固定資産税はルサンチマンのミスリード

現在、固定資産税が多くの人に支持されています。もっと、固定資産税を高くしろという意見もあるほどです。資産を持たない層に、もともと、資産家が負担するのは当たり前だというルサンチマンがあるからです。官僚はこれを利用して、1994年に固定資産税を重税化したわけですが、しかし、残念なから、固定資産税は富裕税(総資産から総債務を引いた純資産に課税)ではなく、債務超過の物件にもかかる応益税=外形標準課税であるので、本来のルサンチマンは果たされていないのです。固定資産税には富裕層の余剰金を懲罰する機能がないにも関わらず、あるかのようにインプリンティングされ、錯覚させられているということです。
つまり、本当の金持ちは株式や現金預金で資産を保有する余力があるので、彼らは悠々と生き延びることが出来、ローンであこがれの不動産を買った企業や個人の小市民が借金の返済と固定資産税で苦しんでいるわけです。しかも、土地価格が下落することで、地域全体が財産価値を失い、地域全体の担保力がなくなり、地方は貧困に陥りました。しかし、いまだに、固定資産税が支持され続けているのは、資産を持たない層の体感として、隣の家を持っている奴は損をしているが、自分は別に損をしていないので、ザマー見ろということだからです。まさにルサンチマンであるわけです。

マスコミも、マルキシズムにおける地主階級こそブルジョワであり、地主階級が没落することは良いことだというインプリンティングを継続していますが、本当の金持ちには全く触れないわけです。本物の富裕層は、大企業の株式や債権、銀行預金を保有しているため、外からは見えないこともありますが、マスコミのスポンサーであり、マスコミそのものであるということが最大の理由でしょう。

固定資産税は富裕層にかかる富裕税だというインプリンティングされ続けることによって、このルサンチマンはある種の満足感を与えられているわけですが、ところが、実際は、自分たちに給料を払っている地元のそこそこの金持ちグループ(中間層)が没落しただけで、自分たちに給料をくれない大企業や本物の富裕層の所得が守られ、その結果、格差は開くばかりで、当の自分たちは貧困化するばかりとなりました。
この例は、本来のルサンチマンのターゲットである本物の富裕層ではなく、ルサンチマンが隣の中間層つぶしにうまく利用されたと言うことであり、非常に愚かな結果となってしまっていますが、国民は、自らのルサンチマンではなく、ターゲットを間違ったことを反省すべきと思われます。なにしろ、間違ったことによって、自分自身が不幸になったのですから。このように、ルサンチマンはミスリードされ易いのです。世界史でも、このようなルサンチマンのミスリードは多く見受けられます。

それでも、金持ちに対する嫉妬や恨みといったルサンチマンが間違っているとは思いません。それは何かの改革の方向性を指し示していると見るべきではないかと思います。

人間の本能として、完全な平等に対しては拒否反応があり、住み心地の良い社会を創るためには、ある程度の優勝劣敗が必要であると思いますが、しかし、一方で、ある程度の結果平等も必要とされているのは確かです。このバランスがどのように取られるかが政治そのものです。ルサンチマンが良い方向に向かうか、悪い方向に向かうかは、マスコミによるインプリンティング次第という現実がありますが、最近では、インターネットによる学習もなかなか捨てたものではありません。

いずれにせよ、政治家にとっては、ルサンチマンの良し悪しが問題なのではなく、この民衆のエネルギーをどうするかが問題であると肝に銘じるべきと思われます。確かなこととして言えるのは、ルサンチマンを否定したのでは、政治的に負けるということです。