消費税は支出面ではなく生産面に課税されている

 

 消費税は支出面ではなく生産面に課税されているということは、消費税は消費段階ではなく、生産段階で課税されているということです。生産段階で課税されているということは、正に生産している現場において、生産している企業に対して課税されているということです。

 財務省は、消費税はGDPの三面等価の原理の中で国民の消費に課税し、等しく「支出面」に課税するものだから、付加価値と言う分配面の勘定科目である賃金と利益、および利益から分配される利払いと地代が非課税となると言っています。

 しかし、課税対象商品を取り扱う企業にとって、課税されていないはずの賃金や利払いが多いほど消費税額は多くなるという不思議な現象が存在します。

 このモヤモヤをハッキリさせたいと思います。

 まず、本当に間接税にせざるを得なかったのかということですが、結論を言えば、支出面に直接税として課税することは可能でした。

 支出面に直接税で課税するのですから、販売者側ではなく、消費者が納税者として直接税を税務署に払うことになります。

 その場合、企業であれ、個人であれ、「支出」を申告させて納税させれば良いだけのことです。

 企業の場合は、決算書における「売上=仕入+利払い+賃金+利益」において、財やサービスの購入に関する「仕入」に課税することになります。企業は仕入総額に消費税率をかけたものを、自分で税務署に行って納税すれば良いだけです。

 個人の場合は一々買ったものを記録しませんから、不可能のように思えますが、所得レベルに見合う消費性向を参考にすれば直接税としての課税が可能になります。

 消費税を、直接税の支出税として、企業と個人の「支出」に課税すれば、企業や個人が負担する税額は間接税の消費税額と同じになります。納付先が、商店ではなく課税当局に変わるだけです。

 このように直接税で消費や支出に課税することは可能であり、そのほうが簡単なのに、なぜ、わざわざ間接税とし、商店に預けるような面倒なことやるのかというのがここでの問題です。

 それは、消費税が直接税化された場合、企業の行動はどのようなものになるのかを考えれば判ります。

 本当に「支出面のGDP」に課税するとすれば、企業の付加価値(利払い+賃金+利益)=粗利は課税対象にならず、売上が一定なら、「売上=付加価値(粗利)+仕入費」ですから、出来るだけ、決まった景気動向下では仕入費を少なくし、付加価値を増加させようとするはずです。よって、その企業の労働者の賃金にとっては良い税金になり、その企業の外部の納入業者や下請け企業にとっては悪い税金となります。

 イギリスの経済学者ニコラス・カルドアは、企業や個人の各々が支出を自己申告し、直接税方式で消費税を収める「総合消費税」または「支出税」を提唱していました。しかし、日本では、このような直接税方式の消費税などは、アイデアとしても存在したことはありません。つまり、日本では、誰も「支出面」に課税しようとか、「支出税」を創設しようなどと考えたことはなかったのです。

 事実、日本で、「間接税の消費税」に決定されるまでの過程で検討された税目は、支出税ではなく、生産の現場に課税する売上税、生産税、付加価値税でした。

 戦後、GHQから派遣されたシャウプもまた、支出面のGDP」に課税しようとする動機などはなく、最初から「生産面のGDP」に課税する付加価値税しか提言していません。

 確かに、直接税の支出税にして一年分の税金を徴収すれば、労働者支出にかかる支出税の重税感は酷いものになります。

 実際、消費性向を考えれば、消費性向は低所得者ほど高くなるので、消費に比例してかかる消費税も低所得者ほど所得に対する割合が高くなります。

 しかし、これを間接税だということにすれば、支出の都度少しずつ納税している気分になりますから、低所得者の負担感は薄れるかも知れません。「間接税の消費税」の支持者は、それが間接税にした理由であると言っています。

 ところが、竹下内閣が「間接税の消費税」を導入したときは、間接税化で低所得者の負担感を軽くしてくれたと感謝した者はいませんでした。事実は、「間接税の消費税」を導入したときは、「直接税の消費税」の創設で受けたであろう反発と同等かそれを上回るほどの反発を受け、竹下内閣は、消費税法を成立させた2カ月後に退陣しました。

