①45度線分析はケインズモデルではない

 

 ケインズ自身ではなく、後世の者の手によって「有効需要」という均衡点(実現したところ)をグラフから求める試みが行われました。それが、45度線分析と呼ばれているものです。

 ところが、45度線分析は、ケインズの提案したところの、雇用Nの変化を要因とする総所得Yの変化を分析するものではなく、総所得Yを変化させたときの、総供給Ysと総需要Ydの関係を相互に観察するためだけのものになっています。

 変数は総所得Yだけであって、Yを動かす政策なら何でも良く、ケインズのこだわった雇用政策は無視されています。

 45度線分析では、Ysがケインズの言うZに相当し、Ydがケインズの言うDに相当するものと説明されています。

 もし、一致するのなら総供給曲線Zと総需要曲線Dとそのまま表すところでしょうが、わざわざYs、Ydと言い換えているのは、Z、Dとは異なると言い逃れが出来るからです。つまり、ケインズとは違うことを言おうとしているのです。

 そしてまた、45度線分析の総供給曲線Ysは、常に「Ys」ですから45度線になりますが、これは総所得Yは産出であり、産出は常に総供給に等しいからであると言っています。

 また、45線分析は、Ys、Ydの交点を均衡達成点と呼び、ケインズの「有効需要」と同じものだと言っています。

 しかし、Ys、Ydが雇用Nの関数であり、投資家の予想や期待であると明言していないのに、Ys、Ydの交点をケインズの「有効需要」と同じものだと言うのは、定義を無視したごまかしに見えます。

 総所得Yを動かしたものが、雇用政策でない場合、Ys、Ydは雇用によって動いたわけではありません。

 例えば、自民党の金融資本主義的政策が強化され、その手段として、日銀が大企業株引き受けを行い、大企業は利益を上げ、財政支出した分のGDPが瞬間的に上がっても、これは、国民の消費性向が上がる政策ではないので、経済成長に結びつきません。むしろ、国民の貧困化は進むかも知れません。すなわち、有効需要は上昇しないのです。

 しかし、雇用政策に頼らない経済成長政策とは大体このようなもので、株価がちょっと上がったとニュースで取り上げられれば、自民党政権が少し延命し、他の手を使う時間が稼げるという姑息な話です。
 ケインズが「有効需要」を発案した理由は、有効需要を決定するものが、雇用によって決定する産出を意味する総供給曲線Zと、消費性向によって決定する総需要曲線Dにおいて、政府政策によって消費性向を動かし、総需要曲線Dを動かすことで、総供給曲線Zとの交点を意味するところの「有効需要」を上昇させ、はじめて、雇用を動かすことが出来、総所得を上昇に導くことが出来るということを説明するためのものです。

 ところが、驚いたことに、45度線分析においては、その雇用と消費性向というテーマが抜き取られてしまって、一体何のための「有効需要」の発案なのか意味が分からなくなってしまっているのです。

 45度線分析では、雇用消費性向がどのように変化するかというテーマは触れられず、財政政策や金融政策で総所得を変動されば事足り、すなわち、政府が投資家を応援し、または、投資家に一層の自由を与えれば経済成長するので、それによっても、総需要曲線Ydを上に動かすことが出来るなどという、投資家への利益誘導のための政策を紹介しています。

 ケインズは雇用と消費によってしか総需要曲線Dは増えないと言っているのに、45度線分析では他の方法でも増えると言っているのですから、45度線分析はケインズに対する反逆と言えるでしょう。

 こうしたケインズの理論を取り込んだかのように見せて、別の方法で説明し、ケインズの理論を無力化するというテクニックは新古典派において頻繁に使われています。

 45度線分析では、総供給曲線Ysを基準とし、したがって、基準ですから、総供給曲線Ysは原点を通り、傾きが1の直線になります。すなわち、これが45度線です。

 これに対して総需要曲線Ydは、総供給曲線Ysより大きくなったり小さくなったりします。

 45線分析における供給側の希望的予想「Ys=Y」Ys=C+Iでもある)に対して供給側の悲観的予想「Yd=C+I」をどのように描くべきかを考えます。

 国民の消費しようとする意欲は物価上昇率で量られます。物価が上がりつつある状態では、需要が供給を上回っていることになります。その状態にあるときは、総需要曲線Ydは45度線(総供給曲線Ys)を上回っていることになります。

 物価が下がりつつある状態では、需要が供給を下回っていることになります。その状態にあるときは、総需要曲線Ydは45度線(総供給曲線Ys)を下回っていることになります。

