公務員給与がそのままの数値でGDPに算入される理由

 

 経済評論家の中には公務員給与が増えるとGDPも増えるので、したがって、公務員給与が増えると国民豊かになると言っているオッチョコチョイがいますので、その勘違いを完結させておきます。

 公務員給与GDP統計においては民間企業の役員報酬と労働者の賃金を含めて雇用者報酬としてまとめられている場合が多いのですが、ここでは、公務員給与と民間給与(民間企業の役員報酬と労働者の賃金)の二通りに分けて表現します。

 公務員給与と民間給与では、GDP統計の支出面と生産面で振り分けられて行くところが異なるからです。

 つまり、公務員給与は、支出面では政府最終消費支出へ、生産面では政府サービス生産へ振り分けられて行きます。政府サービス生産者は国、自治体など全ての公共機関です。

 また、生産面では民間部門と政府部門は区別され、民間部門の付加価値生産としての「産業生産」と、政府部門の付加価値生産としての「政府サービス生産」に分けられています。

 私たちは、GDPは国の経済的な豊かさを表す指標だと習って来ましたが、実際には、経済的な豊かさを貨幣の動きだけで表現することには少し無理があります。

 しかし、経済学の立場からは、貨幣の動きで見る以外に目盛に当たるものがないので、止むを得ず、物資の量を貨幣の動きで測らざるを得ないという事情があるのです。

 そこで、GDPを貨幣の動きで表現することに同意しても、それでも、なお、現在のGDP統計は豊かさや物資の量を正確に表すための努力が足りないのではないかという不信感が残ります。

 それはGDP統計への疑問を並べ立てればキリがないと考える中で、とりわけ、公務員給与を増やせばそのままの数値でGDPが増えるという摩訶不思議が存在するからです。

 「生産面のGDP」においては公務員給与が政府サービス生産(政府の生産した付加価値)としてそのまま表現されていますが、なぜ、本来「分配面のGDP」であるはずの公務員給与が、政府サービス生産と名前を変えただけで「生産面のGDP」にそのままの数値でカウントされているのかについて考えます。

 「生産面のGDP」の統計は政府(中央政府および地方政府)と民間(企業および個人商店)の全ての経済主体の生産した付加価値を総合計したものです。

 そして、本来は「生産面のGDP」に加わるものは、各生産主体の「生産-中間財」A-U)という付加価値生産の総合計でなければならないはずです。

 民間給与は付加価値に含まれていて民間給与の変動は付加価値の変動に吸収されます。

 つまり、「付加価値=生産-中間財=民間給与+利益」となり、他の要素と無関係に民間給与を増大させても、利益が減少するだけで、付加価値の数値は変化しません。(配当、地代、利払いは資本家の取り分である利益から分配されるものなので利益に含みます。)

 ゆえに、民間給与を増大させても、そのままGDPになることはありません。

 つまり、普通の企業では、Aを売上、Uを中間財、Fを賃金、Rを利益、Yを付加価値とすると、(Yの総合計=GDP、マクロ経済ではY=GDPと表現する)

A=U+F+R

よって、付加価値は、

Y=A-U=F+R

となります。

 ところが、政府は経済主体の一員ですが、民間と違、「利益」という概念がありません。つまり、利益は常に0です。

 ゆえに、

Y=A-U=F

となり、政府においては雇用者報酬(F)がそのままGDPになってしまうのです。

 ゆえに、公務員給与はそのままの数値で、生産面においては「政府サービス生産」の一部として、分配面においては「雇用者報酬」の一部として支出面においては「政府最終支出」の一部として、GDP統計に計上されす。

 それでは、政府サービス生産の評価はどのように行われるのでしょうか。

(1)政府サービス生産は利益R(黒字なのか赤字なのか)と言う概念がないので、利益Rを受け入れるかどうかの消費者の審判はなく、消費市場において有益性量る価値は判りません。

(2)そこで、政府に限り、消費者による商品価値の評価(売れ行き)を無視して、公務員給与(F)そのものを付加価値と見なして統計をとることにしているのです。

(3)しかし、それによって、公務員給与の増減は、消費者の審判としての民間の付加価値と同様の増減と見なされてしまい、あたかも、市場の中で試された他の商品と同じ意味の価値のあるものと錯覚されてしまいます。

 しかしそもそもの政府サービス生産の価値を試そうという議論は存在しません。(国や自治体は国民への行政サービスを減らしているのに、不釣り合いに公務員給与が高いといった不満や指摘など。)

 次に、政府全体における付加価値(A-U)の計算方法としての側面も説明しておきます。

 今までの説明の他に、政府サービス生産には、民間にはない追加される特別なものがあります。

 それは「生産・輸入品に課される税」です。

 ゆえに、政府サービス生産=付加価値=原価=「政府支出−中間財+生産・輸入品に課される税」となります。(法人税や所得税は民間経済主体の経費に計上されませんから、その経費を支払った相手である政府の所得にも計上されません。)

 ただし、政府の発表するGDP統計では、「生産・輸入品に課される税」「政府サービス生産」に含まれていなくて、調整項目で処理されているかも知れません。しかし、売上という概念で言えば、「A-U政府サービス生産」に含まれていても問題はないので、ここでは付加価値として表現しました。

 中間財(U)、「原価=政府支出=政府最終消費支出+公的在庫品増加+公的固定資本形成」の中に存在します。

 それでは、「中間」はどう計算すれば良いでしょうか。「中間」は、「政府生産」の一部である「政府支出=政府最終消費支出+公的在庫品増加+公的固定資本形成」の内の、他の経済主体に支払われたものを言います。他の経済主体とほほとんどが民間企業を指します。

