管理通貨制度による無限の通貨発行権

 

 金本位制の頃は、通貨は、有限な商品貨幣すなわち金(gold)または商品貨幣との交換比率が定められた兌換紙幣であり、固定相場制となります。

 そして、経常収支の黒字が増えると国内の生産物は海外に流出し、国内の貨幣量は増えるので、国内はインフレとなり、逆に、経常収支の赤字が増えると国内はデフレになります。

 経常収支の黒字が増え、国内がインフレになれば、国際的な価格競争力が下がり、輸出が不振となり、経常収支は今度は逆に赤字に変化して行きます。

 国内がインフレになるケースは、財政収支の赤字でも起こります。ゆえに、経常収支の黒字財政収支の赤字は財市場への貨幣(マネーストック)の供給において競合します。したがって、財市場の貨幣量(マネーストック)が同じなら、経常収支の黒字財政収支の赤字は両立しません。

 つまり、経常収支とは関係のないところにおいて、財政収支の赤字で国内の貨幣(マネーサプライ)の供給量が増えても、インフレになり、国際的な価格競争力が下がり、経常収支は赤字に変化して行きます。これは、輸出業者としては面白くないことです。

 アメリカの場合は、の例で、財政収支の赤字で国内の貨幣量が増え、インフレとなり、その結果、経常収支は赤字となり、金の保有量が減り、兌換紙幣としてのドルと金(gold)との交換が困難になりました。

 ニクソンの兌換停止の宣言は、アメリカのお家の事情で行われたもので、極めて身勝手ではありましたが、結果的に、管理通貨という貨幣の本質面が証明され、また、貨幣としてあるべき姿が実現されたのです。

 ケインズは、政府の弱腰で富裕層に課税できず、低所得者や貧困層に所得再分配出来ないことに対して、金本位制からもたらされる制約から抜け出して、管理通貨制度を採用して、政府が自由に貨幣を発行し政府支出を増大させることを提唱していました。

 ケインズが亡くなったのが1946年、ニクソン・ショックが1971年ですから、ケインズが亡くなって25年目にして、ケインズの望みが叶ったのです。

 ケインズは、管理通貨制度による通貨発行権の行使によって市場をインフレに誘導し、そのことによって完全雇用状態を創り出し、低所得者と貧困層への所得再分配を実現することを主張していました。

 所得再分配、平等の実現には、デフレよりインフレの方が好ましく、だからこそ、金本位制よりも管理通貨制度の方に利点があります。

 管理通貨制度の不換紙幣でも、政府がインフレ率と賃金の上昇率を管理しながら発行すれば、国民生活の安定という意味においても問題ありません。

 「金本位制」から「管理通貨制度」への移行、兌換紙幣から不換紙幣への移行は、経済学にとっても決定的に重大な出来事でした。それは政府財政の財源に関する認識の地動説的転換でした。

 金本位制の下では、兌換紙幣は金(gold)の保有者に対する負債であり、文字通りの借用書です。だから、兌換紙幣の発行行為は中央銀行の負債の部に置かれています。

 負債の定義は他の資産との交換義務が存在することですから、兌換紙幣は負債の定義に整合します。

 すなわち、兌換紙幣は金(gold)との交換を要求された場合は、必ず金(gold)と交換してやらなければなりません。したがって、政府が貨幣を発行するときは、政府の金保有量と一致していなければなりません。よって、事実上、各国政府に通貨発行権は無いも同然でした。

 政府が金(gold)との交換に応じられなければ、それは正真正銘のデフォルト(債務不履行)になります。よって、財政均衡は基本中の基本であり、政府は行政サービスや所得再分配よりも、財政均衡を優先せざるを得ませんでした。

 さらに、金融機関の信用創造による貨幣量の増加も支援出来ませんでした。

 なぜなら、例えば、金融機関の信用創造において、国民Aが金融機関に100万円を預金したとし、その後、その金融機関が国民Bに100万円分の担保と引き換えにその100万円を融資したとします。

 その時、国民Aが預金を引き出そうとすると、金融機関の手元には100万円がありませんから、金融機関は政府部門または他の金融機関等から借り入れ、国民Aに100万円を引き渡します。

 そして、金融機関は国民Bから無事返済を受け政府部門または他の金融機関等に返済しなければなりません。

 ところが、国民Bが返済してくれないときは、国民Bの担保を競売にかけ現金に換金し返済しなければなりません。

 国民Bの担保を換金する時に、国民Bの担保の価値が60万円に下がっていれば金融機関は政府部門または他の金融機関等に返済できるだけの現金を手に入れられませんから、40万円分のデフォルトを起こし、金融機関は倒産します。しかし、金融機関の倒産だけでは済みません。

