①税金は政府支出の財源ではない

 

 金本位制から管理通貨制度になって以降、税金はインフレを防止するための貨幣の回収手段の一つにすぎなくなりました。

 いまや、税金が政府支出の財源になっていると思ってしまうのは、同じ貨幣という形式のものが入って出て行くことからもたらされる錯覚に過ぎません。

 入ることと出ることが互いに独立した無関係なものであることは、例えば、その年度の税収分が40兆円あったとして、それを全て現金に変え、国民の前で派手に燃やしてしまえば解ります。税収で得られた貨幣は燃えてなくなりますが、支出に支障はありません。

 もはや、金本位制の時の金(gold)とは違うのです。金本位制の時の金(gold)は海に捨ててしまえば、政府が支出をしようとするときの貨幣無くなってしまいます。他国が金(gold)以外の貨幣を認めないからです。

 ところが、金本位制ではなく、先進諸国の合意による管理通貨制度の現在、税金で回収した紙幣については燃やそうがどうしようが関係ないということは、貨幣が市場から消滅したことで税金の役割は終わっていることを意味しています。(通貨発行権を持たないギリシャ政府は、こうは行きません。)

 回収した貨幣を国庫に入れる必要はなく、消滅させれば良いという事実は、私たちに、税金は政府支出の財源では無いのではないかという考えを抱かせます。

 考えて見れば、管理通貨制度の現代において、貨幣と言うものはもともと政府が印刷して国民に提供しているものです。

 そして、金本位制または固定相場制の時代と違って、今の時代では、政府は貨幣をいくらでも印刷して創り出すことが出来ます。

 そうすると、思い付くことは、税収が少なくても、国債が売れなくて(借入できなくても)、貨幣を印刷して支出すれば良いのではないかというアイデアです。

 ケインズの弟子であるアバ・ラーナーが「機能的財政論」を唱えました。

 「機能的財政論」とは、政府財政については、企業財政のように赤字や黒字といった収支を気にする必要はなく、物価と景気に与える影響だけ気にすれば良いというものです。

 当然ながら、通貨発行権を持つ政府の財政収支に、企業会計のように赤字になれば支払いが出来なくなる等という意味はありませんから、アバ・ラーナーが言うとおり、政府の財政収支の黒字とか赤字とかには、貨幣の発行記録という以外に何の意味もないという考え方が正しいのです。

 財政収支の黒字を守ろうとする規範を財政規律と言いますが、財政規律は、もともと財市場の保有する貨幣すなわちマネーストックを増やしたくない口実に過ぎないものです。

 現在のデフレ派の主力は、国際投資家というグローバリストたちと、その走狗の自民党政府、および、財務省です。財務省IMFという政府とは別のルートで、国際投資家と密接な関係を持っています。

 財務省にとっては、基本的に財政均衡主義は財務省の存在感を高めるために都合が良いので。それ加えて、IMFや国際投資家経団連との交流も考慮に入れているでしょう。

 しかし、しょせん政治家に仕える官僚であり、人事権は政治家のものですから、政治家が決断すれば、あらゆるものについてそれに従わなければなりません。小泉内閣がそれを証明しました

 しかし、通常は、政治家は過度のコンプレックスから財務省のアドバイスを受けたがり、したがって、カビの生えたような古臭い財務省の財政規律の方針もまた政治家に受け入れられ、政府の政策に浸透しているのです。

 財務省は財政規律を持ち出すことで予算の主導権を握ることが出来、他の省庁に対する支配力を強めることが出来ます。また、政府内だけでなく、国民に対する支配力も強化することが出来ます。実際、財務省がそのポジションにおいて存在感を示すためには、財政規律を主張すること以外にありません。

 これは、他人の弱みを握り、嫌がらせをすることで、自己の存在を示そうとする無法者と全く同じ論理です。

 しかし、政治家が一念発起して、自民党政府や財務省のそうした内部事情を超越して、財政政策の財源を通貨発行権であると宣言すれば、一夜にして政府支出と税収のしがらみを切り離すことが可能です。

 政府はひたすら貨幣を発行して支出すれば良いだけであり、徴税部はひたすら徴税によって市場の貨幣を回収すれば良いだけです。

 支出と回収の二つのものが一致する必要はありません。気にすべきは物価の変動だけです。

 基本的な考え方として、政府は、国民生活や国防のために必要なあらゆるものを支出すれば良いのであり、そのとき、もし、物価が耐えられないほどに上がるのであれば、そのとき初めて、物価を調整するために、法人税と無所得累進課税を中心に増税を検討すれば良いだけです。

 政府はひたすら物価と景気変動、そして、国民が平等になることにだけ気を付けていれば良いのです。

 政府支出と税収とをバランスさせようとする努力は無意味であって、国民生活に苦しみを与えるだけです。そして、まさに、自民党政府が政府支出と税収とをバランスさせようとする方針を持ち続けているために、今、国民生活困窮させ国民経済を生死の淵に追いやっているのです。

 これは、おそらく、経団連を主なメンバーとする国際投資家グループの国民経済に対する方針であり、日本の通貨発行権を無力化し、日本労働者を国債投資家たちの草刈り場に再編成しようとしているのであろうと思われます。自民党の政治家たちがその走狗となり追従しているようです。

 大体、世界の労働者がそうした方向で再編成されつつあるようです。ただし、日本は飛びぬけてかなり急激に解体され再編成されつつあります。

 他の先進諸国においては、金本位制が廃止された1971年以降、政府財政の均衡を意識した財政運営は行われなくなっていますが、日本においては、財政均衡派の自民党が長期政権を続け、路線変更が行われることはありませんでした。これは日本国民が政権選択を通じて望んだものというしかありません。

