①金融資本主義が間接金融を絞殺した

 

 一般的に投資家階級の生産者階級に対する搾取は次のようにして行われます。

 投資家の出来ることと言えば、資金を用意することだけです。経営力、技術力、労働力は他人のものを利用します。社会が必要とするものを生産できるのは企業・個人商店・農家などの経営担当者および労働者しかいません。

 ある会社が資金を必要とした時に、お金以外に何も持たない投資家にも儲けるチャンスが生まれます。

 証券市場による投資家や債権者が資金を必要とする企業に直接貸し付けるシステムによって、その会社の何割かの所有権を主張し、最終的に会社自体を我が物とするのです。

 このように、投資家や債権者が証券市場によって企業に直接貸し付けるシステムを直接金融と言い、この直接金融による利益を奨励する思想を金融資本主義と言います。

 直接金融に対して、金融機関が融資する場合は、国民から預かった預金を、預金者に代わって間接的に貸し付けるという考え方で、間接金融と言います。

 間接金融が機能しなくなると、直接金融にもチャンスが回って来ます。

 逆に、間接金融がしっかり機能していれば、投資家は、金融機関より安い金利で貸す以外になくなり、会社の所有権などの法外な要求も出来なくなります。

 つまり、投資家たちは儲けるチャンスを失います。

 したがって、直接金融にとって間接金融は不倶戴天の敵なのです。

 新古典派経済学の景気循環分析は次のようなものです。

 まず、平穏な社会において投資家の直接金融による投資が行われ、景気が良くなります。そして、景気が良くなる兆しを見せ始めると、金融機関が投資家の巻き起こした好景気に便乗して融資活動(信用創造)を行うようになり、それによって景気が過熱し、そして、金融機関が過剰投資を警戒し、資金を引き上げ始めると景気は後退局面に入り、投資家も投資を控えざるを得なくなり、やがて不況に至るというものです。

 つまり、新古典派経済学は、投資家を善玉と捉え、金融機関は景気を撹乱する悪玉と捉えているのです。

 新古典派経済学は、投資家の自己資本による投資と金融機関の信用創造とが競合関係にあることを隠していません。

 そこで、国際投資家およびその手先である新古典派経済学者たちは金融機関の融資業務に制限を付け、事実上、信用創造が出来ないようにすれば、自然な景気循環が行われ、経済の変動は国民にとって最良の穏やかなものになると言い、間接金融の制限を画策しました。

 この画策が世界規模で行われたものがBIS規制であり、日本でだけ行われたものが地価下落政策です。

 アメリカは、1989年から1990年までの日米構造協議、1993年の日米包括経済協議、1994年から始まる年次改革要望書のいずれにおいても、日本の地価を下げるよう要求していました。

 そして、日本政府は、遂に屈し、1994年に固定資産税評価額を引き上げることにより地価を下落させる政策を実行したのです。

 これは、日本政府が、国内の中小企業などが簡単に投資出来ないような環境を作り出し、日本への投資を国際投資家に有利なものとする決心したことを意味します。

 BIS規制については金融機関の融資が市場を混乱させかねない、信用できないものであるために金融庁が融資業務に介入するという理由付けが行われ、地価下落政策はバブルの防止のために地価を下げるという理由付けが行われています。

 地価が下がれば、中小企業は担保力を失います。

 そして、地価を下落させ、BIS規制をかけ、間接金融を事実上機能しなくさせた結果、金融緩和を行っても信用創造が出来なくなりました。

 インフレも、バブルも、間接金融(信用創造)が活発になることによって起こりますが、インフレやバブルのときは、資本を持っていない者にもチャンスが回って来ます。

 これまでもこのブログで言って来たように、デフレは持てる者にとっての好景気であるのに対し、インフレは持たざる者にとっての好景気なのです。

 誰でも資金を手に入れることが出来るようになることで、はじめて、好景気が訪れます。そのとき、物価の上昇に伴って賃金も上昇する良いインフレになります。

 ところが、間接金融(信用創造)が活発になると、誰でも資金を手に入れることが出来るようになるので、投資家は資本の希少性による法外な利益を得られなくなります。

 また、インフレになれば、投資家の持っている預金や債権の実質価値は下がってしまいます。投資家にとって、間接金融(信用創造)が活発になるとロクでもないことばかり起こるのです。

