モデル依存によって見逃される現実の金融制度の欠陥

 

 ケインズは、投資の動機を、税制や政府支出に関する制度的枠組みとそれからもたらされる消費者心理を拠り所とする「資本の限界効率」とし、「金利」は「資本の限界効率」から差し引かれるネガティブな要素に過ぎないとしています。

 「資本の限界効率」は、投資の増加を行うときに、「売上」から生産設備の取得費および生産にかかる経費を差し引いた利益に関する、投資家の将来への期待です。

 よって、「資本の限界効率」は、物価や賃金といった経費の変動に左右されます。ところが、ケインズは逆の可能性も考えに入れなければならないと言っています。

 すなわち、物価設備の購入費や賃金の上昇は取得費および生産にかかる経費を増大させるものの、同時に「売上」の増加が期待されるようになり、資本の限界効率(投資家の期待)を高めるかも知れないと言っています。

 そうすると、必ずしも、物価や賃金の上昇は資本の限界効率のマイナス要因とばかりは言えないことになります。

 そこで、物価に対する賃金の上昇が順調に進むような制度的枠組みの設定が必要なのです。

 消費税(付加価値税)で賃金のアップが妨害されたり、賃金の上昇が税制や社会保険料などによって相殺されるようであれば、資本の限界効率は上がりません。

 このように、ケインズ経済学は、物価の上昇、賃金の上昇という経費が回りまわって、売上の上昇となるような複雑な螺旋形の理論で、方程式やモデル化が困難なのです。

 そして、その複雑な螺旋形の方が、経済的運動の真の姿を表わしている場合が多いのです。

 実際、景気が良くなると金利が事業家の収益を追撃するかのように上がって行くのに、それをものともせず、事業家は投資を増大させて来ました。

 すなわち、事業家が儲かるかどうかの予想を立てるのは、複雑な思惑がからんでいて、IS‐LM曲線のように金利に単純化されるものではないということです。

 現在の日本に当てはめると、IS‐LM分析によれば金融緩和をして利子率を下げ、LM曲線を下に移動させると生産が増加しなければならないのに、実際にそうなっていません。

 日本の場合、実際にそうなっていないのは、金融緩和をして利子率を下げても、金融機関に信用創造をさせないような仕組みが作り上げられているからです。

 これは、橋本龍太郎内閣の金融ビックバンから始まり、小泉竹中構造改革で完了した、地価下落による担保力の破壊およびBIS規制および金融検査マニュアルによる担保力を超えた融資の禁止という、間接金融を停止させる体制によるものです。

 そして、間接金融を停止させる体制が完全に機能していることを確認し、安倍政権下の黒田日銀は異次元の金融緩和という猿芝居を演じて見せたのです。

 これは、実際、中小企業に資金を提供するためのものではなく、株価を担保とした金融市場への資金提供にしかなりませんでした。

 また、金融市場への資金提供がそれでも足りなくなると、日銀は、大企業株の買い入れという世界の金融機関では禁止されている方法で株価を支えました。自民党政府の大企業支援政策はもはや狂気といえる程です。

 また、日本の経済学者の誰もそのことを指摘しないのも狂気の域に達しています。

 今の日本は、財政政策や金融政策で国民の心理的要因が改善されるとか、されないとかの水準にありません。

 日本の場合は、中小企業が税制や金融制度などの体制として身動き取れないようになっているので、もはや、通常の財政政策や金融政策で国民の心理は微動だにしないのです。

 日本においては、税制、社会保障制度などの低所得者や貧困層に対する所得再分配の制度が世界水準で見ても極めて悪質なものになっているために、たとえ政府が財政政策や金融政策で表面を取り繕おうとも、経済の悪化への傾斜はビクともしません。

 金融政策は金融制度と一体のもので、金融制度に問題があれば、金融緩和をいくらやろうとも、金融緩和の目的は達せられません。

 「制度面で問題が無い」状態というのは、日本では、間接金融による信用創造機能が健全な状態で維持されていた頃の、つまり、まだ固定資産税重税化による担保資産の破壊が行われず、さらに、BIS規制がかけられていない頃の状態です。

 一般的に、経済学で語られる「流動性の罠」とは、制度面で問題が無いという前提において、デフレが深刻になると、いくら金利を下げても民間が自分の意思で投資をしようとしなくなる現象を指します。

 大学の経済学では何を教えているかというと、金融政策における流動性の罠の解決方法は、財政政策によって解決するということだけで、金融制度の欠陥の可能性は教えていません。

 例えば、大学の経済学では反ケインズ派のヒックスのIS‐LM分析において流動性の罠を熱心に教えていますが、ケインズのいろいろな考察を無視した全く無意味なものです。

 ヒックスは、ケインズの流動性の罠の理論を取り入れるために、IS‐LM分析に若干手を加えました。それはLM曲線を左下方向に向かう途中から水平にすることです。

 こうすると、金融緩和を行ってLM曲線を下にシフトさせても、その水平線から下の利子率へは下がらないと但し書きを付けることで、流動性の罠が表現されます

 しかし、流動性の罠の解決方法である財政政策を行うと、IS曲線が右にシフトするので、総所得Yは増加します。それで、流動性の罠の状態では金融政策は無効であり、財政政策は有効であるというケインズの指摘を表現出来るというわけです。まるで、何かのゲームのようです。

 大学の経済学では、これで、なぜ、流動性の罠では金融政策が有効とならないのかを、IS‐LM分析で説明出来たことになります。教授もそれで何かを教えたような気分になってしまいます。

 また、流動性の罠はケインズが言い出したことですから、IS‐LM分析の説明はケインズの意図を取り込んでいると、思い込むことにもなります。

 そこで語られる財政政策を行うという流動性の罠の解決の手法はケインズが提唱した手法そのものですが、しかし、それは、流動性の罠であった場合の話です。

 大学の経済学では流動性の罠というものがこの世に存在するということを教えますが、流動性の罠かどうかの判定の方法は教えません。

 大学で教えられたIS‐LM分析を念仏のように唱えるだけでは、現実の社会で役に立ちません。

 実際、現在の日本が「金融政策は無効」の状態にあるのは、地価下落とBIS規制によって、間接金融の機能が停止していることによるもので、これは流動性の罠ではありません。

 ところが、日本の経済学者には制度的枠組を研究する意志もカリキュラムもないことから、IS‐LM分析にも疑問を持たないし、日本経済を考える上で最も重要な、日本にだけ起こっている金融制度の致命的欠損もまた放置されることになったのです。

 

 

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