 しかし、考えて見れば、人類史上におけるあらゆる政府支出の原資は、詰まるところ、最終手段としての武力による貨幣の徴収または現物の徴用ですが、それが、1971年以降、金本位制から離脱した資本主義国においては、専ら通貨発行によって物資を拠出させる方法が採用され、政府支出の原資は武力行使(徴税)ではなく通貨発行に転じています。

 過度の通貨発行はインフレをもたらします正に、インフレだけが終着点です。それ以外は何も起こりません。

 社会はその新しい物価体制で運営されれば良く、それ以外の新しい措置もまた必要ありません。

 そのことによって、政府は、すでに、貧乏人の家に行って、税金の徴収と言う名目で、労働力や穀物に至るまで取り上げる必要はなくなっているのです。

 ところが、自民党政府はいまだに馬鹿の一つ覚えの如く武力行使をやり、貧乏人の家に押し入って、貧乏人から労働力や穀物に至るまであらゆるものを取り上げようとしています。

 これは国民貧困化政策と言うべきもので、デフレおよび低賃金によって輸出競争力を上げるためのものです。

 インフレを回避するために、金持ちの家に行って貨幣を取り上げるのは、全体の国民生活の安定や平等の達成のためにもなることですから、その方が良いはずです。

 そのことに限っては依然として武力行使を背景にした強力な徴税権を行使すべきではあります。

 ところが、自民党は、税制を変えて、貧乏人の負担を増やし、金持ちの負担を軽くしてやり、金持ちに対してむしろ優遇してやっているのです。

 自民党は必要なことと逆のことをやっているのです。

 ケインズの当時のイギリスでも同じことであり、それに業を煮やしたケインズは、つまり、金持ちのロビー活動などによる抵抗が激しくて金持ちからの徴税がうまく行かないので、通貨発行権をもってインフレにすれば、事実上において、金持ちから富を取り上げることが出来ると考えたのです。

 つまり、通貨発行量を増やすことでインフレを起こせば、預金や債券の実質価値を下げることが出来、金持ちから徴税したことと同じ効果が得られます。なぜなら、インフレ税は金持ちだけが負担するからです。

 だから、金持ちはインフレを非常に恐れています。

 例えば、今、10億円持っているとして、デフレが続く限りその10億円の実質価値は安泰ですが、インフレになり、物価が倍になれば、保有する10億円の実質価値は分の1に減少してしまいます。だから、今10億円持っている者にとって恐ろしいのはインフレだけです。そのことからも、金持ちにとってインフレが不倶戴天の仇であることが判るでしょう。

 通貨発行権を行使すると、それは政府収支において現在の会計制度では赤字と表示されますが、それは市場への貨幣の供給量が増えたというだけのことであって、それ以外の何の意味もありませんから、気にする必要はありません。

 ただし、市場への貨幣の供給量が増えるのですから、市場においてはインフレ圧力が生じます。

 財政赤字でインフレ圧力がかかるのです。金持ちが財政赤字を忌み嫌っているのはそのためです。

 政府収支が赤字であるか黒字であるかが問題となるのは、このインフレバイアスであるか、デフレバイアスであるかという一点のみです。

 インフレ圧力を回避するために、国民からお金を取り上げ、お金を使わせまいとするものが税金です。

 特に低所得者や貧困層は、消費性向が高く、お金をたくさん使いますから、自民党政府は全力を上げて低所得者や貧困層からお金を取り上げ、低所得者や貧困層お金を使わせまいとしています。すなわち、国民貧困化政策す。

 通貨発行権を持つ資本主義国においては、インフレを抑制するための手段として、税金・社会保険料による「貨幣の回収」、および、対民間国債の発行による「貨幣の凍結」という2つの方法があります。前者は強制、後者は任意です。

 そして、このことが最も重要な点なのですが、この2つの方法は通貨発行権を持つ国家においては、インフレを抑制するためにだけ存在するのです。

 政府支出の原資が税金であるということが間違いである例証としては、税金による貨幣の回収がうまく行かなくても、行政サービスが変わることはないという事実を思い起こせば事足ります。

 税収が減少しているから、行政サービスを削減するという理屈は、新自由主義者たちが国民の無知に付け込んで流布させているデマにすぎません。

 デフレの時は、法人税および所得累進課税の必然として税収は減少します。なぜなら、法人税および所得累進課税に存在するビルトインスタビライザー(景気安定化装置)が働からです。

 ビルトインスタビライザーは、デフレのときはそれ以上景気を悪化させないために、財市場の貨幣の回収を減少させる機能であり、法人税は黒字企業だけにかかるために、所得累進課税は、所得が増えれば税率が上がり、所得が減れば税率が下がるために、そうした特性が備わります。(反対に、全くビルトインスタビライザーの機能を持たないものが消費税と固定資産税です。)

 ビルトインスタビライザーによって、デフレの時は税収が減少し、政府収支は悪化しますが、そのため、インフレバイアスが生じ、デフレに歯止めがかかるようになっています。

 政府はデフレに歯止めをかけるために、ビルトインスタビライザーだけでなく、インフレ誘導政策(低所得者減税や公共投資)を採用し、政府はさらに財政を悪化させ、債務を拡大しなければなりません。

 ところが、自民党政府はデフレのときにおいてさえ、税収が政府支出の財源であるとウソを言い、せっかく税収が減って、財市場からの貨幣の回収量にブレーキがかかっているというのに、消費税などでしゃにむに低所得者に対して増税し、国民貧困化を推し進めているのです。

 

 

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