 政府部門から借り入れしていた場合、政府部門は金融機関から60万円を回収しますが、40万円が回収できなくなり、その分だけ兌換紙幣の過剰供給となり、現金を金(gold)と交換しようとする取り付け騒ぎが起こったときに政府部門もまたデフォルトを起こし、財政破綻することになります。

 現実においては、増税で回収したり、他の手を使って何とかごまかしたりして、そういうことは起こりませんが、原理としてはそういうことであり、これが国際交易の場においては金(gold)の不足は決定的なダメージとなり、国家の破綻となります。それが恐慌です。

 これが管理通貨制度になった今、政府は自由に貨幣を発行出来ますから、デフォルトリスクという意味における負債ではなくなり、会計上の負債の意味もなくなり、同時に恐慌もなくなったのです。

 管理通貨制度になったことで、他国との貨幣発行量のインバランスは変動相場制の下に調整され、国際交易にも大きな影響はなくなりました。交換レートの変動のスピードより、インフレのスピードが速ければ、価格競争に負け、貿易赤字が増えるだけのことです。

 このように、会計上において負債の意味がなくなったにも関わらず、いまだに中央銀行の貨幣発行行為(日本銀行では貨幣発行行為を「発行銀行券」と呼称している)が負債の部に置かれ続けていることは通貨当局の怠慢です。

 これは、今も中央銀行の貨幣発行が負債によるものと誤解している者が現れているくらいですから、早く、負債の部から抹消すべきです。

 今、日銀が紙幣を印刷すると、バランスシートの貸方に「発行銀行券」という名称の「通貨発行行為」が生まれます。これは、無から生まれるものであり、他の何者かに依存するものではないので、したがって負債性はありません。だから、本来、負債として立てられるべきではありません。

 負債として立てられなければ、当然、それは結果として、純資産の部に置き換えられることになります。むしろ、通貨発行は特別な行為ですから、法定準備金のように特別な勘定科目として、純資産の部に銘記して置かれるのが妥当です。

 国家が紙幣を印刷しすぎると、物価が上昇するのですが、これをもって「貨幣の発行の原資は物価である」ということは出来るかも知れません。

 しかし、物価が高くなれば、貨幣を発行することが出来なくなるのかというと、さらなるインフレを期待する者が居れば、それも一つのスタンスですから、必ずしも、貨幣を発行することが出来なくなるとは言えません。つまり、その場合は「貨幣の発行の原資は物価である」と言うことは出来なくなります

 物価を一定の基準に維持するという合意があった場合には、その合意をもって、「貨幣の発行の原資は物価である」ということが出来るかも知れません。

 物価を一定の基準に維持するという合意が常に存在すると主張する者は、つまり、インフレが経済の足かせになるかのように言う者は、そもそも、インフレに反対しているというだけであって、おそらく、貯蓄や資本の希少性を守りたいために、デフレを続けようとしているにすぎないものと思われます。

 少なくとも、刮目して見るべきは、金本位制から離脱し管理通貨制度となった現代では、政府がデフォルトリスクから解放され、ゆえに、いろいろな政治的な約束事を設けなければ、無限の通貨発行権を手に入れたということです。

 そして、無限の通貨発行権を手に入れたからには、財政赤字であろうと政府債務の拡大であろうと、通貨発行量を増加したにすぎず、そして、財政赤字であろうと政府債務の拡大であろうと、それらはインフレ要因である以外の意味は無くなったということです。

 日本では失われた30年の間、物価の上昇も、賃金の上昇も起こりませんでしたが、その理由は二つあります。

 一つ目は、財政政策における理由です。

 自民党政府は、消費税、固定資産税、社会保険料の重い負担で、低所得者や貧困層の純所得(可処分所得)を減らし続けて、国民に貨幣を持たせない政策を行っていますから(デフレ政策または国民貧困化政策)、消費を増やすことが出来ません。

 さらに、自民党政府は賃金の上昇そのものが起こらない政策を行っています。

 賃金の上昇が起こらないのは、政府においては、財政支出が削減され、国民への分配が行われなくなっているからです。 

 企業においては、消費税の実体は付加価値税ですから、企業が生き残るために、政府が企業に消費税分を賃金から削り取ることを強要しているので、恒常的に賃金は下がり続けます。

