①景気回復は地元建設業の安定雇用から

 

 日本が簡単に公共投資を増やせない理由の一つに、長い間公共投資が削られ続け、建設業が廃業や縮小を繰り返した結果、建設工事の能力が損なわれて来たことがあります。

 生産能力が足りないことは「供給制約」などと表現され、短期のことしか興味のない経済学者から、無責任にも、あたかも自然現象のように言われていますが、これは人のやったことであり、自然現象ではありません。

 すなわち、自民党が建設業の「供給制約」を作り上げて来た張本人なのです。

 公共投資は、1998年から1999年の小渕内閣の14兆9000億円をピークに、2000年の森内閣時代、2001年から2006年までの小泉竹中構造改革時代と減り続け、2009年の麻生内閣の時だけわずかに増加したものの、その後も2009年の後半から2012年の後半までの民主党政権時代も削られ続け、2012年には6兆2000億円にまで減少しています。その結果、建設業者数は、小渕内閣時代に60万社あったものが、2012年現在で48万社に減っています。

 業者数の減少だけでなく、生き残っている建設業者も資産の売却、設備の縮小、熟練工の解雇によって、各々の能力を縮小していますから、全体の工事能力は半減しています。

 公共投資を行おうにも、小泉竹中構造改革で仕事を減らされて来たので、それを請け負う能力までもが破壊されてしまっているのです。

 現在、東日本大震災で工事が間に合わないということからも分かるように、災害が起こっても直ちに対応できないほどに、日本の土木建設業は脆弱になっています。

 よって、国土強靱化のテーマは、インフラという資産の形成だけでなく、インフラの供給力の回復までを含まなければなりません。

 つまり、一時的に公共工事を出すという形式ではなく、地元建設業が安心して設備投資や雇用の拡大が出来るように、指名入札制度や談合を復活させ、公共工事を安定して受注する仕組みを再構築しなければならないのです。

 現在の世論としては、談合は悪いことだと認識されていますが、しかし、談合とは、まず、発注者の国や自治体が一定の技術、設備、雇用、担保(事故があったときの賠償能力)を持った企業を指名し、指名された企業グループが公募された公共投資に対して、なるべく入札価格の叩き合いをしないようにし、話し合いで応札者を決めると言うものです。

 企業側から見れば、投資しただけの努力が認めてもらえ、収益の期待も見出せることになります。

 談合を認めると、請負価格が安すぎるため赤字になるということがなく、今度はいつ工事が取れるのかの予定も立ちますから、長期に渡る建設機械などの設備投資や、雇用などの人的投資も出来るようになり、安定した雇用を創る地元企業になることが出来ます。

 そのことによって、利権構造が出来上がろうが、地域のボスが生まれようが、気にする必要はありません。栄枯盛衰はいつの世でもあることであり、どのようなグループが報われるのが正しいかなどと考えるのはナンセンスです。それよりも、どのようなグループであろうと、地域の安定した雇用を創ることの方が重要です。

 もし、談合のやり方に違法行為があれば法律で罰するべきであり、例えば、政治家がいれば汚職が生まれるので、汚職を無くすためには政治家を無くせばということにはならないのと同様に、(政治家を無くして一党独裁にすれば良いという人もいるかも知れませんが)、違法行為があったとしても、違法行為を無くすために、談合制度を無くせば良いということにはなりません。

 また、安定した雇用を維持するためには、官民協議して安定的に公共投資を出さなければなりません。

 日本には現在の老朽化した橋やトンネルだけでなく、ダムや堤防の不足、ガードレールや歩道のない道、自動車が離合出来ない狭い道、整備されていない用水路、老朽水道管などが無数にあります。100年や200年、公共投資を続けてもまだ足りません。

 また、安定的な公共投資を続ければ、一部の業者が安定的に仕事を得て、格差が生まれるという意見もありますが、そうさせないために、法人税や所得累進課税が存在するのです。それでも、事業家は安定的な仕事があれば不服を言うことはありません。

 むしろ、法人税や所得累進課税が存在することで、事業家やその継承者は、課税や検査の過酷さから謙虚さを学び、他人の役に立たなければ自分の存在価値は無いということを思い知り、次第に欠点のない愛国者になって行くことでしよう。

 しばしば、一方で、法人税や所得累進課税が高ければ努力した者が報われないと言い、他方で、安定的な収益を上げれば格差が生まれると言う人がいますが、法人税や所得累進課税を低くして、そのくせ、安定的な収益を認めないというのであればそれはもうデタラメなわがままと言うしかなく、んなものはギャンブルの世界にしか妥当しません。