 「公的固定資本形成」は、道路建設などの公共投資の内、土地取得費や補償費などを差し引いた、構造物の建設費用などのGDPにカウントされる支出のことですが、土地取得費補償費は調整費として、構造物の建設費用は公的固定資本形成としてその全額が他の経済主体に支払われています。

 「公的在庫品増加」は、いわゆる在庫投資のことであり、その全額が他の経済主体に支払われています。

 「政府最終消費支出」は、公務員給与(雇用者報酬)と、消費財支出(事務用品、光熱費、現物社会給付など)、固定資本減耗」からなります。

 この内、消費財支出だけが他の経済主体に支払われるものであり、公務員給与(雇用者報酬)外部に支払われず、政府内で分配されます。

 固定資本減耗は誰という特定はないものの減耗という名の外部に支払われます。

 以上から、政府の中間財は、「調整費」、「公的固定資本形成」、「公的在庫品増加」、「政府最終消費支出の内消費財支出」「固定資本減耗」となります。

 よって、

 ①「政府生産」=「公的固定資本形成」+「公的在庫品増加」+「政府最終消費支出」+「固定資本減耗」+「生産・輸入品に課される税」

 ②「中間」=「公的固定資本形成」+「公的在庫品増加」+「政府最終消費支出の内、調整費と消費財支出」+「固定資本減耗」

 よって、

 政府の生産した付加価値=①-②=「政府最終消費支出の内の公務員給与」+「生産・輸入品に課される税」となります。

 ちなみに、「生産・輸入品に課される税」とは消費税、関税、酒税、事業税、固定資産税のことで、政府内部で作られた付加価値とは言えないものなのですが、つまり、民間からの無償の所得移転にすぎないのですが、民間がこれらを経費として会計に上げるからには、誰かが売上に上げなければなりません。それが政府だというわけです。

 だから、実際、「生産・輸入品に課される税」においては 政府における「公務員給与および「生産・輸入品に課される税」は、政府サービス生産に利益という概念がないことから、GDP統計のほとんどコジツケと言える解釈によって、付加価値の内、本来「企業であれば原価とされるもの」、政府サービス生産のGDP統計における付加価値と見なされているにすぎないのです。

 また、「分配面のGDP=雇用者報酬+営業余剰+固定資本減耗+生産・輸入品に課される税」という統計の取り方もあり、あたかも、雇用者報酬の中で公務員給与と民間給与が同等であるかのように言う者もいますが、しかし、民間給与と営業余剰は一方が増えれば他方が減ると言うバーターの関係になっているために、民間給与を減らせば、GDPが減るなどと言う者はいません。

 ところが、公務員給与の場合は、公務員給与がそのまま付加価値に加算される積上方式であり、バーターとなる相手が無いので、公務員給与が上がればそのままGDPが上がります。

 これについて、公務員給与が上がればそのままGDPが上がるので喜ばしいと言うオッチョコチョイが現れる始末ですから、この話は、例えば、政府サービス生産の付加価値査定委員会などを作って、大して働いていないと思われれば公務員給与の何%だけをGDPに参入するといった制度を作った方が良いでしょう。

 この理由で、公務員給与の増減は、国民の豊かさを量るものとは言えないどころか公務員給与の増加をそのままGDPの生産面に加算することは基本的にGDPを把握する指標として間違っています。

 もちろん、公務員給与の高さが国の経済的な豊かさを表すものではないのと同じ理屈で、つまり、利益は無償の所得移転ですから、利益がGDPに加算されている限り、「民間給与+営業余剰」経済的豊かを表すことはありません。

 民間給与の場合は、税制も勘案して、国の生産量に対して労働者の労働が過小評価されていないかどうかの議論を行わなければなりません。

 その民間給与の正当性(高いか安いか)の議論を基盤として、「公務員給与」、「営業余剰」、「固定資本減耗」、「輸入品に課される税」の正当性が必然として議論されるはずです。

 だから、現在使用されているGDPに参入されるいろいろな指標は、妥協に妥協を重ねた暫定的なものにすぎないのです。

 民間企業が国民を豊かにするものとして生産した付加価値を量ろうとするのであれば、政府においても、国民を豊かにするものとしての政府のサービス生産額を測る指標が提案されなければ、付加価値の計測の意味はないはずです。

 民間企業が国民を豊かにするものとして生産した付加価値を量るためには統計から利益を除外しなければなりませんが、役員給与もまた特権的であり、単なる所得移転になっている場合も多いので、それはかなり困難なことです。ケインズは、賃金財という「賃金で買われる生産物」の概念を導入することを提案していますが、同様の困難に突き当たっています。

 ちなみに、公務員に所得として分配されることで消費に使われ、乗数効果によってGDPを押し上げると考えることは出来ますが、これは、生活保護世帯などへの所得移転によって消費に使われGDPを押し上げるという意味と同じであり、そうであるならば、所得水準が高く、よって消費性向の低い公務員家庭より、消費性向の高い貧困層への給付額の増加や、貧困家庭の純所得の増加に繋がる減税政策を行った方がよほど高い乗数効果があり、GDPの押し上げ効果があります。

 したがって、貧困層や貧困家庭への給付という、もっと高い乗数効果をもたらす給付先があるのに、それを差し置いて、公務員給与は高い方が良いなどという言い分はあり得ません。

 

 

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