③AD‐AS分析批判

 

 IS‐LM分析では物価が一定であるという前提あり、物価の変動と言う概念はないので、そこに物価の概念を入れようというのがAD‐AS分析であるという謳い文句です。

 AD‐AS分析の座標は縦軸に物価P、横軸に実質国民所得Y(物量)を取ります。実質国民所得は(Y/P)とも表します。

 AD曲線は総需要曲線、AS曲線は総供給曲線という意味で、つまり、AD曲線はIS‐LM分析における財市場を表すIS曲線と金融市場を表すLM曲線を合体させたものです。

 AS曲線は労働市場を表す曲線とされています。労働市場は賃金わします。

 ここでいうAD曲線(総需要曲線)やAS曲線(総供給曲線)は、ケインズの言う総供給関数や総需要関数と名前は同じですが、意味は異なります

 ケインズの総供給関数Zは、N人雇ったときの、投資家が予想する産出の総額(供給総額)であり、総需要関数Dは、N人雇ったときの、投資家が予想する売上の総額(期待収益)であり、AD‐AS分析の言う(これはIS‐LM分析の言っていることと同じですが)、物価(縦軸)から一意的に決定されるLM曲線(総供給曲線)、および、国民総所得Y(横軸)から一意的に決定されるIS曲線(総需要曲線)とは同じものではありません

 AD曲線は物価Pと実質国民所得Y(物量)が互いに減少関数となる右肩下がりの曲線となります。

 AS曲線は物価Pと実質国民所得Y(物量)が互いに増加関数となる右肩上がりの曲線となります。ただし、完全雇用が達成された場合は、それ以上にYは増えずに、物価が増えるだけなので、そこからは垂直になります。これは、新古典派経済学の常に完全雇用は達成されているという理論と矛盾しますが、ケインズ経済学を取り入れているという謳い文句なので、彼らはその矛盾を気にしていないようです。

 AD‐AS分析によると、AD曲線を右に移動させる(完全雇用を達成させる)ためには、財政政策によって消費C、民間投資I、政府投資G、純輸出Xを上げるか、租税Tを下げる政策、または金融政策によって信用創造を増やす政策、つまり、その両方によってマネーサプライを増加させめることによって、総所得(生産)を増加させる政策になり、インフレ誘導政策となります。

 AS曲線を右に移動させるには、マネーサプライを増大させないで、技術進歩、効率化、流通経路の整備、規制緩和などによって、大量生産が低コストで出来るようにし、または同じことですが、名目賃金や材料費などの原価を下げ、実質国民所得を増大させる政策です。したがって、デフレ誘導政策を伴って、物量を増加させる政策になります。これらは、大体において構造改革と呼ばれているものです。

 また、AS曲線のグラフは右肩上がりで、途中から上に向かって垂直になります。

 途中と言うのは、完全雇用が達成されたときです。完全雇用が達成された後はAS曲線が垂直になるという意味は、それ以上のあらゆる経済政策は物価を上げるだけで実質国民所得の増加にならないという意味です。

 これは新古典派経済学の、常に完全雇用が達成されていて、完全雇用が達成された後は、財政政策や金融政策でマネーサプライを増やしても物価が増加するだけで生産は増えないという考え方です。

 しかし、これは変です。AS曲線は技術開発で移動し、生産量が増加するのですから、完全雇用達成後においても、衣料品など一着使用していたものを二着使用するようになる等、技術革新によって不完全雇用の時とは異なるGDPの増え方をしているはずだからです。

 察するに、AD‐AS分析においては、完全雇用を達成すれば、それ以後、財政政策や金融政策をして物量や品質の向上はなくなるというと言うのは、完全雇用が達成されているからにはそれ以上に国民の生活を向上させるのは無意味であると言いたいだけなのでしょう

 ケインズは、完全雇用に必要な水準以上のインフレは(完全雇用はすでに達成されているので)雇用に影響することなく、賃金の水準に影響すると言っています

 これまでの国民経済の現実においては、完全雇用によって、労働者が強くなり、名目賃金が上がり、したがって、労働者のための物量や品質の向上が起こり、生活が豊かになって来たのです。

 完全雇用の時にAS曲線が垂直になって、物価が上がるだけで経済発展の何の役にも立たないというのは、新古典派による故意の歪曲でしょう。

 AD‐AS分析では、AD曲線とAS曲線の二つの曲線の交点で、財市場・金融市場(AD曲線)、労働市場(AS曲線)の3つの市場が均衡すると言っています。

 AD曲線は、IS‐LM分析におけるIS曲線とLM曲線を合併したものとされていますが、ところが、AD‐AS分析のグラフで目に見えるものは、縦軸の物価P、横軸の実質国民所得Y(またはY/P)だけです。

 しかし、AD曲線には、IS‐LM分析におけるIS曲線とLM曲線の葛藤の結果だから、現実の社会では制度的な枠組みやそれによる消費者や投資家の心理への影響とかが作用しているはずです。

