①貨幣数量説からの離脱

 

 新古典派経済学はインフレが起こっても国民生活に弊害があるばかりで、経済成長に関係しないと言っています。ゆえに、インフレを起こしてはならないというのが、新古典派経済学の一貫したスタンスです。

 このスタンスは、現在もなお新古典派の後継者たちに受け継がれています。

 だから、ケインズは、まず、その新古典派の「インフレは経済成長をもたらさない」という理論に反論しなければなりませんでした。なぜなら、財政政策つまり低所得者や貧困層への所得再分配のための貨幣の発行は、それが本当に貨幣が低所得者や貧困層へ渡る政策であるのなら、必ずインフレをもたらすからです。

 新古典派経済学の基本的な理論は貨幣中立説および貨幣数量説と呼ばれるものです。

 貨幣中立説とは、貨幣量を増加させても貨幣量の増減は経済成長に対して中立つまり無関係であるというものです。だから、政府が行う財政政策や金融政策といった貨幣数量の増減政策は無意味なので、否定的な立場を採ります。

 貨幣数量説はその理論を少し複雑にしただけのものです。貨幣数量説の前提には貨幣中立説があります。

 現実面において、貨幣中立説だけでは、短期どころか中長期で見ても、「貨幣量」と「物価」が比例しないという矛盾が出てきたために、マネーストックと物価という2つの要素に加えて、さらに「生産物の量」と「所得速度(または貨幣の流通速度)」という2つの要素を追加し、4つの要素の間で関係式を作り、「貨幣量」と「物価」の関係性を少し複雑に表現しようとしたものが貨幣数量説です。

 貨幣数量説の代表的なものが、フィッシャーの交換方程式、および、マーシャルのkです。

①フィッシャーの交換方程式

 Y=PQ=MV

※Y:国民所得つまりGDP、P:物価、Q:物量、M:マネーストック、V:貨幣の回転数または所得速度)

 ただし、については「現金」を指すとする説もあります。

 この現金とは、金融機関以外が保有する現金、金融機関の保有する現金、金融機関が日銀に開設している当座預金の合計を指します。当然ながら日銀当座預金は預り金であり、日銀には信用を付与する必要はなく、信用創造は無用ですから、預かったままの現金が積まれているはずだからです。

 ゆえに、「現金」は統合政府の発行した通貨、つまり、マネタリーベースを表すものになります。すなわち、をマネーストックとする説とマネタリーベースとする説が存在します。

②マーシャルのk

 k=M/Y

 つまり、Y=PQ=M・(1/k)、kはVの逆数。

 フィッシャーの交換方程式やマーシャルのkで表現しようとしているものは、P(物価)とM(マネーストック)は大体比例するが、それがズレる場合は、「生産物の量」または「所得速度(または貨幣の流通速度)」が変化しているからだということになります。

 しかし、そもそも、「P(物価)とM(マネーストック)比例する」という命題も現実とは合っていないのであり、それを取り繕うために、屋上屋を重ねて所得速度やマーシャルのkなどが考案されたのです。

 しかし、新古典派は、貨幣数量説において貨幣の回転数の説明をすることによって、図らずも、多くの者に、マネーストックを増加させるときに、貨幣が分配される先が誰であるのかによって、貨幣の回転数が上がったり下がったりするのではないかという疑問をいだかせたのです。

 その疑問が的外れなものでなければ、貨幣量の増加は、物価の変化だけに影響を与えるというわけではなくなります。

 貨幣数量説は、貨幣発行が無意味であるという方程式により、貨幣の増刷に反対するために考え出された理論でしたが、それは、貨幣の増刷はインフレをもたらすからです

 マネーストックの増加によってインフレが起これば、富裕層の貯蔵された貨幣および債権の実質価値を減少させてしまいます。すなわち、富裕層がやっと手に入れた「資本の希少性」をキャンセルされてしまうのです。

 これまでも、インフレは、投資家と債権者という利子生活者からなる富裕層とその用心棒の新古典派経済学が躍起になって防止しようとして来たものです。

 これに対して、ケインズは、むしろ、積極的な財政政策および貨幣量の増加政策によって起こるインフレに対して、経済成長をもたらす役割を与え得ると断言したのです。

 ケインズは、マーシャルやピグーやリカードの例を出しながら、新古典派経済学は、現実にはあり得ない市場を想定し、その中で議論にすぎないとし、そこに現実の常識が入り込むと、新古典派経済学は覆されてしまうと言っています。

 そして、ケインズは「利子率、所得と利潤との区別および貯蓄と投資の区別を導入しないかぎり,物価形成の過程について,いかなる現実的な洞察も得られないと思われる」と言い、古典派経済学の敷いた最も基礎的なルールである貨幣数量説からの離脱を宣言しました。

 貨幣数量説からの離脱において、ケインズの言ったことで重要な点は、貨幣量をいくら増やしても、そしていくら政府支出をしても無駄だとする財政均衡の理論は分配先を考慮していないからで、分配先を低所得者や貧困層に変えることで、「利子率、所得と利潤、貯蓄と投資」はこれまでとは別の動きをし、物価形成の過程について、経済成長をもたらす役割を与えると断言したことです。

