梵燈 | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

二条良基に連歌を学んだ者の中に、足利義満に仕えた朝山
小次郎師綱(もろつな)という幕臣がいた。出雲国安田庄
朝山郷が本貫の地だった。だが師綱42歳の1391(明徳
2)年に山名氏清・満幸の反乱が起き、幕府は山名一族の
山陰8カ国の所領を没収した。世に言う「明徳の乱」である。
大型倒産で失職した師綱は、これを機に出家して「梵燈」
と号した。

梵燈は「あとはただ足にまかせ、心の行くに随いて浮雲流水
を観じてさまよい歩く」と、全国行脚の旅に出た。道々
連歌師として稼ぎつつ、主として鎌倉から関東、奥州松島
から出羽・象潟など、歌枕の名所旧跡を訪ねた。西行と芭蕉
の間に梵燈がいた。

梵燈が京に舞い戻ったのは、1408(応永15)年60歳
の事。都には金閣寺が建ち、能の大成者・世阿弥や、トンチ
小坊主の一休さんと、相棒・新右衛門さんのモデルになった
幕臣・蜷川新右衛門親当(ちかまさ)などがいた。彼は実際に
一休と師弟関係にあり、連歌の名手でもあった。

梵燈は連歌の師として85歳までの晩年を生きる。作風は
深みのある「幽玄」の境地であり、心の艶を重視した。
梵燈の門から心敬や宗砌(そうぜい)が出て作風も受け継がれた。
宗砌は高山民部少輔時重と言い、北野の連歌会所奉行職を
7年間務め、連歌会を指導した人物である。宗祇も宗砌から
指導された一人だ。

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