 そして、ケインズと新古典派とで、投資の限界効率と利子率の葛藤において、因果律は異なっていたはずです。

 また、新古典派はIS‐LM分析を以って財政政策を否定し金融政策を推奨していたはずであるし、他方、ケインズは財政政策も金融政策も積極的に肯定していたはずです。

 しかし、新古典派のAD‐AS分析では、AD曲線に財政政策、金融政策および輸出政策を十把一絡げに入れてしまっています。これは奇妙なことですが、これは、財政政策、金融政策、輸出政策がすべて同質のものであると錯覚させるためです。

 AD‐AS分析を引っ張り出されると、今までIS‐LM分析において何の議論をして来たのか空しくなります。

 AD‐AS分析では財政政策、金融政策および輸出政策を十把一絡げに出来るので、どれをやっても結果は同じであり、金融政策や輸出政策をやれば、財政政策をやらなくても良いということを含むことになります。

 実際、新古典派(新自由主義)の自民党政府はそうしています。AD‐AS分析は、火事場泥棒のような十把一絡げ主義の新古典派的真骨頂でしょう。

 これに加えて驚くべきは、新古典派物価を上げ、AD曲線を上にあげる政策よりも好ましいものがAS曲線を右にシフトさせる政策であると言っていることです。

 AS曲線を右にシフトさせる政策は、日本では構造改革と呼ばれるもので、マネーストックを増加させずに、実質国民所得Y(またはY/P)を増加させようとする経済政策です。

 AS曲線を右にシフトさせれば、AD曲線との交点は右下に移動します。すると、実質所得Yは上がり、物価Pは下がります。実質所得Yが上がり物価Pが下がるということは、デフレが起こっているということです。

 ところが、新古典派では需要は供給に従って増大するのですから、デフレでも過剰供給は起こりません。

 代わりに、新古典派ではそれまでと同じ名目賃金で多くのものが買えるようになると宣伝し、実質賃金の増大が起こり、奨励ます。

 そして、新古典派は、名目賃金を下げて実質賃金を適正な水準にしなければ、雇用を拡大することは出来ないと言い、これは驚くなかれ、名目賃金の削減政策に繋がって行くのです。

 賃金の削減で最も力を発揮するのは消費税です。消費税の実体における現実の姿は、直接税の付加価値税で、経営者をして労働者から付加価値つまり賃金を削り取らせる税金です。

 さらに自由民主党(新古典派は、雇用(解雇)の規制緩和、派遣労働、請負労働、外国人労働者の採用によって、名目賃金の削減を推進しします。

 しかし、ケインズは、名目賃金を下げると、労働者は名目賃金で考えるので国内消費が委縮し、投資家にとって商品が売れなくなるので、デフレ不況に陥るだろうと言っています。また、供給の増大に対して、貨幣を印刷して物価Pを上げ、名目賃金を維持する方がはるかに簡単であるし、現実的であると言っています。

 そして、貨幣政策によって物価を上げ、名目賃金を維持するという簡単な方法があるのに、わざわざ雇用のやり方を変え、名目賃金を下げるということはバカとしか思えないと言っています。

 新古典派のマネーストックを増やさないAS曲線を右にシフトさせる政策、つまり、デフレ誘導路線の推奨については、もう一つ、大きな目的があります。

 それは、富裕層の持つ資産の実質価値および実質債券の価値を減らさせないためのものです。

 富裕層は資本の希少性を守り、それによって、投資を独占し、独占による高い収益力を持続させ、拡大させたいのです。

 さらに、それだけではなく、政治への影響力を行使し、中小企業や労働者に対する過酷な税制を課し、また、間接金融を機能しにくい体制への変革を行わせることによって、中小企業の投資を妨害し、貧者の成り上がりを潰そうとしています。

 IS‐LM分析も、経済分析の方法としては、デタラメなほどケインズ理論の歪曲が行われていますが、AD‐AS分析は、さらにデタラメな歪曲が行われ、もはや、何を言っているか判らなくなっていると言う水準になっています。

 そして、労働者の賃金の上昇にする悪意が幾重にも織り込まれています。

 大学の経済学の授業では、AS曲線を右にシフトさせる政策と、AD曲線を右にシフトさせる政策は大ざっぱに同等の経済成長をもたらすものと説明されていますが、一方で、AD曲線を右にシフトさせる政策はインフレという好ましくない副作用があるため、むしろ、AS曲線を右にシフトさせる政策を大学が一丸となって推奨するという授業内容になっています。

 これは、まさに、国際投資家が望むことです。大学と国際投資家はグルなのです。

 AS曲線を右にシフトさせる政策を正しい政策とするのは、日本の全ての大学卒業者たちの常識であり、いまや、大学と言う閉鎖的な社会の中だけでなく、政治家、官僚、マスコミ、大企業のほとんど全ての社員にまで広がり、日本人の隅々の庶民の常識に至るほどになっています。

 IS‐LM分析は財政政策を否定し、金融政策を推奨するために使われたのに対し、AD‐AS分析はそれよりさらに進んで、財政政策も金融政策も否定し、新自由主義的な構造改革へ誘導するために生み出されたものです。

 

 

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