 もし、現在の自民党によって改変された制度的枠組みのままで、財政政策として、一時的に公共投資などで支出しても、その貨幣は企業に滞留するだけで、低所得者や貧困層への分配が行われなくなっています。

 自民党が破壊し尽くした日本の制度的な枠組みを立て直さなければなりませんが、即効性のある解決策としては、まず、減税と社会保険料の廃止などで直接、低所得者や貧困層の純所得(可処分所得ともいう)を増やせば、破壊された制度的枠組みの大部分をただちに回復出来るだけでなく、国民生活も見違えるように再生します。

 雇用制度などの修復は時間がかかりますその修復を優先すべきであり、それが修復されない内に企業にお金を渡して企業の都合の良い分配をするだけで、企業は賃金を増大させずに、利益を積み上げるだけでそれは、自民党政府が原油値上がりを受けても、ガソリン税のトリガー条項を発動させずに、石油関連企業への補助金にしたことで、石油関連企業はガソリン代の値下げに使わずに、利益にしてしまったと疑われていることを例として挙げられます。これは、石油関連会社が自民党にトリガー条項の発動ではなく、企業への補助金にしてくれと陳情したことによるものと思われます。

 公共事業などで企業に渡った貨幣は、外国人労働者や派遣労働などで不完全雇用状態が維持され、構造的に日本人の低所得者や貧困層の賃金が増えない構造に変えられていて、それを元に戻して、完全雇用状態が実現するようにしなければどうにもなりません。

 その元に戻す改革は、労働組合が労働争議を起こして政府に変えさせなければなりません。

 失われた30年の間、物価の上昇も、賃金の上昇も起こらなかった二つ目は、金融政策における理由です。

 1994年に建物固定資産税の重税化が行われ、それ以降、特に地方の地価が極限まで下げられ、担保にならなくなってしまい、さらに、BIS規制で金融庁から担保価値を厳しく査定されますから、現実面で、中小企業の長期投資に対する融資が不可能になっています。

 だから、今の自民党政府および日銀は、金融緩和は役に立たないことを承知で、異次元の金融緩和などと言う空騒ぎをやって見せているだけですから、本当に中小企業金融が良くなることはありません。

 即効性のある金融政策は今のところありませんが、建物固定資産税の廃止と、BIS規制の廃止を宣言すれば、少しは、金融機関の融資の姿勢は緩むかも知れません。

 アメリカでは、リーマンショックで、住宅バブルが破綻したときも、政府もマスコミも一丸となって、地価の下落を止めようとしました。地価が下がったのでは、間接金融の再生すなわち商業銀行の再起は不可能になるからです。

 日本では、政治家、経済学者、マスコミ、官庁のすべてが一致団結し、率先して、地価を潰してしまいましたから、まだ、長い時間をかけて地価の回復を待たなければ、本格的な中小企業金融は困難ではないかと思われます。

 日本は世界の国々が大切にしている地価というものを、建物固定資産税と言うハンマーで殴ってあっけなく死滅させるという、大変、奇怪ことやらかして来ましたので、経済学の定説通りの景気回復政策ばかりやっても、元には戻らないかも知れません。

 しかし、間違いなく地価は建物固定資産税で下がったのであり、したがって、、地価の回復のために建物固定資産税を全廃するという正当な手段が講じられなければなりませんそれなしには、何をやっても、地価は回復せず、中小企業金融は再生しません。

 また、ここで、話を一般論に戻します。

 一般的に、需要が供給を上回ればインフレになりますが、この需要の増大は、雇用の増大、賃金の上昇、減税による純所得の上昇のいずれかによって、消費が活発となり需要が供給を上回っているということですから、普通は大体完全雇用が達成され、必ずハッピーエンドになります。

 ゆえに、結果として、物価の上昇と賃金の上昇は同じものになります。

 そして、ここが大事なところですが、賃金の上昇と物価の上昇のスピードの調整がうまく出来るならば、通貨発行は量として無限に行うことが出来ます。

 ただし、物価賃金は、時にはアンバランスになりつつも、互いにスパイラルしながら上がって行き、結果として国民は幸福になりますから、その調整は完全なものでなくても、大体の適当なものでも、物価賃金が上がっていくことが重要です

 そして、政府の財政が健全な精神で運営され、善意をもって賃金の上昇と物価の上昇のスピードの調整を行うならば、すなわち、それは、税制や財政政策によって貨幣を低所得者や貧困層に分配し続けるということですが、そうすれば、どのような格差も是正され、どのようなちぐはぐな状態も豊かさの伴う安定に向かいます。

 

 

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