東京一極集中外部不経済

 

 歴代の中央政府の仕組んだ東京一極集中政策によって、地方は、立地やインフラの競争力の弱体化、それによる投資や人材の流出という、外部不経済を被っています。

 外部不経済は公害などの第三者に対する被害に用いられる経済用語ですが、現在の日本の地方が被っている地方衰退は、まさに、ますます強化されている東京一極集中の中で、地方への無関心という第三者的被害として発生しているものです。

 地方衰退は、ハッキリとした被害なのです。

 堺屋太一氏は、『東京一極集中は、昭和16年9月に帝国政府において帝国国策遂行要領を決定し,国家の頭脳機能(中枢管理機能,情報発信機能,文化創造機能)は東京一極に集めるという政策によって、政府機能はもちろん企業の本社機能や情報・文化の発信などの東京一極集中がありとあらゆる方法で実行されたからだ』と言っています。

 すなわち、東京一極集中は意図的に行われて来たということです。

 これに追い討ちをかけるように、日本の公共投資は東京に集中し、現在もその方針に変わりはありません。

 地方は自分で金を稼げとか言う人がいますが、では、東京は自分で金を稼いで来たのでしょうか。

 東京が発展したのは、徳川幕府が立地し、江戸に公共投資を集中したことに始まります。

 また、いわゆる交通の要所が栄えるのは、最初に誰かがそこに道路を作ったからです。道路がよその土地を通っていたら、そこは栄えなかったはずです。バイパスが通ったために衰退した旧道沿いの町や通りはいくつもあります。

 これは、常識として理解しておくべきですが、東京の発展は、はじめに公共投資ありきなのです。

 国交省の「都道府県別完成工事高」(建設工事施工統計調査・18年度)によると、全国で行われた公共工事14兆4000億円のうち、東京都は1兆3500億円となっています。約10分の1が東京都です。関東圏では3兆4000億円になります。約4分の1が関東圏に投下されていることになります。公共投資の集中度は、人口の集中度と一致しています。

 今となっては、公共工事の地域割合と人口の集中度が一致しているのは、公共工事の割合に添って人口の集中度が変わって行ったからなのか、人口の集中度に添って公共工事の割合が変わって行ったからなのか、誰にも分からないでしょう。

 しかし、少なくとも、公共工事の地域間の割合の決定は、政策によって行われたことは確かです。

 そして、歴史的に、地域としての東京が公共投資を最優先で独り占めして来たです。

 したがって、今日、人口流出が続く地方が、国に対して国庫負担だけによる大都市以上の公共投資を要求することは、正当な権利であると言うことが出来ます。

 さらに、今、どんな公共投資でも地方負担金というものが課せられる制度になっています。ところが、地方の田舎に行けば行くほど財政状態が悪いので、地方負担金を支払う能力はありません。

 したがって、地方負担金という制度によっても、地方の田舎に行けば行くほど公共投資は出来ない仕掛けになっているのです。これでは、いつまで経っても、地方が再生出来るはずがありません。

 もし、本当に、「地方創生」が地方の復活をめざすものだと言うのなら、なによりも最初に、地方負担金制度を廃止すべきです。

 都市に生活する者は都市に集中して公共投資を行ってもらいたいでしょうが、都市にばかり公共投資を行われたのでは、地方で生活することが不利になるという外部不経済が起こってしまいます。

 自民党は地方創生などと言っていますが、地方の公共投資を増やさないのなら、地方創生はニセモノです。

 地方の特色を活かすだの、地方の努力を支援するだのというアイデアはオタメゴカシにすぎません。

 地方の基幹産業は農業と公共事業しかないと言われ、あたかも、地方の公共事業は財政のタカリ屋のように言われていますが、では、個人における住宅の建築は家計の無駄使いなのでしょうか。

 どの家庭でも、住宅は夢のマイホームであり、生涯をかけて行う大事業なのです。家計において住宅建設は大事業であることからも、国家においても、インフラ整備が国家の大事業となるのが当たり前です。

 公共投資は、国民にとっての家作りなのです。そして、国民はどの家(地方)に住んでいても、快適な生活を送れることが理想のはずです。

 一般的な家庭では住宅を建てるときは30年間とか35年間とかの長期ローンを組みます。一生かけて家を建てるのです。

 それと同様に、国民は生涯をかけて子孫に引き継がせる国土を創り上げなければなりません。

 先進国の証は社会保障、および、ライフラインと言われるインフラの質の高さにあります。

 社会制度や国土は子孫に引き渡され、子孫はまた生涯をかけて子孫に引き渡すための社会制度や国土創りに精を出します。このように、社会制度や国土は未来永劫創り続けられ、子孫に引き継がれるのです。

 政府債務残高について「子孫にツケを残す」という言い回しがされることがありますが、政府債務残高とは通貨発行残高(政府によるマネーストック増加政策)であり、その結果は物価の上昇にすぎないので、返済義務を意味するツケなどではありません。

 すなわち、政府債務残高によって子孫に残すものは、物価水準とその成果であるインフラだけです。

 元来、公共投資は国家の基盤であり、国土と国民を安全に維持するためのマイホーム創りそのものですから、どのような国であろうと、公共投資が基幹産業であって当然です。

 そして、また、公共投資によって、製造業や商業その他の生産拠点が立地出来るようになり、第二、第三の基幹産業が生まれます。

 東京の一極集中もまた、「はじめに公共投資ありき」であり、公共投資によって、人口の東京への流入を促し、第一の基幹産業である公共事業に加えて、第二、第三の基幹産業を呼び込んだのです。

 東京にだけその方法が許され、地方には許されないとするのは、矛盾以外の何者でもありません。

 

 

発信力強化の為、↓クリックお願い致します!

人気ブログランキング