歴風呂 -3ページ目

歴風呂

歴風呂。

それは、歴史を生きた人々と、

語り合い、汗を流し合い、ときには議論を戦わせる、

アツき裸のお付き合い。

さあ、あなたも、ともに!!

第三十七回『家康への挑戦状』。

会津の道路整備に精を出す兼続ら。
ときにすでに1600年を数えました。

謙信公の三十三回忌が行われたことで、久しぶりに仙桃院に会う二人は、
越後に新しく入った堀秀治によって、言われなき疑いをかけられます。
そして、家康より書状が彼らのもとに。
内容は、上洛し申し開きをせよ、というもの。
家内では、家康のやりかたに憤るものの、強気に出る者はおらず。

そのころ、景勝は亡き謙信公の言葉を思い出し、
われらに正義はある、とはっきり口にします。
そして、歴史に残るあの「挑戦状」がかかれます。
家康がぐうの音も出せぬほどの、あれです。

「直江状」

会津に対する疑いはムリもなきことであるが、
景勝は上洛できません。
それは、会津に国替えになったばかりで、たびたび上洛するひまはない。
さらに、
告げ口したやつの言い分を確かめもせず、疑うなど、
本当に公平だと言われている家康殿のすることでしょうか。
・・・・・・・
景勝に謀反の心があるのか、
家康殿に裏表があるのか。
うそつき者のことをお調べにならないなら、
いつでも受けて立ちましょう!

かなり意訳しましたが、
だいたいこんな内容でした。

これを、日本中の名のある武将が読んでいたとすれば、
かなり痛快です。
このころ、ここまで家康をコケに出来る人物はほかにいませんものね。

家康は当然、激怒。
そして、ついに諸将を集め、上杉を討伐する軍を編成します。
世に言う「会津出兵(討伐)」です。

そのころ、会津では、
大軍に攻められるとわかっていても、
いわゆる「上杉軍法」によって、大軍をぶっつぶす作戦を立て、
迎え撃つ気満々。

革籠原に陣を敷き、
「正義の砦」
とします。

自軍にこそ、義ありという思いが伝わってきますね。

一方、石田三成の下に、あの盟友が呼ばれます。
大谷吉継です。
らいを患いながら、その智将ぶりは天下に轟いていました。
古くの友人である二人は、固い友情によって手を取り合うのでした。

七月。
ついに石田三成が、多くの将を抱えて、十万の軍をもって挙兵します。
一方上杉は、
北の伊達によって白石城を落とされ、緊張が高まりますが、
石田軍の挙兵が勇気付けられるのでした。

そのころ、家康のもとでは。
十万の軍をもって挙兵した石田軍に、少々焦り気味。
そこへ、逆賊になってしまった?家康軍に参加したことに憤る福島正則は、
家康の下にねじこんできます。
しかし、口のうまい家康により、
秀頼君が人質になっているといわれ、心を動かされてしまいます。
形としては、明らかに主君である秀頼に向けて弓引く逆賊行為なのに…。
さすが「たぬき」家康です。

ここで余談ですが、
家康のバックにかかっていた掛け軸が気になります。
「八万大菩薩」

さて、家康は、石田軍に向かい、
ついに上杉討伐をいったんやめ、西へ引き返します。
後ろを見せた家康を、追うべきという意見が出ますが、
景勝は、「やり方がフェアでない」ということで断固拒絶。
兼続が弟・大国実頼は、それを振り切って軍を動かそうとします。
そして珍しいことに、兼続も同様の意見を述べ、景勝にはむかいます。
あまり見られない光景ですね。

さらに、景勝はこんなことを言います。
「ならぬものはならぬ。
 上杉の義にかなわぬものは。
 それでもいくなら、わしを斬ってからにせい!」
一触即発。
兼続は、刀に手をかけ…。
しかし、もちろん景勝を手にかけたりはしません。
そこへ、最上勢の侵攻が伝えられ、兼続はそちらに向かいます。
本当に、納得できない気持ちでいっぱいだったでしょう。
しかし、主君あっての武士。
逆らうことなどできません。
歯噛みしながらも、兼続は、今日の一言をいいます。

われらは義を守ります。
 われらを守りたまえ。
 そして、石田治部輔に武運があるように!