 貨幣数量説は、マネーストックやマネタリーベースの量という統計に表れる貨幣数量と、経済成長の関連を否定的に見ようとする企てであり、それから導き出される結論は常に悲観的なものです。

 しかし、ケインズは、必ずしもそうではないことを言うために、マネーストックを、取引的動機による保有貨幣(M1)と投機的動機による保有貨幣(M2)に分けて、経済成長のメカニズムを説明しました。

※ただし、ケインズのこのM1、M2という記号の示すものは、日銀がマネーストックについて、預金の流動性を基準にして分類しているM1、M2の意味とは異なります。)

 ケインズは、マネーストックの変動ではなく、取引的動機による保有貨幣(M1)の比率が高まることで経済成長すると主張しました。

 取引的動機による保有貨幣(M1)は、貯蔵する余裕がなく、すぐに使ってしまう貨幣ですから、低所得者や貧困層の持つ貨幣であり、また、すぐに使われるM1を狙って、投資家は投資を増やそうとしますが、その投資される貨幣も仕入れに使われるので取引的動機を付与されることになり、M1となります。

 こうして動き出したM1こそが速度を持って回転する貨幣です。M1だけが速度を与えられるのです。

 ゆえに、貨幣数量説に代わって、ケインズの方程式は次のようになります。

 ③ケインズのM1による(GDP)の方程式

 Y=PQ=M1・V

 こうすれば、Yが増大する様子を、現実と一致するように説明出来ます。

 そう考えることで、インフレが起こるときは物価Pだけが上がるのではなく、個人が消費しようとする保有貨幣(M1)や物価の上昇、それを察知した投資家の取引的動機による保有貨幣(M1)が増え、そのことによって経済成長が始まるというように説明出来ます。

 だから、貨幣数量説から離脱した理由は、マネーストックだけを問題とするのではなく、マネーストックの中の取引的動機による保有貨幣(M1)と投機的動機による保有貨幣(M2)の区分の必要性を議論の焦点とするためです。

 この区分は現在のマクロ経済学の基礎になっています。

 企業の利益は投資家すなわち株主(配当)、債権者、地主、内部留保に分配されます。内部留保金は、株価を形成し、それもまた投資家のものになります。

 そのとき、インフレが起こっていれば、インフレによってその富裕層への配当や利子で得た貯蓄残高(マネーストック)の実質価値は減少させられて行き、すなわち、富裕層への貨幣の集中はインフレよってキャンセルされます。

 よって、インフレは富裕層の安定した生活を脅かすので、倶に天を戴かざる敵であり、反対に低所得者や貧困層にとっては国民の平等をもたらす天の恵みです。

 さらに、第二の効果として、インフレによって需要の存在が認識されます。

 そして、そのことによって、企業の投資が増大し、完全雇用が達成され、賃金が上昇し、取引的動機による保有(M1)が増大し、そのことがスパイラルして、またインフレの要因となり、経済成長をもたらします。

 ゆえに、企業の投資を増大させるためには、インフレに誘導する制度的枠組みの改革を含む財政政策および金融政策が絶対に必要なのです。

 どのような時代であろうと、どのような政府であろうと、貨幣の発行と低所得者や貧困層への所得再分配政策をサボタージュし、インフレを回避しようとするような政策はすべてニセモノです。

 M1とM2の分析は、消費性向と貯蓄性向に大きな関連性があります。

 しかし、消費性向と貯蓄性向はフローの問題であり、M1とM2は今ストックされている貨幣の区分の問題です。

 日本では、国民の平均の消費性向は0.7で、貯蓄性向は0.3という統計がありますが、これは所得から消費に使われる比率が消費性向ということであり、税金の支払や貯蓄になり、消費に使われなかった比率が貯蓄性向ということであり、現在までに累積されたマネーストックの全体の中で今現在の貨幣の保有動機であるM1とM2が0.7対0.3で分かれているわけではありません。

 しかし、消費性向が高まれば、M1が増えるという相関関係があることは容易に想像が出来ます。

 消費性向とM1とは正の相関関係にあるということは言えますが、だからと言って、関数関係にあるということまでは言えません。

 しかし、M1とM2の存在を想像することは、マネーストックという統計ばかり見ていても何も判らなかったものが、少しは判るようになります。

 すなわち、マネーストックを増やすことそのものが重要なのではなく、その中でもM1を増やすように心がけなければならないこと、そして、M1を増加させる方法は、消費性向を高めることにあるということくらいは分かるようになります。

 M1とM2の考え方導入されたことで注目すべきは、貨幣数量説におけるような、マネーストックを増やす政策はどんなものでも同じであり、単に物価を上げるだけの役に立たないものであるという新古典派の主張が否定されたことにあります。

 そして、政府支出のみならず税制や社会保障制度によって低所得者や貧困層を助けるための政策、つまり、マネーストックの内のM1を増やす政策が行われるならば、低所得者や貧困層のみならず、国民全体の消費性向の上昇をもたらし、格差が縮小し、平等に近づくだけでなく、そのことによって経済成長をもたらすことが示されたことにあります。

 

 

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