②「バブル崩壊」の定義は「間接金融の停止」

 

 将来予測に基づいて、たとえば、自分が頑張ればこうなるといった投資家たちの自信によるものも含めて、過剰な投資が行われることがあります。

 それをバブルと呼べば、世の中はバブルだらけということになります。すなわち、過剰な投資の存在だけではバブルとは言えないということです。

 バブルには実体の無い泡のようなものと言う意味がありますが、この定義ではあいまいすぎて、結局のところ何を表しているのか判りません。

 何か意味のある定義を試みるならば、バブルの一般的に流通している意味としては、すなわち、少なくとも必要条件としては、「結果として将来予測をはずした、それゆえ、結果として過剰であった投資群」ということになります。

 したがって、後から振り返って見て、それがバブルの真只中にあったとしても、真只中に居る者にとっては、それがバブルなのかどうかは判らないのです。バブルは、崩壊してようやく、後でバブルだったと判ります。

 したがって、「バブル」とは、「バブル崩壊」によって定義され、「バブル崩壊」の直前の状態を指しているに過ぎないということになります。

 それでは、一般に通用する理論として、「バブル崩壊」はどのように定義されるべきでしょうか。一部の投資家が現金で買ったものが値下がりし、無一文になったとしても、それだけでは、バブル崩壊とは言いません。

 それだけでは、一部の投資家の「結果として、将来予測をはずした、それゆえ、結果として過剰であった投資群」というだけの、したがって、必要条件を満たしたにすぎず、一部の投資家だけが将来を読み間違えて損をするに留まります。

 資産価値の下落によって、当の所有者が損失を出すだけではなく、二次災害として、金融機関などの債権者が債権を回収できなくなり被害を受けますが、これも債権者が自己資金で処理してしまえば問題ありません。損失を出した銀行の株価が下がるだけです。

 つまり、ここまででは世間もそれほど騒がないし、「バブル崩壊」とは言わないのです。

 ところが、金融機関の損失の補填を政府に求められ、その結果、政府が全国的な規模で金融機関の融資を停止させると決定した時に、はじめて、十分条件としての「バブル崩壊」と呼ばれている状況が起こります。

 そこで初めて、それ以前の資産の値上がりがバブルであったと、後付においてバブルという評価が、晴天の霹靂の如く「出現」するのです。

 よって、「バブルの崩壊」の定義は、金融機関が政府の政策に従って、国民経済の規模で融資を停止するということになります。

 つまり、「間接金融の停止」です。

 実際、間接金融が平気な顔をして融資を実行しているときに、世間がバブル崩壊で騒いでいるということはあり得ません。

 ゆえに、誰が「バブルの崩壊」の引き金を引くのかというと、あるいは、引き起こすことが出来るのかというと、それは政府なのです。すなわち、バブルすなわち「バブルの崩壊」はそのときの政府の政策に外ならないのです。

 実際に、中国はバブル崩壊を選択しなかったので、バブル崩壊は起こっていません。金本位制の頃は、政府に条約に縛られない自由な通貨発行権は存在せず、むやみに通貨発行を行えば交易できなくなり、恐慌になりましたが、管理通貨制度で変動相場制の現代では、バブルを崩壊させる必要性はなくなっています。ケインズは、管理通貨制度になれば世界から恐慌はなくなるだろうと予言しています。

 経済学者の中にも、バブルを総括するに当たって、金融機関が無謀に行った土地担保融資というやり方に責任を押し付けようとする者が居ます。

 すなわち、金融機関の無謀な土地担保融資が回収不能となり、金融機関の資金力が不足し、倒産の危機を迎えると、預金の払い戻しが停止されたりすることがあるのですが、それは全て土地担保融資の失敗であり、それを行った金融機関の責任であると言うのです。

 しかし、金融機関の倒産の危機で他人に迷惑をかけるからどうだと言うのでしょう。

 どんな企業でも倒産の可能性があり、他人に迷惑をかける可能性があります。それを忌避していたら、経済活動は出来ませんし、経済成長も出来なくなります。

 それでも、金融機関の融資には欠点が多く、そのためにバブルが発生し、国民経済が危機に陥るので、政府が金融機関の融資を規制し、「バブルの崩壊」に至らせしめるのは止むを得ないと言うのなら、次の解決策はどうでしょうか。

 例えば、国民Aが国民Bから100億円の土地を買い、金融機関がその土地を担保に国民Aに100億円融資したとして、その後、地価が50億円に下がると、50億円が回収不能になり、政府が金融機関を救済するために(または預金を保護するために)、50億円の公的資金を注入したとします。

 その注入によって、金融機関は元のように金融機関としての預金保護の責任が果たせるようになります。

 このとき何が起こっているかを考えると、

①国民B(土地の売主)が100億円を保有していること、

②国民Aは時価が50億円に下がった土地を保有していて、100億円の負債が返済不能になっていること、

③政府は政府債務を50億円拡大し、国民の預金を守るために金融機関に50億円の公的資金を注入していること

の3つです。

 そのどれも経済に悪いものとは思われません。国民Bが100億円を保有していることについては、じっと持っているだけなら、経済に何の影響も与えません。

 国民Aが、時価が50億円に下がった土地を保有していることについては、その土地を売り払い50億円が金融機関に返済され、残りの50億円は金融機関の損失になりますが、国民Aの役割はそれで終わりであり、どこにもそれ以上の影響を与えません。

