②地価の下落で担保力が破壊される

 

 たまに、東京の地価は上がったり下がったりしていますが、経済学者がこのときテレビのニュース番組に呼ばれて、「地価が上がり始めたのは景気回復の兆候だ」とコメントしているのを聞くことがあります。

 しかし、こういう経済学者は、地価の変動が起こるメカニズムを理解していない場合が多いようです。

 地価の上昇は、景気回復の兆候だけでなく、土地利用の有効性を高める都市計画の規制緩和や、住宅ローンの緩和でも起こります。

 そのときは、東京や大都市の中心部のマンション価格の値上がりがあり、それは実際に行われていた住宅ローンの低金利政策や審査の緩和による影響が大きかったと思われます。

 しかし、全国の景気回復に影響を与えるようになるには主として固定資産税などの資産制度の健全性がなれば、景気政策を多少いじっても地価の上昇に至りません。

 地価の上昇が持続的なものになることが、金融機関の担保評価の条件であり、それが同時に景気回復の条件になります。

 地価と景気はスパイラルして上昇し、土地の価格を決めるものは景気と資産政策の両方です。

 資産政策について言えば、土地だけは、建物や生産設備といった資産とは異なり、価値の大部分を国や自治体が道路建設などのインフラを整備することで創り出されます。また、そうでなければ創り出せません。

 その場合、地主は、その道路に接道するというだけで、地価の上昇という棚ぼた式の利益を手に入れますが、副産物を忌み嫌っていては、国民には何も与えることが出来なくなります。

 言い換えれば、土地という国民の普遍的な資産については、インフラの整備によって、立派な資産に育成して、国民経済の舞台に送り出す役割が国にあるということです。

 そして、国は行政サービスによって与えた地価というものを税金によって、数十年間という長い時間をかけて取返そうとします。

 その土地の価値が国から長時間かけて没収されるまでの間、営業による利益、売却代金や地代によって、自分が没収される価値以上に有利な所得をもたらすと予想された水準で地価が決まります。

 そして、土地保有が有利であると思うときに、土地が経済的に価値を持つ資産となるのです。

 株価と異なり、最初の地価は、地価の上昇をもたらす民間の経済活動のスタートにおいて政府が国民にプレゼントするものです。

 だから、土地の固定資産税の存在は、課税方法の問題があるにしても、とりあえずは妥当であると言うことが出来ます。

 むしろ、固定資産税において課税が納得できないのは、土地以外の建物、機械、自動車の保有税です。

 土地以外の建物、機械、自動車はすべて民間の努力で製作されたものなのに課税されるべきどのような理由があるのか判りません。

 国が土地について正当な権利を主張するのなら、建物、機械、自動車についても、どのような権利があるのかを主張する必要があります。

 例えば、インフラの整備につきましては土地の価値を上げますが、建物、機械、自動車の価値は上げません。建物、機械、自動車に対して固定資産税の請求をするのはまったく見当違いな要求です。

 そして、今、日本でもっとも地価を損なっているものは土地固定資産税ではなく、収益力や担税力を無視した建物固定資産税の方なのです。建物は土地と一体で利用されますから、建物の保有が疎外されれば、地価も下がります。

 建物固定資産税額の悪質さは次のようなものです。

 建物固定資産税額は、同等の建物なら東京と地方の田舎町で同額です。

 だから、特に地方において、建物固定資産税の過大な課税によって、土地保有のメリットが奪われ、地価が下落しているのです。

 固定資産税増税し地価を下げる政策は、税率ではなく、評価替えによる増税ですが、これは1992年の経済音痴の宮沢内閣時代から準備されていました。

 その後、バブルの元凶は土地神話にあるという土着信仰的な自虐史観からか、土地はブルジョワの邪悪な資産だというマルクス的階級闘争史観からか、いずれにせよ、細川、羽田、村山内閣に継承され、1994年に、国会の議論を経ることなく、自治省(今の総務省)通達だけで、各市町村に固定資産税評価額を大幅に引き上げさせ、増税したのです。

 増税の方法は、1994年以降10年かけて土地については課税標準額を実勢の流通価格の70%まで、建物については再建築価格の100%まで引き上げようというものです。

 したがって、土地と建物の固定資産税は徐々に引き上げられて行きました。

 この時、建物固定資産税もいっしょに引き上げられることになったため、再建築価格を課税標準とするという致命的欠点を持つ建物固定資産税の特性が増幅され、土地建物一体での事業に影響を及ぼし、そのため、地価らざるを得ない原因となったのです。

 土地固定資産税は、課税標準額流通価格なので、土地運用における収益と税額との収支が悪くなるに従って土地価格が下がに連れて税額も下がりますから、必ず、担税力と土地固定資産税額はどこかで均衡し、下降は止まります。

 しかし、建物固定資産税は、地域による収益力の差や景気変動があっても、課税標準である再建築価格は変動しませんから、建物固定資産税額も下がりません。

 ところが、不動産は土地建物一体で利用されます。

 よって、建物固定資産税の存在で、不動産の土地建物一体の担税力と税額は均衡点を見出せず、土地建物一体の担税力に対して不整合な課税が地価に打撃を与えるようになったのです。

 したがって、脆弱な収益力しかない地域の土地価格は際限もなく下がり続けます。

 逆に、東京や大都市の中心地などでは、建物が他の田舎町の固定資産税額と同じであり、他の田舎町が建物固定資産税額を負担している分、課税を免れていますから、比較的早く地価は下げ止まり、他の田舎町に対して有利な経済活動が出来るようになります。

