重商主義、保護貿易主義、自由貿易主義

 

 ここでは、日本企業の輸出における金融機関との取引と、外国人による日本への投資における金融機関との取引は、金融機関による外貨の買取りという点で同じものですから、これらを同じものとして論じたいと思います。

 外国人による日本への投資では、外国人が日本の金融機関で外貨と円を交換したときに、金融機関から財市場にが放出され、マネーストックが増えますが、金融機関が必ずしも外貨を外為市場で政府に買い取ってもらうとは限りませんから、必ずしも資本収支に反映されるわけではありません。

 外国から日本への投資でマネーストックが増え、日本から外国への投資でマネーストックを減らします。

 ただし、日本の金融機関から融資を受け、外国に投資する円キャリートレードなどの場合は、マネーストックの増減を伴いません。海外投資のための融資を伴う場合は、融資を受け、一旦、マネーストックが増えても、すぐに外貨と交換され、マネーストックが減り、元に戻るからです。

 マネーストックが増えるのは、円キャリートレードではなく、経常収支または資本収支の黒字です。

 経常収支または資本収支の黒字では、どちらも外貨が国内の金融機関に持ち込まれることでマネーストックを増やします。

 しかし、経常収支または資本収支の黒字によってマネーストックが増え、インフレになるとしても、輸出企業や投資家(株主)に分配のリーダーシップを与えることを伴って起こるものであ、投資家(株主)の富を増やしながら起こるインフレであるということが出来ます。

 投資家(株主)の富が増えるときは投機的貨幣需要が増えるときで、投機的貨幣需要が増えるときは、限界消費性向が下がりますから、貿易黒字による貨幣供給によって起こる乗数効果は多少弱められ、現在の限界消費性向のままの計算式よりインフレ率は低いものになることが予想出来ます。

 経常収支または資本収支の赤字では、円キャリートレードなどの融資を伴わない部分において、マネーストックの減少となり、国内市場にデフレ傾向が出て来て不況になります。

 だから、経常収支または資本収支の赤字のときは、政府が景気の悪化を望まないならば、渋々ながらも、積極的な財政政策を行わなければならなくなります。(これが、今のアメリカの状況です。)

 低所得者や貧困層への積極財政政策を望む場合は、あえて積極的な財政政策を行わなければならなくなる事態に陥らせるという意味では、アメリカを見れば判るように、経常収支または資本収支の赤字はむしろ好ましいものとなります。

 ただし、念のために言っておきますが、財政政策が行える環境が整うという意味において好ましいのであり、内需産業に無関心な自民党の政治家などが、さらなる国際競争力の強化路線を採用するようなら、一層悲惨な結末になります。

 貨幣の流れによる乗数効果の分析以外のところにおいて、経常収支の赤字の場合は、輸入するものが日本に無い原油やレアメタルの輸入によるものではないときは、例えば、農産物や雑貨品のときは、国内の農業や雑貨品産業にダメージを与えますから、好ましいものではなく、資本収支の赤字(新関係式においては金融収支の黒字)は海外投資、例えば、中国などへの投資がさかんである場合は、将来の日本の輸入の増大を意味することになるので、資本収支の赤字もやはり好ましいものではありません。

 つまり、経常収支または資本収支は黒字であろうと赤字であろうと、いずれにせよ、その量が大きくなることはロクなことにならないということです。

 ところが、自民党の政策を見てみると、貨幣供給政策として、財政政策ではなく、国際交易の拡大を中心的な政策とし、つまり、経常収支または資本収支の黒字によるマネーストック供給体制にシフトしようとしているかのようです。

 これは、財政支出の縮小政策を採用するということであり、 自民党はまったく国民にお金を渡すことが嫌いなようで、特に、低所得者や貧困層からお金をむしり取ることばかり考えているようです。

