものを切望してやまない。
これが人間という名の病だ。拒絶するものはすべて地獄を
つくり出す。欲望は、マインドは「何かになること」。
魂は「在るもの」だ。薔薇は蓮になろうとはしない。自分
の中心に収まっている。穏やかにゆったりと静まり返って
いる。

ある時子規は、無条件にあるがままの自分と現在現地を
受け入れた。すると子規庵の小さな庭が、大宇宙に匹敵する
空間に変じた。

○よく見れば なずな花咲く 垣根かな(芭蕉)


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