②税金はインフレ防止のためにだけ存在する

 

 これまで述べて来たことは、税収に関係なく、通貨発行権によって、いくらでも政府支出を拡大することが可能であるということです。

 そして、通貨発行のやり過ぎによってインフレが起ころうとも、政府支出は国民の生産物の分配の手段にすぎず、結果として起こるインフレもまた国民の生産物の分配の一つにすぎず、簡単に対応出来るものなので、あわててインフレを潰す必要はないということです。また、インフレ経済成長への道標でもあります。

 消費力が不足している低所得層や貧困層に所得再分配し、インフレを起こし、インフレによって、不足している消費財を探り当てることが出来、不足し値上がりしている消費財に産業を再配置することが出来れば、資源の適正配分が国民にとって適切な状態で実現し、すべての国民が希望していた通りの形で経済成長することが出来ます。

 インフレになろうとも、労働運動などを通じて、賃金の上昇が物価の上昇に追いつくならば、労働者が損することはありません。

 むしろ、インフレは国民の平等に一歩近づくための所得再分配の大事な手段であると言うことが出来ます。

 確かに、インフレが始まるときは、当初は、賃金の上昇スピードは物価の上昇スピードに対して遅れますから、労働者の生活もまた当面はインフレで苦しむことになります。

 しかし、インフレが毎年続くようになれば、賃金の上昇は(労働運動などを通じて)毎年のベースアップスムーズになり、ほとんど完全雇用状態が実現し、賃金の上昇スピードは物価の上昇スピードを上回るようになります。そして、労働者もまた好景気を実感出来るようになります。

 一般の国民としては、富裕層から低所得者や貧困層への生産物の所得再分配をやってくれるのなら、手段についてあれこれ注文を出したりしません。

 つまり、たとえ、それが武力行使を伴う強制であろうと、通貨発行という方法であろうと、労働者、低所得者貧困層の利益になるのなら、まったく構いません。

 すなわち、政府は、この世に貨幣と言うものがあろうと無かろうと、貨幣が足りようと足りまいと、いざとなれば武力によってでも所得再分配をすることが出来ます。

 しかし、そのような危険な方法に頼らなくても、現在では、通貨発行権の行使という穏便な手段があります。

 その結果起こるインフレはモノ不足のサインであり、モノの生産が渇望されているということであり、社会がその生産量の増大を渇望しているということです。

 生産量が増大し、GDPが高まれば行政サービスの質も良くなり、行政サービスの量も増えます。

 GDPの大きさが行政サービスや安全保障の質や量を決めますから、GDPを大きくすることは良いことです。

 経済成長させる政策とはインフレを起こす政策であり、インフレを起こす政策は、国民全体の限界消費性向を高めることなので、正に、富裕層から限界消費性向が高い階層の低所得層や貧困層への貨幣の所得再分配を行うことであると、ケインズは言っているのです。

 貨幣による所得再分配とは、正に、生産物の所得再分配です。貨幣の分配によって、生産物が分配されます。

 貨幣の所得再分配を行うことで、生産物が分配されますが、そのとき、国民の旺盛な需要によってインフレとなり、インフレによって生産物の不足が認識され、企業が投資のチャンスを見出し、生産を増加しようとする機運が生まれるのです。

 もし、金融資本などと妥協して、財政均衡に沿うよう合意をし、税収に見合う所得再分配を行うというのであればそのときでも、税収(市場からの貨幣の回収)は、富裕層からの税収(法人税増税または所得税の累進度の強化)でなければなりません。また、同時に、政府支出または給付については、低所得層および貧困層への給付でなければなりません。たとえ、いかなる妥協をしようとも、それだけは妥協してはなりません。

 低所得層および貧困層への減税および給付は、平等の達成という目的のための唯一の手段であり、同時に、経済成長のための唯一の手段でもあります。

 税収が富裕層から行われ、政府支出または減税が低所得層および貧困層に行われるならば、社会全体の限界消費性向が高まるので、それだけでもインフレになります。

 逆に、富裕層にとって自分たちへの課税に対する反発が直接的なものですが、インフレに対しても、インフレで預金や債権額の実質価値が減るので、インフレに誘導される税制にも反対します。

 したがって、税制は低所得者や貧困層が富裕層と対立する最も重要なテーマなのです。

 税制を支配する者が、国をインフレにすることも出来るし、デフレにすることも出来ます。

 インフレを抑制する手段としての税金を、富裕層に負担させるか、低所得層や貧困層に負担させるかが、資本主義的階級間の闘争の中心的な課題なのです。

 貨幣の回収手段は、税金という方法だけでなく、保険料でも、公共料金でも、武力による強奪でも同じことです。

 インフレを抑制するためには、お金を持っている人のところに行って、その人のお金を目の前で燃やしてしまっても同じであるし、銀行預金の残高をある日突然消滅させても同じことです。

 ましてや、国庫に入金する必要はありません。市場の貨幣を減少させれば、税金の役割は終わりです。

 税金によって財市場から貨幣を回収することによって、インフレの心配がなくなるというだけのことなのです。

 税制とは、そのインフレ回避のための負担を誰にさせるかという仕組みのことです。

 税収をもってインフレ回避を行うのだから、ゆえに税収は政府支出の財源であると言うのならば、それは論理として間違っていますもしくは、詭弁です。

 なぜなら、政府支出をするために、インフレになる可能性を軽減する手段は税収だけでなく、金融緊縮政策も存在するからです。

 もし、インフレ回避の手段を財源とするのなら、金融緊縮政策も財源と呼ばなければなりませんが、そんなことを言っている経済学者や政治家はいません。

 すなわち、税収を政府支出の財源と呼んでいる者は、あきらかに、通貨発行権のことを忘れて、紙幣の使いまわしを財源であると誤解して言っているのです

 インフレを防止するための手段としての税金であるからには、世界中に税金のない国があるかというと、そんな国はありません。

 政府支出の資金が有り余っていても税金は存在します。

 税収と政府支出には財源としての関係はないからです。

 税金がないと言われているブルネイでも、医療費、教育費、所得税はありませんが、法人税、関税、自動車税、相続税、印紙税、自動車税があります。カタールは、石油天然ガスのおかげで、医療費、所得税、消費税はありませんが、法人税はあります。モナコは、個人所得税、住民税、不動産取得税、固定資産税はありませんが、相続税、付加価値税、関税があります。

 これらの国では、お金が有り余っていて、ふんだんな資金によって国内生産力を強化することも可能すが、それを行えば国内はインフレになります。そこで、むしろ、輸入し続けることによって、市場の貨幣量を減らし物量を増やしてインフレを抑制しているのです。

 そして、輸入だけではインフレ対策としては足りないため、税金によって市場の貨幣を回収しているのです。

 インフレ対策としてだけ考えれば、税目は何でも良く、好き勝手にどこからでも貨幣を回収すれば良いだけと思われるかも知れませんが、もし、その国が先進国の体裁を気にするならば、富裕層に課税し、低所得者や貧困層には課税せず、むしろ給付することによって、国民の平等を達成するという崇高な目標を掲げなければなりません。

 

 

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