 それは重商主義、保護貿易主義、自由貿易主義の中で考えれば、自民党自由貿易主義を目指しているからです

 自民党自由貿易主義を目指していると考えれば、すべての自民党の国際交易に関する姿勢が説明できます。

 重商主義は輸入品に関税をかける保護主義的なところばかりがクローズアップされますが、多くの重商主義批判は、自分の国の企業を勝たせて外貨を獲得しようという意図で、輸入品に関税をかける相手国を批判しているのであり、内需を中心にしようとする意図のものではありません。

 アダム・スミスの自国への重商主義批判の意図は、輸入品に関税をかけることではなく、外貨の獲得を目的とする事に対する批判にありました。ただし、アダム・スミスが何を批判しようとも、自由放任主義が間違いであることを気付かせるものとはなりませんでした。

 だから、議論は貿易黒字の出しすぎは良くないというに留まり、依然として政府の関与は否定され、投資は投資家の判断にまかされました。

 重商主義、保護貿易主義、自由貿易主義の定義を簡単に説明すると次のようになります。

 (+)を積極的政策または放任主義、(-)を消極的政策または抑制主義として、

重商主義=輸出(+)、輸入(-)

保護貿易主義=輸出(-)、輸入(-)

自由貿易主義=輸出(+)、輸入(+)

と表されます。

 重商主義と保護貿易主義とは輸入に対する姿勢が一致しているだけで、輸出に対する姿勢は逆向きです。重商主義を保護貿易の一種と捉え、「重商主義および保護貿易」と「自由貿易」とが対立しているかのように言う者がいますが、そんな見方をすると、重商主義が悪者と周知されていることから、「自由貿易」が正義で、重商主義および保護貿易は一蓮托生に悪であるかのように勘違いさせてしまいます。

 経常収支または資本収支は、黒字であろうと、赤字であろうと、どちらもその額が大きくなることは好ましくありません。だから、保護主義が正しいのです。

 自民党の自由貿易主義においては、貿易黒字で獲得した貨幣を金融機関に持ち込むことでマネーストックが増大し、インフレ傾向となることについては、インフレを忌み嫌う自民党の財政政策に織り込み済みであって、あろうことか、同時に、インフレを回避する緊縮的な財政政策が用意されています。

 金融機関は、外貨を買い取るだけでは準備預金が減りますから、準備預金を元に戻すために政府に外貨の買い取りを要求します。ただし、この要求は外為市場で行われ、政府が自らの意志で外貨買い取りを行うことになっていますから、これは、円安に誘導するためのドル買い為替介入が行われたと見なされることが多いのです。

 そうして溜め込んだ政府の大量の外貨準備高を維持し続ける必要性があるとすれば、急激な円安に対してドル売りの為替介入を行う場合のためであると言う人もいますが、実際にはめったにそんな用事はありません。

 また、強いて言えば外貨準備は輸入代金の決済のときに役立ちますから多少は持っていても良いでしょう。しかし、それ以外に外貨準備高を維持する理由はありません。

 しかし、現在、政府は100兆円を超える、為替介入や国際交易の決済のためと言うには巨大すぎる外貨準備を持っています。政府自らの必要性においては、もはや外貨を買い取る理由はありません。

 だから、政府が金融機関から外貨を買い取る理由は、回り回ってのことですから、見えにくい面はありますが、外貨の交換に応じた金融機関において、金融機関の現金や当座預金が減る場合における補填のためのみであると言うことが出来ます。

 異次元の金融緩和が行われている現在、すでに、金融機関はマネタリーベースを十分すぎるほど持っていますから、金融機関も政府に対して積極的に外貨買い取りを要求しません。

 2012年から2014年の間に外貨準備高が増えていないのは経常黒字が低迷しているからですが、2015年以降の貿易黒字が巨大であるのに外貨準備高が増えていないのは異次元の金融緩和が行われているからです。

 しかし、それは「異次元の金融緩和」が行われている間の特殊な現象であって、金融緩和が大規模なものでない場合において、金融機関は政府に対して外貨買い取りを要求し、政府は外貨を買い取り続けます。

