②応益税の乱用

 

 現在、「応益税」の課税理由はゆるくなってしまい、「応益税」が乱造されています。

 どのようにゆるくなっているかというと、今日、「応益税」というのは、「その物に対して何らかの行政サービスがあるはずだから、その物の外形標準に課税する」という説明しか行われなくなっているのです。

 その「何らか」とは何かということについて、日本中に誰一人、具体的な「調整されるべき格別な行政サービス」や「懲罰されるべき社会への悪影響」を説明出来る者がいないという有様です。日本の税制の議論はまったく行われなくなっているのです。

 そうした闇雲な議論の存在しない中で、応益税だからという言葉から来る印象だけで課税し、そして、赤字企業に対しても企業の生産する付加価値(利益ではない)を課税標準として、消費税と事業税重複して課税してしまうなど、もはや、混乱と言うしかない状態になっています。

 事業税が外形標準課税化されたことで、外形標準課税といえば事業税のことだと思われがちですが、外形標準課税の本来の意味は、利益や所得など担税力を計算するのに対して、担税力の分析しない、資本金、付加価値、人件費、床面積、価格などの外形標準に課税することを指しています。

 消費税、事実(強制される主体)は直接税の付加価値税であって、企業に課税する外形標準課税です。

 政府や財務省は、消費税を、企業が消費者から預かり、代理して納付する間接税だと言っていますが、税金を預かっているというレトリックが使われているだけであり、消費者としては差し押さえを受けたり、家宅捜査をされたりはしませんから、負担を強制されているとは言えません。つまり、強制を意味する税金の定義に合いません。

 消費税で差し押さえを受けたり、家宅捜査をされたりして、強制される納税義務者は企業であり、それゆえ、実体は企業にかかる付加価値税であり、すなわち、直接税です。

 付加価値とは企業内部で生み出された価値であり、付加価値が分配される先賃金と利益です。(ここでは便宜上、利払い、地代、配当金は利益に含んで考えます。なぜなら、それら資本の調達費用だからです。

 直接税で付加価値税である消費税と紛らわしいのが事業税です。事業税は、企業は地方自治体から何やらいろいろな行政サービスを受けているので、企業は地方自治体にその対価を払えという趣旨のものです。

 従来、事業税は、法人の利益(担税力)を課税標準としていたのですが、平成16年から資本金1億円を超える企業に限定して、課税標準を、利益だけではなく、外形標準にも適用できるようになりました。

 この外形標準には付加価値および資本金が含まれています。付加価値という課税標準は消費税と同じものであり、重複しています。

 また、外形標準として床面積を採用することも提案されており、それが実現すれば、建物の固定資産税とも重複します。あからさまな二重課税なのです。

 もはや、課税の現場はなりふり構わぬデタラメな様相を呈しています。

 このように、自民党政権が、手を変え、品を変え、外形に対するいいがかり的な課税を拡大しようとしているのは、完全に正当な課税であるところの、企業利益に課税される法人税や個人所得に課税される累進型所得税をあきらめ、逆に、騙されやすい社会的弱者を餌食にしようとしているためです。

 財務省としては、企業利益や富裕層の個人所得を守ろうとする政治家が増えており、それらの政治家と闘うのはますます困難になっているのに対して、中小企業や労働者を守ろうとする政治家がいなくなったので、取りやすい中小企業や労働者から取ることに同意しただけのことであって、こと無かれ主義の官僚の本領が発揮されたというだけのことです。小泉構造改革を見れば判るように、総理大臣が本気でやろうと思えばどんなことでも出来るのであり、官僚は総理大臣に仕える身分の者にすぎません。財務省自身が政策的な意思を持っていると思うのは見当違いというものです。

 税制に関する謀略は、1989年の冷戦終結と、1990年のバブル崩壊を契機として始まりました。あるいは、1985年のプラザ合意からとも言えるし、2001年の小泉内閣からだとも言えます。そのために、中小企業を守る砦は徐々に解体されて行ったのです。

 事業税の外形標準課税は資本金1億円を超える企業に限定されているので、自分とは関係ないと思われるかもしれませんが、地方の安定財源になるということで自治体から大歓迎を受けており、いずれ、中小企業の小さな資本金にも拡大されるでしょう。

 応益税は、政府や自治体の行政サービスの対価として課税する税であると説明される場合が多いのですが、(そもそも税金は行政サービスの対価ではありませんが)、事業税の対価に対応する行政サービスは存在しません。

