自治体の破綻は財政均衡派による見せしめにすぎない

 

 一般的に、通貨発行権を持つ政府の財政破綻という言葉に何か意味があるとすれば、ハイパーインフレ以外にありません。

 通貨発行権を持つ国家の財政破綻は、企業のようなデフォルト(債務不履行)のタイプとは異なり、ハイパーインフレのタイプになります。

 この二つのタイプは明確に区別されなければなりません。

 ところが、情け無いことに、日本では、大学ですらこのような財政破綻の区別を教えていません。

 世界各国においては、金本位制が終わり、管理通貨制度に移行したことを契機に、国内経済は中央政府の無限の通貨発行権の下に置かれることになりました。この通貨発行権は、大国ほどその威力を発揮します。

 大国とは、生産力があらゆる部門にまんべんなく存在するという性質を持つ国を言います。例えば、日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、ロシア、中国などです。

 国土が広く、人口が多ければ、様々な産業の発展によって、いつかは、生産力があらゆる部門にまんべんなく存在するという性質を持てるようになります。よって、国内で大量生産された商品だけで、国内需要において要求されるほとんどの種類や物量を満足させることが出来るようになります。

 小国は、通貨発行権を持っていても、国土面積や人口の制約から、生産力をあらゆる部門にまんべんなく存在させることが出来ず、どうしても、中間財や消費財の重要な部分を輸入に頼らざるを得ません。

 したがって、小国においては、自国政府の通貨発行の結果起こるインフレの貿易への影響が、国内経済にとって重大なものとなります。

 小国においては、インフレ率が高くなれば、短期的に必要な物資の輸入価格は低くなるものの、人件費が上がるので、輸出競争力は下がり景気に悪い影響を与えます

 中長期的には自国通貨の為替レートが下がり、輸出競争力は元に戻りますが、ただし、それまでの間の国民生活が耐えられるものかどうかが問題です

 特に、小国においてハイパーインフレが起これば、国民生活に不可欠の消費物資が入らなくなる可能性があり、国民生活は困窮し、中長期的な展開を待つゆとりはありません。

 したがって、ハイパーインフレが起らないように、財政政策、金融政策などによる通貨発行は控えめにせざるを得なくなります。

 しかし、大国では、ハイパーインフレが起こったとしても、輸入できなくなれば、輸入できない物資について、例えば、ガソリンを輸入したければ、国内で大量生産した電化製品などと引き換えに輸入することも出来るし、国民全体でモノやサービスを互いに融通し合うことで乗り切ることが出来ます。

 ところが、せっかく、日本は大国の資質を備え、生産力において優位な立場を与えられているにも関わらず、あたかも小国であるかのようにハイパーインフレを恐れ、さらに、インフレまでをも恐れています。これは大変奇妙なことなのです。

 他国特に先進国は自由気ままにインフレを起こし、余裕しゃくしゃくでインフレを乗り越え、適当なところで長期金利を上げたり下げたりしながら、景気の波乗りを楽しんでいます。

 しかし、日本では、あたかも、インフレになることは、地獄がやって来るかの如く恐れられ、それは「財政破綻」とか「ハイパーインフレ」とか呼ばれ、絶対にインフレにならないような極端なデフレ態勢が組まれています。

 通貨発行権を持たないギリシャ政府や夕張市の財政破綻は、ハイパーインフレとは異なります。

 EUにおけるギリシャ政府には通貨発行権が無く、ギリシャ政府の財政の地位は地方自治体と同じものです。したがって、ギリシャ政府に起こる財政破綻はデフォルト(返済不能)を意味します。

 デフォルトした場合のギリシャでは、EUが財政の不足分を補ってくれない場合、外からモノを調達出来なくなり、ある分野の行政サービスのストップが有り得ます。

 これは、企業や家計の、お金がなくなれば、他人からモノやサービスを調達できないといったことと同じ意味の財政の破綻となります。

 ただし、この破綻は、通貨発行権を掌握しているEUがギリシャ政府の財政の不足分を補わないというサボタージュから起こるものであり、ギリシャの財政がEUの通貨発行権によって保護されていれば、財政破綻は起こりません。