 投資家にとっては、デフレこそが資本の希少性を発揮することが出来るチャンスであり、好景気なのです。

 したがって、投資家は、デフレを維持するためにも、間接金融による信用創造を妨害することは長年の悲願でした。

 金融資本主義は新自由主義、市場原理主義とも呼ばれていますが、いずれも、投資家や債権者の理論武装であり、間接金融の弱体化を画策し、デフレへ誘導する理論です。

 たまに、新自由主義者でも、リフレーションへ誘導するための金融緩和に同意する場合もありますが、あくまで、本音は証券市場への刺激のためであり、市場がインフレを起こすことを望んでいるわけではありません。

 もし、間接金融制度が正常な状態にあり、インフレが起こりそうなら、新自由主義者は金融緩和に決して同意しません。

 今、日本の新自由主義者が金融緩和に同意し、そして、日銀が金融緩和を行っているのは、もはや日本において間接金融が機能しなくなっているからです。

 新自由主義者(直接金融)は、BIS規制と地価下落政策によって、間接金融という競争相手の絞殺に成功したことを見届けると、金融緩和によるインフレへの誘導政策に同意する素振りを見せ始めました。

 これらは、いわゆる新古典派、新古典派総合、ニューケインジアンなどのリフレ派と呼ばれる連中であり、つまり、似非ケインジアンたちです。

 ライバルの間接金融が(事実上)死滅すると、直接金融の投資家たちは、いよいよ、日本の企業を食い物にする活動を始めます。株式投資や債権の売買で、それまで金融機関(間接金融)が生業として来た配当や利子収入を奪います。

 企業の株主たちは、以前は、間接金融を利用することで、会社の所有権を維持しながら、単純に借金するか、直接金融で株式を公開して会社を切り売りするかの選択肢を持っていたのですが、間接金融の機能停止で、会社の所有権を維持したまま、借金をして会社を続けるという選択肢を失いました。

 今や、農業ですら、資金調達が出来ずに、あぶく銭を稼いだ直接金融の投資家にすがって、経営権の一部を譲渡しなければならないような有様です。

 間接金融の機能停止によって、もう、産業部門は直接金融の投資家のハゲタカのような介入を受け入れるしかなくなっているのです。

 大企業の経営者においては、株式を発行して、会社を切り売りする方法で資金を調達し、結果として、大企業は意識としても国民にシンパシーを持たない無国籍者が所有する企業となりました。今の経団連のほとんどの企業はこうした企業になっています。

 もっとも、マルクスの時代ではあらゆる資本家が国民にシンパシーを持たない存在であると指摘されていましたが、それでも、私の認識がマルクスと異なるのは、労働者と接する機会の多い中小企業経営者ほど、労働者と運命を共にし、国民の一員であることを自覚していたと信じられるところです。

 少なくとも、彼らは労働者と血で血を洗う戦いを繰り返しているのですから、誰よりも労働者の気持ちを判っています。時には、労働者と共に泣き、労働者と共に生きました。

 金融機関は、BIS規制と、地価下落による中小企業自身の担保喪失によって、中小企業金融の道を絶たれていますから、自民党政府のパフォーマンスによる金融緩和の圧力が強まれば、躍起になって大企業にお金を借りてもらおうとします。

 しかし、すでに、大企業は証券市場で十分な資金を調達していますから、金融機関の資金を必要としていません。

 だから、いまや、政府は国債を発行し、大企業に代わって金融機関からお金を借り、金利を支払ってやっているのです。

 金融緩和で国債を回収しても、今度は、当座預金付利子制度によって、当座預金に利子を払ってやっています。

 さらに、投資信託でも儲けられるように、証券市場に参入出来るように規制緩和してやりました。まさに、中小企業と縁を切り、間接金融を出来なくなってしまった金融機関を、至れり尽くせりのサービスで助けてやっているのです。

 したがって、最近の金融機関は中小企業融資をせずに、投資信託ばかりに精を出しています。もはや、日本の金融機関は中小企業融資などには関心を持っていないかのようです。

 ここまで来ると、あとは、経団連などの国際投資家たちは、自らが株主となった大企業を儲けさせ、競争相手になりそうな中小企業をつぶし、下請企業、労働者を貧困化させ、効率的に搾取出来る体制を強化して行くだけです。

 

 

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