④搾取の問題を解決できない有害なだけのマルクス主義

 

 マルクス経済学の基礎は、投入された労働の量によって商品価値が決まるという労働価値説にあります。

 しかし、労働者は、この商品価値つまり労働価値を受け取るのではなく、資本家の取り決めたわずかな労働の対価を受け取るに過ぎません。労働価値の内の労働者の対価を上回る分が剰余価値と言われ、剰余価値が資本家による労働者からの搾取であるということになります。

 一つの企業の中で剰余価値に当たるものは、売上から仕入費と賃金を支払った残りですから、利益、利払い、地代の合計になります。

 だから、労働者が働いて創り出した剰余価値は利益、利払い、地代に分配され、それぞれ投資家、債権者、地主に搾取されていることになります。利益の範囲は内部留保金と配当」とする場合もあるし、「内部留保金、配当、利子、地代」とする場合もあります。これらに共通するものは、内部留保金と配当は資本の貸与料、利子は借入金の貸与料、地代は土地の貸与料で、無償の所得移転であり、搾取と呼ばれるというところです。

 仕入れ費には水道光熱費などの一般管理費と減価償却費までを含みます。減価償却費を利益のように言う人がいますが、これは機械の購入費の経費への分割算入にすぎません。

 しかし、現実の社会においては、一つの企業の中で一定の量の生産が行われていたとしても、商品価格は市場原理で決まり、売上も一定ではありませんから、労働者が働いて創り出した剰余価値も、一定のものではないことになります。

 市場では、同一の商品でも価格競争があります。この時点で、すでに、剰余価値説の理論と現実との矛盾が生じています。さらに、企業に赤字が出ている場合は、この矛盾が決定的なものになります。

 ワルラスは限界効用理論によって、商品の価格が、市場の状態や生産量等によって変化していく様子を説明しています。

 ワルラスの理論が時間軸などの詳細な部分で批判を受けていることはともかくとして、それまでの労働価値説が理論的に批判されたことはとりあえず画期的なことでした。

 価値には労働価値以外にも、使用価値、交換価値、効用価値などいろいろな考え方があります。そうすると、商品の価格は相手側の必要性や販売する時間や場所のみならず、観察する角度によっても変化することになります。

 そうすると、労働者は、自分がどれほどの価値のある商品を作り出しているか判らないということになります。

 つまり、それらのことによって、労働価値を計測することが不可能となるのです。

 すなわち、搾取は概念上存在するが、計測で捉えられるものではないという結論にならざるを得ません。

 そして、現実面で数値化できないものを全廃することなど出来ませんから、搾取の全廃も概念上存在するだけで、数値的に計測することは出来ません。これがマルクス主義の致命的弱点であることは前にも述べました。

 ところが、必ず、どのような共産主義革命にも指導者が現れ、搾取の全廃を宣言します。要するに、ウソを言うのです。

 革命が達成された後、指導者は、もはや搾取は存在しないと言いながら、自分たちが必要な物資を優先的に手に入れることに専念します。

 ソ連の官僚の中からノーメンクラツーラと呼ばれる特権階級が生まれ、彼らは、別荘やクルーザーを買い、贅沢な生活を手に入れ、豊かな生活を謳歌しました。それは、現代の投資家・債権者などの富裕層が、自分たちの巨額の所得は頑張ったことの報酬であると居直ることと全く同じものです。

 そして、世界中のあらゆる共産主義国において民衆の不信感が渦巻き、革命が崩壊したのです。

 だからと言って、民衆側もまた、いかなる懸命な民衆といえども、搾取を数値化出来ないことから、その特権のどこまでが正当なものであり、どこからが不当なものであるのかを判断することは出来ませんでした。

 これらの混乱は、剰余価値説における、搾取が全廃出来るという公理(許容されている仮定)が間違いであることに起因しています。

 ところが、これらの公理がこれほどまでに現状との乖離が明確であるにも関わらず、日本の労働運動において、今日に至るも「搾取の消滅」というテーマが不可能なものであることが認識されていないのは奇妙という外ありません。

 左翼があくまでマルクスの剰余価値説の誤りを認めず、搾取の全廃にこだわることは、むしろ、現実の搾取に対応して何かの手を打とうとする努力をサポタージュする口実になっているだけのように見受けられます。

 多くのマルクス主義政党を見ても分かるように、マルクス主義が新自由主義者に経済学的にさんざんに論破され、国民の支持を失うといった状況に対しても、マルクス主義者たちは何の経済学的論争もしていません。

 マルクス主義者は安っぽい所得移転型の政策を羅列するだけで、新自由主義者が撒き散らしている「財政均衡は所得再分配政策に優先すべき」といったロクでもない理論への反論を持ちませんし、それどころか、そうした理論を積極的に受け入れている始末です。

 マルクス主義者は、そのことが自らの存在の意味を失わせるという危機感も持たないばかりか、その危機を感じ取る能力も持たないかのようです。

 

 

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