 だから、「異次元の金融緩和」などのいつもと違う条件がない通常状態では、経常黒字と外貨準備は連動して増減します。

 為替介入を行ったときは、外貨準備高が急激に増えますが、このとき財市場はマネタリーベースが増えることによってインフレに傾斜して行きますから、インフレを忌避する場合は、他方において、日銀が金融機関に国債を売り付け、マネタリーベースを減少させます。これを不胎化政策と言います。

 しかし、今、日本では金融制度の改悪(建物固定資産税の増加による地価下落および担保力破壊・BIS規制)によって、間接金融の機能不全が起こり、マネタリーベースの増大がマネーストックの増大に寄与しないようになっていて、いまや、為替介入を行ったところでインフレになりようがありませんから、アホらしくて、不胎化政策すらやっていません。

 以上のように、金融政策、財政政策、貿易黒字、外貨準備は互いにマネーストックの増減政策として繋がっています。

 その繋がり方を整理して、マクロ経済を俯瞰できるようになれば、マクロ経済学を国民の平等と経済成長に寄与するマクロ経済学に作り直すことが出来ます。

 例えば、積極的な財政政策と貿易黒字は共にマネーストックを増やしインフレの要因となるため、インフレを忌避するならば、積極的な財政政策を行おうとするときは貿易黒字を犠牲にしなければならず、逆に、貿易黒字を増やそうと思えば、つまり、貿易企業(大企業)を儲けさせようと思えば、財政政策を犠牲にしなければなりません。

 インフレを忌避しようとするのは投資家や富裕層と呼ばれる者たちであり、一般的な国民ではありません。

 国民は適度なインフレ(それは名目賃金の上昇・実質債務の減少と同じものですが)と、それによる経済成長を望んでいます。

 これを踏まえて自民党の政策を見れば、自民党の政策が、国民の普遍的な利益となる積極的な財政政策と相反して、国際競争力強化路線によって貿易黒字を増大させ、輸出企業を儲けさせるためのデフレ推進政策に傾斜していることが判ります。

 貿易黒字を増大させると、国内はインフレになりますが、それでも貿易黒字を維持しようとすれば、インフレを抑え、デフレを維持するための緊縮的な財政政策を採用しなければならなくなります。

 したがって、国際競争力強化路線とは、すなわち国内をデフレへ誘導する経済政策そのものなのです。

 国民が国際競争力強化路線を支持する背景に、日本が発展途上国であった時代に国民に刷り込まれた貿易黒字と外貨準備を好ましいものとする価値観があります。

 だから、批判する国民の側が、貿易黒字と外貨準備増加を好ましいものであるという刷り込みから逃れない限りは、貿易黒字と外貨準備増加の必然であると共に手段でもある国際競争力強化路線(緊縮財政、経費節減、賃金低下)を批判することは矛盾となり、自分たちを豊かにするための国内の内需拡大政策という正しいに到達出来なくなるのです。

 ちなみに、貿易黒字は経常黒字の一部であり、経常黒字の累積が対外純資産ですから、貿易黒字が好ましいものでないからには、対外純資産の増加もまた好ましいものではありません。

 そして、また、外貨準備が民間の都合ではなく、政府の都合(為替介入資金のため)だけで行われるのならば、外貨準備がいくら増えようとも気にしなくて良いのですが、政府の意図しない貿易黒字の結果であるとすると、内需拡大が出来なくなるような政策を採られているということに外なりませんから、見過ごしに出来ません。

 貿易黒字と財政政策とが関係のないものの如く呑気な気分でいると、貿易黒字が出ていて、内需型企業が振るわないことに関する分析は、貿易企業が頑張っているのに、内需型企業はさぼっているにすぎないというトンチンカンなものになりかねません。事実、テレビでそう言っている者がいます。

 現実の世の中では、貿易企業を守るためのデフレ政策によって内需型企業およびその労働者が、国民貧困化政策によって犠牲になっているのです。

 ところが、犠牲になっている内需型企業およびその労働者にさえ、日本の外貨準備高の増加、貿易黒字の増加を誇りに思っている者が多いのですから、洗脳とは恐ろしいものです。

 

 

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