ついに、ついに、
関ヶ原の戦いに向かう日本の行方は、いったいどうなってしまうのでしょうか。
わかっていてもドキドキしてしまいますね。

さて、次回『ふたつの関が原』。
関ヶ原の合戦に臨む武将たち。
さまざまな思惑が渦巻く中、いったいどうなる!?
次回もお楽しみに。
第三十四回『さらば、越後』。

前回倒れた太閤・秀吉。
兼続のもとへ、三成から使者がやってきます。
目隠しまでして場所を明かさぬのは、ただならぬ気配。
秀吉の様子はずいぶんとやつれたようですが、
その口から発せられたのは、兼続のみならず上杉、越後を巻き込んだ内容でした。

「国替え」

ふつうは主君に逆らうなど、芳しくない行動をとったときくらいにしか
命じられることのないこと。
それが、なぜ上杉に??

理由は「徳川のおさえのため」。
場所は、会津(現・福島県)。
雪深い越後では、すぐに動けないからというのです。

返事が出来ぬまま、もどる兼続。
景勝は、越後を捨てられないといいますが、兼続は、
「謙信公の志を継ぎ、さらなる高みを目指すべき」と主張。
それに対し、
「そなたは、越後より日本国をとるというのか?」
そして、兼続は、
「それこそが上杉の「義」」。
こうして二人の腹はきまりました。

そして、城中に達しを行ったのは、家老・兼続でした。

やはり家中からは非難ごうごう。
しかし、120万石の大大名になるとか、上杉は栄えるとか、
なんとか皆を説得のかかる兼続、惣右衛門でした。
やな立場ですね。

そのころ、泉沢久秀が病で臥せっていると聞き、たずねる兼続。
仮病で寝込んだ久秀は、どうしても行きたくないと強情をはっている。
そんな彼に、あるとんでもない提案をするのです。

ここに残り、百姓か僧侶になって守ってほしい。

さらに、仙桃院も越後に残り、謙信公の遺骸を守るという。

運命が分かれ始めるのでした。
お船も京より竹松を連れてもどるのでしたが、やはり越後に残りたい模様。
涙を見せるものの、気丈に振舞う彼女に、
兼続は…。
そして京に戻っていったのでした。

ついに、景勝に上意があり、120万石の大大名に。
佐渡や会津、米沢など、多くの領土を得た上、兼続には米沢30万石を与えるというのです。
一方、残った越後には堀秀治が入ることになります。

さて、一方会津。
若松城に向かった兼続は、三成に会います。

三成は核心をつくような質問をします。
米沢を断ったのはなぜかと。
兼続らしい返答は「家中の者のことを考えたら、できるはずはない」。
彼らしい、人を思う心でした。

そういえば、久秀はどうなったかというと、
長男を連れて会津へ行くことを決断したのです。
その代わり、次男、三男を残し、百姓にさせることにしたのですね。
つらい心情を隠しつつ、
上杉のために決断した彼もまた、上杉の名臣だったのです。

千利休の娘・お涼も、兼続のもとを去ることに。
多くの人物の運命が、分かれ始めるときというのがあるのです。
そして次の段階へいくのです。
ここでどのような決断ができるか。
物語の登場人物とはいえ、それこそが生きる手本になる気がします。

そして、兼続こそ、今回もっとも心を痛めた人物にちがいありません。
越後の雪を見ながら、つぶやいた言葉が今日の一言。
わしのしてきたことは、いったいなんだったのだろう?
すべてがむなしく思え、涙を流すのです。
越後の地を守り、民を守り、そうしていくことこそが謙信公の恩に報いることだと
信じて歩んできた兼続。
やるせない思いが残ります。

そしてついに、国替えのときが。
仙桃院とはここで別れねばなりません。
みな、沈痛な面持ちでその場に臨む景勝・兼続の二人でしたが、
仙桃院に励まされてしまいます。

越後を出る前に、思い出の地に足を運ぶ二人。
思えば、雲洞庵での修行時代より、二人はずっと支えあってきました。
あのころの二人はもどってはこないけれど、
ここですごした時間は消えたりしない。
そして、越後を思い走り続けた日々もまたしかり。
美しい自然を前に、そんなことを思ったのかもしれません…。

町人さえもつれて、大名行列をつくって新天地・会津へ向かう一行。
振り返ると、そこには景勝が母・仙桃院の姿が。
二人にとり、それは越後の地そのものであったかもしれません。
ふるさとを捨て、新天地に向かう二人の姿は、
まさに後ろ髪惹かれるものであったでしょうが、その顔にはもう未練はありません。
そう、「さらば、越後」!

