稲村ケ崎駅に戻って、また藤沢行きの江ノ電に乗り2駅ほど進み、腰越駅で降ります。
そばには萬福寺というお寺があり、かつてここで義経が腰越状を書いたと言われています。

腰越は、平家を滅ぼした源義経が鎌倉に凱旋した際、兄頼朝から鎌倉入りを許されず、足止めを受けたところです。
平家を滅ぼした後、義経は後白河法皇から検非違使の位を授けられ、躊躇うことなく受けました。
しかし朝廷から官位を受けるときは、頼朝の許可を得ることになっているのを守らず受けたため、頼朝の怒りを買ったのです。
後白河法皇が義経に官位を贈ったのは、頼朝への対抗馬とする策略がありました。
平家が邪魔になれば木曽義仲と争わせ、義仲が煩わしくなれば頼朝と争わせる、共食いさせるのが法皇の狙いでした。
今度は頼朝を警戒して義経と対立させようとしたわけで、頼朝はそれを見抜いていました。
一方義経は政治に疎く、なぜ頼朝が鎌倉入りを許さないのか困惑していました。
そこで、頼朝に反逆する意思はないことを切々と綴った手紙を書きます。これが腰越状です。
寺内には腰越状を代筆する弁慶とそばで口述する義経の像が建てられています。
朝早く来たため、見学はできませんでしたが、寺内には弁慶が認めた下書きがあるようです。

腰越状を送っても頼朝の怒りは解けず、義経は鎌倉入りを諦めて京都に戻り、後白河法皇から頼朝追討の宣旨を受けます。
しかし思うように兵は集まらず、平泉の藤原秀衡を頼っての逃避行が始まることになります。
ここから勧進帳で有名な安宅の関や平泉の高館(義経最期の場)へとつながります。自分の旅もそこへ続いていくのでしょう。