 冒頭で述べた、経済学者「地価が上がり始めたのは景気回復の兆候だ」だというコメントは、東京の地価の上昇を指していました。視野の狭小さにも程があります。

 1994年当時、すでに地価が下がっていた時期ですから、自治省は、日本経済に対して、瀕死の重病人を上から踏みつけるような固定資産税の重税化政策を行ったのです。

 さらに、1999年に公表された金融検査マニュアルによって、明確に土地を担保とする融資を規制しました。このことによって、金融機関の担保力を大目に見ようとする意欲は、金融政策上において無意味なものとなりました。

 全資産をどの資産形式に割り振りして持てば、景気変動による損失を最小限に押さえられるかの知恵として、資産三分法というものがあります。全ての資産を「現金預金」、「株などの証券」、「不動産」の3種類に分けておけば良いと言うものです。

 しかし、日本人の資産形式の選択はおおよそ二分法であって、「現金預金」と「不動産」です。これは日本的な合理主義であって、日本国民が生産物のピンハネにすぎない株式や証券など信用していないということに他なりません。これは現在も変わりません。

 不動産は生活に利用出来る実物資産であり、株式や証券などのような、現金に変えなければ役に立たないといった資産ではありません。

 他にも、株式や証券などを信用しないほうが良いというべき、合理的な理由があります。

 会計上の株価は資産総額から債務総額を差し引いた純資産額を発行株数で割ったものですが、投機対象となる株価は将来の企業の純資産額の期待値にすぎませんから、経済情勢が少し変わるだけで乱高下します。

 また、株価はしばしばペテン的な操作で乱高下し、景気動向すら反映していない場合があります。

 だから、日本人は昔から証券市場そのものを信用していませんでした。

 そして、もう一つ留意しておかなければならないことは、地価は株価の構成要素の一つですが、株価は地価の構成要素ではないということです。

 大企業であろうと中小企業であろうと、資産総額の相当な部分は地価によって構成されていますから、したがって、地価が上がれば一意的に株価も上がり、地価が下がれば一意的に株価も下がります。逆に、株価が上がったり下がったりしても、直接、地価が上がったり下がったりすることはありません。

 つまり、地価を含む資産から債務額を差し引いた純利益が株価ですから、地価は株価の一部となり地価が下がればキッチリと算術的に株価も下がるのです。

 自民党政権下の日銀「異次元の金融緩和」を行っても、日本の株価が伸び悩み、最後には低迷するのは、同時に自民党政権が日本の地価を下げる政策を続けているからです。

 どこの国でも、国民がお互いにお互いを信用する絆は地価を拠り所としています。

 これは、長年育まれて来た国民の知恵の反映です。したがって、政府が地価下落を推進しながら、同時に経済を成長させることは不可能であり、マスコミが重視している株価を上げることもまた不可能なのです。

 もし、それでも株価が上がっているのなら、株価の上昇分だけ自国民は貧困化しているということです。なぜなら、地価の上昇以外の方法で株価を上げる方法は、国民の所得を削り、上場企業の利益に付け替える以外にないからです。

 あるいは、日本の場合は自民党政権が意図的な株価操作を行っているので、それが原因で株価が上がります。

 つまり、日銀は、他の先進国のどこの国でも禁止されている上場企業の株式の売買を行っています。それは企業の経営を国が保証するようなものであり、しかも、誰でもその企業の株を買い入れることが出来るので、国際金融資本にとっては、中国と同様に魅力的な市場なのです。

 しかし、その日本市場の魅力は、国民の所得から国際金融資本に移転されているものです。

 自民党政府は、日銀による企業株の買収は金融緩和の一貫であるなどとトボケたことを言っていますが、金融緩和で出されたお金が大企業や株主ばかりに行って、国民の手には届かないことが、まともなことだと思っているのでしょうか。

 国民が豊かにならないのに株価が上がるということは、国民窮乏化政策によって、上場企業がエコひいき的な利益を上げているからです。

 この算術的な計算は経済学の根幹であり、このことが分からない者経済学者の資格はありません

 地価は庶民の株価であり、地価が上がらないのに、庶民が豊かになることはありません。

 土地はリアルな資産です。土地を持っていれば、食料を作ることも出来るし、家を建てて住むことも出来るし、他人に貸して賃料を稼ぐことも出来ます。

 だから、世界中の国々にとって地価は国民の所得と一体のものであり、したがって、どこの国でも間接金融の担保の中心に位置しています。

 この、間接金融を機能させる政策の核心は信用に足る地価の存在にあるという冷厳な事実に、日本人自身が向き合おうとしない限り、景気が回復することは決してないでしょう。

 付け加えるならば、近年、日本では急激に文化財の保護政策が強化されていますが、その文化財発掘調査費用の負担は事業者または地主側負担とされていて、それもまた地価を下げる政策の一つとなっています。

 文化財の試掘調査をすべき範囲は、大体100年以上経っている市街地すべてが含まれ、日本全国津々浦々まで徹底しています。

 その文化財発掘調査費用は専門職によって行われるため1㎡1万円から10万円もかかり地価を脅かす高額なものとなっているのですが、文化財発掘調査費用がこれほど高額であるからには、なおのこと学術費用として公費で賄なわれるべきと思われます。ところが、日本ではそれを事業者または地主側負担としていて、地主にとっては土地に仕掛けられた地雷のような第二の税金となっているのです。

 恐ろしくて、土地利用に手を出せない有様なのです。

 憲法第29条に『財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。』と書いています。

 国が、私有財産の土地を無償で文化財の貯蔵庫として利用し、さらに、開発するなら土地の所有者に文化財の保存の費用を払えと言うのは、ならず者の言いがかりであり、憲法第29条に違反しています。

 文化財の発掘は本来国民の知的財産が増える喜ばしいものであるのに、事業主や地主に忌み嫌われているのは行政のやり方がデタラメだからです。

 

 

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