 つまり、日本の政治家は思慮が浅いので、猪突猛進で、どのように国民が反発しても、そして、どんなにおかしな税金であろうと導入します。

 だから、「直接税の消費税」または「直接税の支出税」などをやらなかったということは、出来なかったのではなく、もとより、やる気がなかったということです。

 すなわち、あくまでも、やりたかったのは「直接税の付加価値税」であり、「直接税の消費税」もしくは「直接税の支出税」が「間接税の消費税」に転換されたのではなく、「直接税の付加価値税」が「間接税の消費税」に転換されたのです。

 つまり、消費税で支出面のGDPに課税したというのは真っ赤なウソであって、最初から「直接税の付加価値税」を課税するつもりだったのであり、その「直接税の付加価値税」が「間接税の消費税」に衣替えされただけなのです。

 「直接税の付加価値税」と「間接税の消費税」では、現実問題として負担するのも納税義務者と言い換えられた企業であるし、その負担税額も全く変わりません。ただ、言い換えられただけです。

 シャウプが付加価値税を提案した時は企業を対象とした「直接税の付加価値税」であり、フランスが最初にシャウプの付加価値税を採用しようとした時も最初は企業を対象とした「直接税の付加価値税」でした。

 現在の日本の消費税も、事実は「直接税の付加価値税」ですから、アメリカの新古典派のエージェントであるシャウプの初志は貫徹されたことになります。

 あくまで、狙いは、「直接税の付加価値税」だったのです。

 なぜなら、そこにこそ、資本家が労働者を搾取する「甘い蜜」が存在するからです。

 だから、アメリカの新古典派の経済学者のシャウプとしては、フランスの企業の輸出戻し税などの事情については特に関心があるわけはなく、事実上において、直接税の付加価値税を導入させたかっただけです。

 そのことに対して、フランスが、どうしても、「直接税の付加価値税」を「間接税の消費税」に言い換えたかった理由は、フランスがシャウプの直接税的提言を、ごまかして間接税化した理由しかありません。

 すなわち、GATT(関税および貿易に関する一般協定)において貿易企業への補助金が禁止されているために、「輸出戻し金制度」によってそれを掻いくぐり、貿易企業へ補助金を出したかったからと言う理由しかありません。

 しかし、「間接税の消費税」にすることでもう一つ悪いことが起こりました。それは、付加価値税の課税によって明確になるはずだった、付加価値税は労働者の賃金から削り取られるものだという認識が隠されてしまったことです。

 事実、消費税の議論をするときは、消費者にとって、消費税分の負担が増えたことで消費が圧迫されるという側面ばかりが指摘され、企業経営者が企業内で消費税を調達するときは、労働者の賃金から削り取るのだということに、労働者自身が気付いていません。

 低所得者から、インフレ回避のためにすぎない税金を、生活を困窮させてまで、血眼になって取る必要があるとは思われません。

 しかし、シャウプは低所得者から税金を取ることを提案し、自民党は日本の資本家の強力な後押しを得て、事実上の「直接税の付加価値税」日本の企業に送り込んだのです。

 低所得者に対して重い税金をかけようとすると、通常は、国民から批判を浴びることになります。

 時の政府といえども、露骨に低所得者の賃金への課税を増やすと、国民の支持を失い、政権の座から転落しかねません。

 そこで、シャウプは、狡猾にも、「生産面」つまり企業の生産する付加価値に課税することにすれば、株主としての利益を守りたい企業経営者は、必ず、労働者の賃金を削り取り、消費税の支払いに回すはずだから、そのことによって、事実上、労働者の賃金に課税することが出来ると考えたのです。

 付加価値税(消費税)は、政府は手を汚さずに、企業経営者に賃金から刈り取らせようとするものですから、狡猾で卑しい税金というしかありません。

 シャウプは新古典派経済学の中心的な人物であり、20世紀後半から全世界で始まる近代税制の破壊には、全てこの男が関与しています。

 

 

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