次回『家康の陰謀』。
いよいよ家康のどす黒い野望が牙をむきます。
秀吉の命が尽きかけているいま、家康こそ次の天下人とみなす者は多かったことでしょう。
さて、上杉はどのようにこの状況を乗り越えるのでしょうか?
家康につくか、あるいは秀吉の側を守るのか。
来週も必見です。

第三十回『女たちの上洛』。


秀吉の天下統一により、
各国の大名たちは京に家族をおくように命じられます。
ま、体のいい「人質」ですね。
しかし、景勝の妻・菊姫は、これを断固として拒否します。
困る景勝、兼続。


しかたなく京に行く二人でしたが、
京で政務を執る兼続の弟・大国実頼は、
他の大名の妻が北政所(ねね)や淀(茶々)の機嫌をとるため
日参していることを告げ、
遅れをとらないよう進言します。


一方国許では、病にふせっているふりをした菊は、
身重のお船の必死の説得にも耳を貸そうとしません。
そんななか、お船が産気づき、おおわらわ。
菊はそれに立会い、心を洗われるような気持ちになるのでした。
生涯母になることができなかった菊姫ですが、
景勝同様、親になることを望んでいたはずです。
なんだか哀れにもみえます。


そんななか、利休が蟄居(ちっきょ)させられたことを聞き、
訪ねる二人。
お涼もいうのですが、
私たちに非は無いのだから、絶対に頭を下げたりしない。
このころ、秀吉の行動をいさめる人物は
利休くらいになっていました。
そんな彼をうとましく思った秀吉は、
ついに切腹を命じます。
←表向きは、寺の門の上に利休の像を勝手に作ったことに
 秀吉が腹を立てた、ことになっています


利休という人物は、誰よりも誇りを愛し、
損とわかっていても信念を曲げることのない気高い人物。
町人の身分でありながら、侍のような心をもった人でした。


ところで、このような事態を作ったのは石田三成。
秀吉の天下のためなら、憎まれることもいとわない。
非情という言葉がこれほど似合う者もおらぬくらい、
この男の想いは「天下を守る」ことに向かっていたのです。
兼続は、あまりに人情の無いふるまいをいさめて言います。

今日の一言ですね。

この世は人で成り立っておるのだ。
 人には情がある。
 それがわからぬなら、人はついてこぬ!」

三成はこれには応えません。


さて、春日山にて。
どうしても上洛しようとしない菊に、景勝は強権を発動します。
これにとうとうプッツンする菊。
部屋に戻るなり、小刀で命を絶とうとします。
必死でとめるお船。
子ができないことがものすごく心を苦しめていて、
景勝がいつか側室をもったとき、
自分の居場所がなくなるのでは??と、
不安でたまらなかったのです。
しかし、これを景勝に言うことはできません。
みかねたお船、ついにあの言葉を発します。


―私も奥方様ととも上洛いたします―


この言葉によってどれほど菊が救われたか。
そして景勝もその心を理解しなかったことを反省し、
ねぎらいの言葉をかけます。
これもお船の心遣い。


さらにすばらしいのは、これを聞いた兼続です。
乳飲み子までおいて行くというお船の心を誰よりも理解し、
心を春日山に残さなくて済むよう、
子らの面倒をしっかりみることを約束します。
しかも、この展開、
お船はかならず夫がわかってくれると確信までしていた模様。
夫婦の間の絆の深さがよくわかるエピソードですね。
こういう夫婦になりたいものです。


さて次回『愛の花戦』。
上洛を果たした二人の女性。
京ではさらに複雑な動きが。
天下をとった秀吉と、他の大名の水面下の攻防が、
まだまだ続きます。
来週もお楽しみに。