 政府が政府債務を50億円拡大して、金融機関に注入したことについても、金融緩和政策を行ったことと同じことであり、あわてる必要はありません。

 いっそのこと、その50億円を金融機関にやってしまっても構わないくらいです。そういうところは中国を見習えば良いのです。

 この一連の事件によって、景気が悪くなる可能性があるとすれば、まさに、政府債務が50億円増えたことに対する政府の国民への懲罰に存在するだけです。

 すなわち、間接金融を停止させ、国民を困らせるか、増税で穴埋めして国民を困らせるか、どちらかの方法によって国民を困らせることが「バブル崩壊」と呼ばれるものです。

 正に、自民党政府は国民に対して「バブル崩壊」の責任を取らせ、「バブル崩壊」の懲罰を行ったのです。

 政府が慌てて政策を誤れば、国民は不幸になり、政府が、政府債務が50億円増えたことに対して何もせずにじっとしていれば、それだけで何も起こらないはずです。

 政府債務が50億円増加したので、その50億円分の財政支出を取りやめたり、低所得者への課税で回収したりしようとするから、景気が悪化し、国民が苦しむことになるのです。

 日本の1990年の「バブルの崩壊」に至った原因は自民党政府によって予定されていたものでした。

 つまり、自民党政府は、「バブルの崩壊」以前から財政支出を削減し、低所得者から貨幣を回収したくてウズウズしていて、その時期が来たので待ってましたとばかりに実行したのです。

 「バブルの崩壊」の原因は、自民党政府が財政支出を削減し、低所得者から貨幣を回収したいという怨念を過去から抱え込んでいたことに始まります。

 そして、バブルになりつつあるときに、それに紛れて働者の賃金を減少させる消費税を導入し1989年、さらに、「バブル崩壊」とやらのインチキ芝居を打って、もともとやりたかった財政支出削減を行い、間接金融を無力化するBIS規制および固定資産税重税化による地価下落つまり担保力破壊政策を行い、中小企業、低所得者、貧困層から貨幣を奪ったのです。

 すなわち、デフレ化政策を強行したのです。

 自民党は国際投資家たちの傀儡ですから、その使命によって間接金融を潰し、増税で低所得者と貧困層から貨幣を回収するチャンスを窺がっていました。

 国際投資家たちの手下である自民党は、金融政策面において、間接金融の停止をやりたくてウズウズしていたのです。

 間接金融を停止させれば、あらゆる投資は、国際投資家たちの直接金融の独断場になります。

 つまり、冷静に考えれば、間接金融の主な拠り所である土地担保融資は、それこそ一般的な国民とりわけ中小企業の拠り所であって、それが無くなれば、国民および中小企業は溺れ死んでしまいます。

 間接金融停止を行い、デフレ化政策に転換したことで、国民はまさに溺れ死にそうになっています。

 デフレ化政策を止め、むしろ中小企業への貸し込みを拡大し、インフレに誘導すれば、政府債務だけでなく金融機関の債務の増加分などはたちまちインフレによる実質債務の減少の中で解消します。

 それでも、バブルが金融機関の不動産担保融資が原因で起こったことであり、諸悪の根源は不動産担保融資にあると言うのなら、そういう人たちには、融資する金融機関の側として、不動産担保以外にどのような担保が信じられるというのか、聞いてみたいものです。

 不動産に代わるような担保が存在するなどという話は空想のものです。つまり、金融機関はどのような場合でも不動産担保融資を行うのであり、それは不健全な融資活動などではありません。

 バブルの現場における当事者的な感覚としては、民間の投資の暴走ということがありますから、バブルの責任は民間自身であると言われがちですが、しかし、民間の投資の暴走などは良くあることであり、いちいちバブルだと言っていたらキリがありません。

 「民間の投資の暴走」とは好景気の別の表現にすぎません。

 そして、民間の投資活動に対し、間接金融が加勢します。それが間接金融の役割です。

 そして、しばしば、これまでも不動産ブームや株投資ブームだけでなく、規模の小さなものではマイカーブーム(自動車)や果物や野菜などの農作物、衣料品など、または文化コンテンツに関するブームが起こって来ました。

 こうしたものにも、金融機関は積極的に融資しました。投資ブームの中でも、バブル期の不動産ブームは規模の大きなもので、だからこそ金融機関もそこにチャンスを求めて全力で参加したのです。

 金融機関の融資活動もまた民間の経済活動ですから、出来るだけの利益を出そうとするのは当然です。民間企業として全く間違っていません。

 金融機関の行動は責められるべきではなく、責められるべきは、政府の対応の仕方です。

 1990年の総量規制という政府の命令、または1994年の固定資産税の重税化という資産政策や、1993年のBIS規制などによって金融機関の融資活動が止められ、一瞬にして、民間とりわけ中小企業の投資活動が止まりました。こんなことをされては、バブルでなとも、普通の経済でも潰れてしまいます。

 このようなことまでやってしまうはきちがい沙汰です。

 中小企業の投資は雇用と賃金を通じての国民への所得の分配でもありますから、あらゆる所得の分配が止まり、消費活動もまた減少してしまいまったのですこれも自民党政府の予定通りです。

 消費活動を減少させることが、すなわちデフレ政策だからです。

 例え、どのような大規模な資産の値上がりであろうと、政府の総量規制によって、全ての金融機関にその種類の資産に対する融資を止めさせれば、いつでも、どのようにでも資産価値を暴落させ、経済を崩壊させることが出来ます。

 「バブル崩壊」はそのようにして政府の命令によって「バブル崩壊」の引き金がかれました。そのとき始めて「バブル崩壊」がドカーンと音を立てて始まったのです。

 すなわち、愚かな政府が総量規制の号令を出し、間接金融が止まった日が「バブル崩壊」の日です。

 

 

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