②恐怖の人頭税

 

 竹中平蔵氏は、『日本の論点,99』(文芸春秋、1998年11月10日発行)において、『(所得税の減税においては)最高所得税率水準としては当面40%程度を目指すが、その際、法人税率と同水準にするという点に、もう一つのポイントがある。また将来的には、完全なフラット税、さらには人頭税への切り替えといった、究極の税制を視野に入れた議論を行うことも必要だろう。』と言っています。

 最高所得税率を法人税と同じにするということは、最高所得税率を法人税まで下げるという意味です。そうすれば、株主は配当金をいくら増額しても損得はなくなります。

 人頭税とは、各個人に対し、収入に関係なく、一律に課される税のことです。老人や病人は除くとか、収入の無い者は除くとかの特例があれば人頭税ではないという言い逃れされることもありますが、そもそも、収入に関係なく、人間として存在しているという理由(生きていれば必ず行政サービスを受けるので行政サービスの対価として課税るという理由)によって課税される税金が人頭税であって、多彩極まる特例措置に惑わされてはいけません。

 この竹中平蔵氏が政界に登場するのは、第一次小泉内閣からです。小泉純一郎氏が竹中平蔵氏を気に入って、というよりも、おそらく、国際金融資本系の機関から押し込まれ、国民の幸福になんら関心のない小泉純一郎氏が竹中平蔵氏に経済財政政策担当大臣の地位を与え、日本のすべての経済政策を丸投げしたのです。竹中平蔵氏はやりたい放題のことが出来ました。

 そして、この竹中平蔵氏の主張する人頭税は、日本の税制の中で『住民税の均等割』および『森林環境税』という形で実現しています。(人頭税かどうかの判定は、人間存在一個当たりに課税する税であるということです。金に色目はないので、税の使途は関係ありません。)

 この二つとも、小泉内閣の経済財政担当大臣、内閣府特命担当大臣として、竹中平蔵氏が関与しています。

 森林環境税は小泉政権下の2003年4月の高知県をスタートに全国の都道府県で導入されました。森林環境税は、年齢や収入によって段階づけられているものの、基本的に一人当たりいくらで課税されるもので、正真正銘の人頭税です。

 税制は国民生活の基礎を形作るものですから、必然的に、新自由主義者にとっても、税制は最も重要な体制変革の手段となります。

 そして、新自由主義の旗手である竹中平蔵氏はフラット税化や人頭税化を推進したのです。

 ちなみに、フラット税は比例税とも呼ばれ、応能税の中にあって、所得税の累進制をやめ、どんなに高額所得者でも低所得者と一律の税率によって課税するというものです。これによっても、高額所得者の負担が減少し、低所得者の負担が増大します。

 応益税とは、所得の高さや利益などから生まれる担税力を無視し、モノの外形標準に課税する税金です。消費税と固定資産税が代表的な応益税です。人頭税も応益税です。

 今、応能税のフラット税化が行われつつあり、さらに、応益税が徐々に拡大されつつあります。

 そして、これらのフラット税や応益税が、富裕層から貧困層へ税負担移転する最も強力な手段となっているのです。

 さらに、竹中平蔵氏は税の理想は人頭税であると言っています。そして、現代の日本では、人頭税が、わずかではありますが、住民税の均等割、森林環境税という形で、税制に侵入して来ています。

 人頭税は、古代から封建時代にかけての時代には多くの国で導入されていましたが、現在ではほとんどの国で採用されていません。所得が無くてもそこに住んでいるだけで課税されるのですから、そのため、困窮した庶民は逃亡せざるを得ませんでした。

 近年では、イギリスでサッチャー政権時代の1990年に導入されましたが、国民世論の反発が強く1990年11月22日に辞任する一因となり、1993年に廃止されました。

 税金を行政サービスの対価と見なし、課税の形式的平等を唱える立場を徹底すると、人頭税が最も合理的な税制ということが出来ます。

 しかし、現実に人頭税が導入されると、低所得者にとって生きて行けない重い負担となることにより、格差が極大化し、社会不安を招きかねないことから、新自由主義の立場をとる論者の中でも主流の論調となっているわけではないようです。それほど恐ろしい税金であるということです。21世紀の現在、世界にその例はありません。

 しかし、日本の経済学者は誰も人頭税の導入に異議を言いませんでした。こうした無神経は、日本の経済学者たちに特有のものであり、日本では外国で取り上げられないものに対しては聞く耳を持たず、どんな重要なものでも無視するのです。

 竹中平蔵氏が税の理想として人頭税を考えていることは、彼自身、世界でもかなり急進的な新自由主義者の一人であることを示すものです。

 現在ではこうした制度を採用している国はありませんが、しかし、いまだに竹中平蔵氏が日本の政界に対して有力な言論人であることを考えれば、そして、日本の政治家や経済学者が当てにならないことを考えれば、本格的に導入される可能性を否定できないわけで、日本国民にとって警戒すべきことです。

 竹中平蔵氏が改革に口出しした部門は企業競争力、雇用制度、金融制度、そして税制に及びます。

 竹中平蔵氏が、なぜ、こうも広範囲に渡って口出し出来たかと言うと、まず、小泉純一郎氏や安倍晋三氏のバックアップがありますが、何よりも、政治家や経済学者の無知が最大の原因です。

 政治家や経済学者の誰も、竹中平蔵氏のマンガのような屁理屈に対抗するほどの知識も無かったので、諸々の経済政策だけでなく、経済学的な議論そのものが、竹中平蔵氏にとってはさえぎるもののないブルーオーシャンでした。アメリカの国際金融資本も、日本の経済政策が簡単に変えられて行くので、マンガを見ているかのように、笑いが止まらなかったでしょう。

 近年導入された「住民税の均等割」、「森林環境税」などの人頭税化に対して、日本では、反対運動などの有効な批判はありませんでした。それどころか、政治家も経済学者もぼんやり立ち尽くしていただけだったのです。

 そして、あらゆる各都道府県の知事たちと言えば、誰も例外なく、財源が増えることは良いことだと言うばかりで、負担者である都道府県民の生活など考えずに、諸手を挙げて賛成しました。

 日本は、中央政府から基礎自治体に至るまで、竹中平蔵氏に同調して、競って国民からむしり取ることばかりを考えているかのようです。

 都道府県のホームページでは、森林環境税は、森林や河川を守るためといった使途を懸命に説明して応益税としての妥当性を説明していますが、課税の妥当性として、使途は何の関係もありません。

 森林整備に限らず、予算さえ計上すれば、金に色目があるわけでもなく、(百歩譲って税収が財源であるにしても)財源はどこからでも良いのであり、法人税および所得税の増税でも良かったはずです。

 使途で課税が正当化されるのなら、この世に起こる森羅万象に関して、どのような税金も正当化されてしまいます。河川環境税、大気環境税、交通安全税、国民保護税、犯罪予防税、火災予防税など、いくらでもこじつけられます。

 そして、震災復興税も使途によって正当化する手口で新設されました。日本の政治家と経済学者の体たらくはかくの如しです。

 いくら政府債務を拡大し貨幣を発行し、震災復興費を支出したところで何のインフレ懸念も存在しない現在のデフレ不況の真っただ中であるにも関わらず、声高に財政危機が叫ばれ、挙句の果てに低所得者にも課税される復興特別所得税が創設されたことは、私にとってはめまいを催すほどの衝撃でした。

 ところが、日本中の政治家や経済学者の誰もめまいを起こさなかったのです。これもまたかなり衝撃でした。

 

 

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