 徴税当局はこれまでも、あらゆる税金は全て行政サービスの便益の対価だと説明していました。それならば、応能税も行政サービスの対価のはずであって、それと重複して、応益税の説明に行政サービスの対価という理由付けをするのでは、応益税を特徴付ける説明になりません。

 「応能税」の方は「能力に応じる」という意味ですから、名称としては正確に意味を表わしていますが、「応益税」は、国語的な意味で言えば、全ての税金を網羅してしまい、仕分けになりません。

 この用語の混乱が課税理由を曖昧にしている原因の一つになっていると思われます。「応益税」は次のように説明されなければなりません。

 それは、「応益税は、ある特定の行政サービスの受益が特定少数に格別なものとなり、不公平が生じている場合、公平を期すために、あえて、その特定少数者に受益者負担的に課税する税金、または、酒や煙草、ガソリンの浪費など「禁止するほどではないが社会的に好ましくないと考えられるものに対してそれを抑制するための税金」という説明でなければならないでしょう。名称は「特殊懲罰税」とするのが妥当でしょう。

 課税は全て懲罰的ですが、応能税には、法人の利益に対する懲罰として法人税が、個人の多すぎる所得に対する懲罰として累進的所得税が存在します。

 この枠を超えたところで応益税という区分が設けられるべき理由の説明が必要なのです。

 応益税は、もともと、「行政サービスの不公平を是正する」という役割、および、「贅沢や不道徳なものを懲罰する」という役割を与えられて来たことにより、あえて、担税力を無視した外形標準に課税する方法が正当化されて来たのです。

 したがって、応益税は全て外形標準課税であり、逆に、外形標準に対する課税はすべて応益税になります。つまり、応益税は、応能税と異なり、担税力を無視した特殊税金なのです。

 また、「全ての税収は行政サービスに使われている」と、財政均衡派が連呼していますが、このバカのような理論に上乗せされて、現在、税金の使途さえ決めておけば、あらゆる課税が正当化されるような風潮があります。

 消費税もまた社会保障のためという使途によって正当性が説明されています。

 これもまた、日本の経済学者がテレビで恥ずかしげもなく言っていることであり、まったく、日本の経済学者は頭がどうかしています。

 金に色目はないので、課税の正当性は、あくまで、課税対象と課税標準で決まるのです。

 消費税の実体は付加価値税であり、経営者が労働者の賃金から削り取って、税務署に収めるタイプの税金です。

 付加価値税の付加価値とは「賃金+利益」ですが、事実上の課税対象は労働者の賃金であり、経営者がどれだけ株主の利益を守り、どれだけ労働者の賃金を削れるかが、株主にとっては特権的権利ということになります。まったく、恐るべき手練手管の税金ですが、こうした税金は国民の心を荒ませます。

 日本中のすべての企業が、消費税が課税されても賃金から削り取るので、株主にとっては痛くも痒くもありません。だから、消費税の増税のたびに賃金は下がります。

 社会保障のもともとの意味が「弱者の救済」なので、強者から弱者への再分配が目的であり、したがって、その財源は法人税の増税か所得税の累進度強化しか有り得ないはずです。

 しかし、国民は、自民党、野党各派、マスコミなどのあらゆる勢力のプロパガンダによって、社会保障の財源といえば消費税しか思いつかないほどに洗脳されて来たために、そうした因果律に気付くことも出来ない程なのです。

 このことに気が付かないのは、日本人の教養の低さを表していると言われても否めません。日本では、欧米の教育と違って、社会の矛盾に気付いたり、疑問を持ったりする教育は行われていません。詰め込み教育だけであり、それで、世界のペーパーテストのコンテストでは毎年一位とか二位の得点の高さです。これを国民として誇りに思っているのは頭の痛いことです。

 そして、消費税が2014年4月から8%に、2019年10月から10%に増税された時も、経済学者や政治家から、反対の声はほとんど上がりませんでした。

 しかし、このように狂気の税制ばかりが決められて行ったのでは、国民はいつか自殺しなければならなくなります。

 応益税の代表例としては固定資産税と消費税の二つが上げられますが、固定資産税の内、建物と機械類にかかる固定資産税もまた消費税に劣らず国民経済に重大な影響があり、そして、不当な課税です。

 土地固定資産税は、道路建設によって接道する土地の値上がりで接道する土地の所有者が何もしないのに他の国民より格別な利益を得てしまい、そのままだと行政サービスの受益の度合いに不公平が生じるので、あえて行政サービス(道路建設)の副産物であるところの地価という外形標準に課税するものですから、応益税としての合理性が存在します。

