筑波の道 | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

*四代目柳亭痴楽のつづり方教室~恋の山手線
 
上野を後に池袋、走る電車は内回り、私は近頃外回り、
彼女は奇麗なうぐいす芸者(鶯谷)、にっぽり(日暮里)
笑ったあのえくぼ、田畑(田端)を売っても命懸け
思うはあの娘(コ)の事ばかり。我が胸の内、こまごめ
(駒込)と、愛のすがも(巣鴨)へ伝えたい。
おおつか(大塚)なビックリ、度胸を定め、彼女に会いに
行けぶくろ(池袋)、行けば男がめじろ(目白)押し
そんな女は駄目だよと、たかたの婆(高田馬場)や
新大久保のおじさん達の意見でも、しんじゅく(新宿)
聞いてはいられません。夜よぎ(代々木)なったら家を出て
腹じゅく(原宿)減ったと、渋や(渋谷)顔
彼女に会えればエビス(恵比寿)顔。
親父が生きてて目黒い内(目黒)は私もいくらか豪胆だ
(五反田)、おお先(大崎)真っ暗恋の鳥。
彼女に贈るプレゼント、どんなしながわ(品川)良いの
やら、魂ちぃも(田町)宙に踊るよな、色よい返事を
はま待つちょう(浜松町)、そんな事ばかりが心ばし
(新橋)で、誰に悩みを言うらくちょう(有楽町)、
思った私が素っ頓狂(東京)。何だかんだ(神田)の
行き違い、彼女はとうに飽きはばら(秋葉原)、
ホントにおかち(御徒町)な事ばかり。
やまて(山手線)は消えゆく恋でした。

○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。

これは痴楽師匠一人が、山手線の駅名を織り込んだ
ものだが、連歌だと連衆10人前後が五七五七七で
詠む事になる。お題は「国の名・人名・鳥名魚名・経文」
などさまざまで、たけやぶやけた・・などの回文にする
などといった、高度な言葉遊びもあったという。また
「いろは文字鎖」という、いわゆる尻取りも含まれる。
和歌が何やら高尚な趣があるのに対して、連歌には
地下=洒落や地口(要するにオヤジギャグ)を織り込む
通俗性があった。おそらくは後世の「狂歌・川柳・都々逸」
などに通じている。

「面白ければいいじゃん」と連歌にのめり込んだのが
27歳で関白左大臣に就任した二条良基。時は足利尊氏
晩年の頃。室町幕府の実力者にしてバサラ大名の佐々木
道誉を動かして、「菟玖波(つくば)集」と題する連歌選集
を勅撰にする綸旨を取り付けた。ゆえに和歌を敷島の道
と言うのに対して、連歌は「筑波の道」という。

関白様主宰の連歌の会・・・となれば、出席者は和歌を
好む貴族よりは、幕府の実力者が主となる。名手には
関東管領・斯波義重や佐々木道誉の子・高秀、山名宗全
大内義弘などの名がある。さらに彼らが、武家の社交の
場として連歌を用いた為、中堅若手の幕臣に連歌が浸透
していったというわけだ。

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