 北海道の夕張市もギリシャと同じ立場になります。夕張市も日本政府の持つ通貨発行権が行使され、愛情をもって保護されていれば、財政破綻などは起こりませんでした。

 しかし、夕張市は破綻し、2007年に国の管理下に入り、財政再生団体として353億円の借金の返済を続けています。

 その財源と称して、市税や公共料金を値上げされ、医療などのサービスも縮小されました。

 刮目して見るべきは、この場合、日本政府が財政の不足分を補わず、見放したことによって、外部からモノやサービスを調達できなくなり、デフォルトが起こったということです。

 このような地方自治体の財政破綻では、自治体の運用する行政サービスの公共料金が上がることはあっても、民間から調達する消費物資については、地域内の高いものを買う必要は無く、域外から調達すれば良いので、物価が上がることはないということです。つまり、インフレになりません。

 しかし、ギリシャ政府にせよ、夕張市にせよ、地方政府とは何かを考えた時、地方政府が、中央政府の国民に均等な行政サービスを行うための端末組織であるからには、端末組織を財政破綻するにまかせることは、中央政府のサボタージュという外ありません。

 通貨発行権を持っている国家と言うものは財政に関して万能であり、容易に、地方自治体の破綻を救うことが出来ます。

 そして、本来、自治体というものは、国家が国民に対して行う普遍的な行政サービスを代行する代理人にすぎないものですから、自治体の破綻の責任は国家にあり、自治体の破綻は国家がその代償の全てを支払わなければならないはずなのです。

 すなわち、金本位制から管理通貨制度の世の中になり、通貨発行権を国家が独占したからには、通貨発行権と地方財政の分離はナンセンスなのです。

 その上に、ギリシャの場合、EUの一員であると言っても、EUはそもそも国家としての機能を持っているかどうか、どれだけの責任を負っているのかどうかさえ怪しいのであるし、さらに、ギリシャ国民は、民族的にはドイツやフランスに比べてマイノリティーであり、ドイツ人やフランス人がギリシャ人に対して同胞意識を持っているとも思われません。

 ギリシャがEUを信じるには根拠が薄すぎ、また、ギリシャがEUに加入したときに通貨発行権を引き渡したのは危険すぎる行為でした

 ギリシャの場合、EUを信じたことがそもそもの失敗であったということが出来ます。

 ところが、夕張市は違います。正真正銘の日本人であり、同胞意識は十分あります。日本人の全てから共感や同情を得られる条件が全て揃っています。そして、また、夕張市および夕張市民は、日本国民の一部であり、はるか昔から通貨発行権者の一部を担っています。

 しかも、夕張市の人々は全員が怠けていたわけではありません。日本国民として普通どおり働き、普通どおりの生活をしていたはずなのです。夕張市の住人に落ち度があったわけではありませんから、懲罰を受けるべき何の理由もありません。

 夕張市の財政破綻の責任は一つしかありません。それは、夕張市長が、中央政府の緊縮財政政策に対して、夕張市への所得再分配のやり方に対する異議申し立てを行わなかったことにあります。

 おそらく、無能な夕張市長、冷酷な政治家や公務員は、その議論さえやっていないでしよう。

 それなのに、なぜ、夕張市民が責任を取り、税金や公共料金を上げられ、医療や福祉を削られなければならないのでしょうか。どう考えても、それは不合理でしかありません。

 夕張市の人口1万人で353億円を返済しているようですが、こんな返済金などは、地方交付税を増やせば簡単に終わってしまいます。人口1万人の所得を減らし、増税して貨幣を回収したところで何ほどにもならないでしょうに、なぜ、日本政府は夕張市の負債を帳消しにしてやるという、その何の造作もないことをしないのでしょうか。

 このような、日本政府の夕張市に対する仕打ちは、日本政府の明治以来培われて来た意地の悪さが発揮され、通貨発行権を行使して所得再分配を行うという使命をあえてサボタージュし、服を一枚脱がしたり、コメを一合削ったりしているだけであり、いうなれば、財政均衡主義による嫌がらせという以外、理由は無いのです。

 日本政府は、財政危機を煽る財政均衡主義の都合上、わざと、夕張市民を見殺しにし、本当は起こり得ない財政破綻のサンプルとして見せしめにしているのです。

 

 

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