 ただし、行政サービスによる地価の値上がりの含み益がすでに発生しているということはありますが、売却した時の売却代金、または、賃貸したときの賃貸料でなければ当座の担税を支払う原資はありませんから、お金が無い場合、土地を売らなければならなくなります。

 これは、値上がりしなかった部分の所有権を侵害することになりますから、未実現の「格別の利益」に対する課税方法をどうすべきかについては議論の余地が残ります。

 ただし、所有権の定義次第ですが、土地に関しては、所有権は制限されるという解釈も出来ます。

 しかし、土地の所有の制限が国との共有という考え方に基づいているのであれば、固定資産税のような金銭的な負担と言うことにすれば、収益の上がらない土地であるにも関わらず、民間という一方の所有者が自治体という他方の所有者に絶えず配当として固定資産税を支払い続けるというのは矛盾であるし、また、土地の所有の制限が国からの借地という考え方に基づいているのであれば、国や自治体への返還の自由も認められなければ理屈に合いません。しかし、現在、国や自治体への所有者の任意による譲渡は認められていません。

 だからといって、担税力が出来るのを待って、つまり、賃貸したときや売れたときに行政サービスの格別な受益分を上乗せして課税するのであれば、そのとき利益の全てを税金として取られる計算になるはずですから、納税者の抵抗が激しくなるでしょう。ゆえに、土地の所有者に長期間に渡って課税する現在のような固定資産税の方法も、今述べたような矛盾点はあるにしても、選択肢の一つとして認められないでもありません。

 いずれにせよ、地価に課税することには一定の合理性があると認識されているからには、あとは課税方法の問題であり、何かしらの知恵を出せば良いことになります。

 他方において、建物と機械類にかかる固定資産税は、土地と同じように固定資産税と呼ばれているのですが、建物と機械類には、土地の道路建設による地価の値上がりに見られるような「行政サービスの格別な受益」は存在しません。

 また、建物と機械類を持つことが社会に好ましくないと思うなら別ですが、そうでないならば、抑制を目的とする課税理由も該当しないことになります。

 そうすると、建物と機械類にかかる固定資産税は何のための課税なのかまったく判らなくなります。

 おそらく、建物と機械類にかかる固定資産税の課税の理由は、財務省であろうと、政治家であろうと、経済学者であろうと説明出来ないでしょう。

 「建物と機械には何らかの行政サービスがある」と繰り返すだけであろうと思われます。

 しかし、「何らかの行政サービスがある」だけでは、何にでも、あるいは、生きていることそのものにも課税できるので、そんなものは課税理由にならないことはこれまでも述べて来た通りです。

 消費税も何を目的としているのか分かりません。政府は、課税ベースを広げるためと言って、課税ベースを広げることそのものが大義名分であるかのように言っていますが、担税力の無いところに課税ベースを広げることに、どのような正当性が存在するのでしょうか。

 また、消費税を語る際に、他の国がやっているので正しいとする理屈があります。世界の趨勢として、税制は、直接税から間接税にシフトしているといった直間比率の変化などという意味不明な基準を持ち出し、間接税のシェアが高まっているのが世界の趨勢だと言ったりする者がいますが、世界の趨勢を課税理由に持ち出す者などは、自分で考えることを放棄しようとしているバカとしか思われません。

 他の国では、(消費税自体が間違っているとはいえ)、極端な軽減税率を採用し、生活必需品については生産の負担にならないように配慮され、事実上、贅沢品の生産だけを懲罰する物品税的なものになっています。

 生活必需品も贅沢品も全ての生産現場にほとんど一律の消費税が課税されている国は日本だけです。そして、そのことが、同じ消費税という呼称でも、その本質面において、他国とは異なる経済的な障害をもたらす税金としています。

 以上に列挙した通り、消費税および建物・機械類にかかる固定資産税の課税に関して納得できる説明が何一つ無いことは、それらが不適切な課税であることの証明となっていると言うことが出来ます。

 そしてまた、今、日本に存在する他の多くの外形標準に対する課税、すなわち、ほとんどの「応益税」についても、その課税理由は大変いかがわしいのです。

 もし、日本に「本来社会に望ましくない一部の者に集中する富、庶民とかけ離れた高額所得者の所得に懲罰課税を拡大しよう」と言う運動が高まれば、必ず同時に、「懲罰すべきではない所得への課税を廃止しよう」という運動がセットで付いて来るはずですから、一度やって見るべきです。

 懲罰すべきではない所得への課税とは、低所得者や貧困層に対する全ての税金です。さらに、今言ったような、担税力を無視した不合理な税金です。これらはいずれも普通の感覚で受け入れられるような税金ではありません。

 

 

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