 総供給曲線Ysと総需要曲線Ydが交わるところで需要と供給が一致します。45度線分析ではその交点を均衡決定点と呼び、すなわち「有効需要」であると言っています。

 ここで筆者が違和感を持つところは、ケインズの「有効需要」は、政府が雇用政策を行って消費性向を増加させた結果、「有効需要」というゴールに到達するというストーリーがあるのですが、45度線分析の「有効需要」の説明では、総所得を動かせるものを特定する必要がなく、総所得を動かせば雇用は後付けで付いてくるといった、雇用に対する政策をやらなくても良いと聞こえてしまっているところです。

 ケインズの総需要曲線Dと、45線分析における総需要曲線Ydの違いは、前者が、政府の景気に対する姿勢を見据えた投資家の心理を表し、将来を予想するものであるのに対して、後者が、客観的な情勢を表すものと解釈され、誰の責任でもないことが印象付けされているところです。

 Ydの分析からは、政府の有効需要創出の動機は出て来ません。

 ケインズの、政府が景気動向を誘導することに積極的に関わり、「有効需要」の創出を行うべきであるという主張に対して、45度線分析は、景気動向は誰の責任でもなく、政府が積極的に景気動向関わるべきかどうかについては、意見を持っていません。それもまた、45線分析が発明された理由であると思われます。

 また、もう一つ、45度線分析には「基礎消費」、「消費関数」という怪しい理論が付け加えられています。これもケインズ自身ではなく、後世の者の手によって提案されたものです。

 基礎消費はお金がなくても生きて行くための最低限の消費を指しています。最低限の消費はどんな人間でも一定であると考えられているようですが、政府が国民の生存を保証していないのに、本当に投資家がこのような基礎消費なるものの存在を信じるでしょうか。

 消費関数は基礎消費C0を含み、その生きて行くための最低限の消費から、余裕が出来るに従って、所得から租税を差し引いた残りの所得(可処分所得)から限界消費性向に従って消費を増やして行くという理論です。

 したがって、消費をC、限界消費性向をc、租税をtとすると、

C=C0+c−t)

 投資をIとして、総需要曲線Ydは、

Yd=C+I=C0+c−t)+I

 となります。

 しかし、限界消費性向cは、可処分所得から消費に使う比率ではないと前に言いました。なぜなら、低所得者に増税すれば、消費を削る余裕はないので、所得から税金を差し引いた所得の残りは全部消費に使ってしまうからです

 中間層に増税すれば、可処分所得が下がった分をそのまま貯蓄を減らすことはなく、相当の割合で消費を減らすものと思われます。高所得者に増税すれば、多すぎる貯蓄を削って、消費を減らさないかも知れません。

 もし、限界消費性向が可処分所得に対するものなら、いずれにせよ、増税すれば限界消費性向上がるでしょう。

 しかし、そうすると、増税すればするほど可処分所得は下るのに、限界消費性向が上がり、むしろ、無限等比級数の和を求める乗数効果の計算方法で景気は良くなってしまいます。これは、現実と矛盾します。

 すなわち、可処分所得の増加から消費する割合を限界消費性向と呼んでしまったのでは、景気に対する限界消費性向の役割が、ケインズのものとは変わってしまいます。

 だから、45度線分析で唱えられている限界消費性向cは、可処分所得から消費に使う比率である』という解釈は間違いです。

 念のために言っておきますが、あくまでも、ケインズは所得に限界消費性向を掛けると言っているのであり、可処分所得に限界消費性向を掛けると言っていません。

 ただし、さすがに、最近ではインターネット上の記事においては、限界消費性向cは、可処分所得から消費に使う比率であるという説明は減っていますが、まだ、少数の経済学者や経済評論家はそう言っています。こうした混乱からも、45度線分析はケインズモデルではないことが分かるでしょう。

 また、45度線分析における変な話がまだもう一つあります。それは、

Yd=C+I=C0+c−t)+I

において、投資Iを定数として構わないと言っていることです。

 総需要曲線は、全体の需要のことですから、消費と投資を合計したところで予想を付けなければなりません。

 ただし、現実世界においてCを無視して、Iをそのままにしたり、増減したりする投資家がいるとは思われません。

 国内の所得の分配が順調に行われると、Cの増加によって投資を増やすでしょうから、IはCとスパイラルして増えると考えられます。

 ところが、45線分析ではIについては定数にしたがる者が多いのですが、普通に考えて、Cが巨大になるほど、Iも巨大になって行くはずです。つまり、社会が豊かになると、企業の保有する社屋、生産設備、在庫品の保有も巨大になって行くはずです。

 そして、また、投資Iが増えることも、ケインズにとって、消費が増えることと同じくらい大きな「有効需要」を作る担い手であったはずです。

 すなわち、45度線分析の作成者は、ケインズの『需要が供給を創造する』という主張を否定し、投資と消費は別々の独立した動機によって行われていると言いたいのです。

 これは新古典派の主張そのものです。

 

 

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