 ギャンブルの世界が、人間が住むための最も正しい社会だと思う人は結構多いようですが、彼らの理論を人間社会の常識としてはいけません。

 同じような理屈で、競争しなければ、建設業者が不当な利益を得ることになると言う者がいますが、しかし、入札基準価格は、発注者である自治体が適正価格という基準で決めるのですから、建設会社が不当な利益を得るかどうかは、自治体の能力次第であって、自治体がしっかり適正価格で入札基準価格を定めれば不当な利益など出るはずがありません。

 価格が不当に高くなるのは、贈収賄があるからで、これは贈収賄を取り締まる警察行為によって解決すべきものです。入札制度まで変えてしまうのは、一種の魔女狩り(冤罪)であり、緊縮財政派の言いがかりにすぎません。

 あるいは、建設業者に競争させて、原価割れするほどの努力をさせろと言います。それが国民の利益になると言うのです。

 しかし、建設業者も国民の一人です。国民の一人に損失を出させて、それによって他の国民が利益を得るというのは、あさましく、恥ずかしい考え方でしかありません。

 民間でさえ双方が良くなる関係が望ましいとされているのに、このようなあさましい考え方を、公益性の高い公共投資に持ち込むべきではありません

 入札価格について利益が出ないような価格の叩き方をするのは、大企業や外国企業が、日本国内の中小の建設業者を困らせ、あるいは、中小の建設業者を潰したいからにすぎません。

 地元の中小の建設業者が潰れれば、上場企業のゼネコンや外国の建設会社が有利となり、株価が上昇し、外国から来た国際投資家に儲けるチャンスが生まれます。

 最近では、橋の架け替えなどの中規模から大規模と呼ばれる工事は、地元建設業者ではなく、ゼネコンが落札しています。

 ゼネコンは、ほとんどが上場企業であり、また、事務員から現場作業員まで自社の社員を使いますから、地元の雇用に繋がりません。

 これに加えて、TPPでは公共投資の国際入札も検討されていますが、外国企業が利益を出すためには、国内の下請け企業の下請け価格は叩かれることになりますから、そうなればますます中小企業は利益を出せなくなります。

 また、国際入札に得意な企業が現れて、本来の建設業の能力とは別の能力が必要になったりするでしよう。国際入札代行業も現れるかも知れません。

 そうすると、国際入札代行業を儲けさせることが最も重要な課題になり、全ての建設業は国際入札代行業者の下請け同然となり、地元の建設業は使い捨ての日雇いに過ぎなくなりますから、到底、地元建設業の安定雇用には繋がりません。

 日本国民には公共投資のお金の落ちる建設業者ばかりが儲かっているという僻みがあり、その僻みを利用して、談合が廃止され、公共投資が削られて来ました。

 しかし、公共投資の削減で建設業者が貧乏になった時に、確かに、国民は溜飲を下げたようですが、国民自身もまた貧乏になったのです。

 振り返って見れば、証券市場の投資家ばかりが儲かる世の中よりも、建設業者が儲かり、社長が運転手付きの高級車に乗り、毎晩繁華街を飲み歩いていた頃のほうが、国民全体の生活は豊かでした。建設業者の儲けなど、まったく大したものではなかったのです。

 それにも関わらず、なぜ、証券市場の投資家よりも、建設業者の利益のほうが気に入らないのかというと、建設業者は隣の住人であり、投資家は雲の上の住人だからです。

 私たちは、雲の上の大富豪よりも、隣人のわずかな幸福を妬むのです。そのことが、今日の日本国民の間違った選択を招き、自分自身の不幸を招いたのです。

 新自由主義の竹中平蔵氏と日本共産主義諸政党は、隣の住人のわずかな幸福に対する嫉妬心を利用するのが上手いところが似ています。

 新自由主義の小泉竹中構造改革以来、公共投資は、現在、完全競争入札になってしまいました。入札があるごとに、赤字でも落とそうというカツカツの建設業者によってダンピングが行われ、しかも、最低入札者が多い場合はくじびきで請負業者が決められていますから、まともな建設業者が安定的に受注出来なくなっています。

 当然、建設業者の安定的な投資や雇用もありません。

 自民党は慢性的に財政が逼迫しているので、地方に公共投資のバラマキが出来ないなどと、まだ言っています。

 バラマキとは、低所得者や貧困層に対する減税であり、給付であり、公共投資であり、差別なき貨幣の再分配です。それのどこが悪いのでしょうか。

 自民党は経団連の手下であり、富裕層の手下ですから、富裕層が儲かることを差し置いて、低所得者や貧困層にバラマクことが出来ないのです。

 しかしケインズは、低所得者や貧困層へのバラマキを実行したときに始めて、その後から経済成長と言う結果が付いて来ると言っています。

 公共投資は国家の基盤であり、国土と国民生活を安全に維持するためのインフラですから、どのような国や地域であろうと、公共投資が基幹産業であって当然なのです。

 

 

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