合成の誤謬(ごびゅう)

 

 「合成の誤謬」は、「乗数理論」、「流動性選好=投機的動機による貨幣保有M2増大への批判理論」と並んで、ケインズ理論の三大テーマの一つと言われています。

 「合成の誤謬」は、個別主体として正しくても、全体としてみると正しいとは限らないことを言います。

 個人や企業というミクロ経済で見ると、デフレのときは、投資の削減、つまり経費の節約は合理的で正しいのですが、それらを合成して国民経済全体のマクロ経済で見ると、需要が減り、失業が増え、所得が減少し、景気は悪化してしまいます。

 したがって、ミクロ経済主体(個人や企業)が、民間の立場としてはやむを得ず投資の削減を行っているときに、唯一のマクロ経済の主体者である政府までもが、民間企業と一緒になって、投資の削減を行うような政策を採用すれば、中が、デフレから脱出出来なくなってしまうことを「合成の誤謬」という言葉を用いて批判します。

 「合成の誤謬」による批判とは、民間経済が投資を控えているときは、政府が積極的に投資しなければならないという、政府民間の役割の相反、マクロ経済とミクロ経済の役割の相反を指しています。

 ところが、日本のほとんどの政治家は、そのことを理解しないで、「合成の誤謬」を用いて、景気が悪いのは各々の国民が節約しているからで、景気が悪い時ほど、各々の国民が頑張って支出をしなければならないと、政府には関係ないことのようなことを言って、国民を責めています。

 つまり、国民の中の個人と全体で捉え、すべて国民が悪いと言っているのです。

 しかし、経済学における「合成の誤謬」は、家計と政府財政の関係を言っているのであって、民間の個人と民間の全体の行動で見てしまっては解釈の間違いになります。

 なぜなら、不景気のときは、民間の個人は節約をしなければ生きて行けないので節約しているのであって、自分で消費や投資を拡大出来るのなら苦労はしません。

 企業や国民は、どうしても、デフレ期においては債務を拡大出来ず、債務の縮小に方針を変えざるを得ません。債務の縮小とは返済の優先であり、投資と消費の削減です。

 しかし、これは好きでやっているわけではなく、債権者や税務署に追い立てられて、そうしなければ生きて行けないから、そうしているのです。そんなことも判らず、国民が悪いと言っているような政治家はバカとしか言いようがありません。

 金融機関は、不況期には、貸し渋りや貸し剥がしと言われるような、中小企業への融資を停止し、差し押さえの恫喝を繰り返しながら債務の返済を迫りますから、中小企業としては、選択の余地はなく、やむを得ず、資産を切り売りしながら債務を返済して行かなければなりません。

 国民の側に何の懲罰されるべき理由があるのか分かりませんが、市や県の徴税課、税務署、社会保険事務所も、不況期に恫喝を繰り返しながら納付を迫って来るのですから、国民としてはたまったものではありません。

 不況期に、税金や社会保険料の国民への懲罰効果がさらに度を越したものになる理由は、担税力によって調整されない応益税(消費税・固定資産税など)の比重が大きいからです。

 社会保険料が低所得者にも容赦のない負担がかけられていることは問題です。しかし、かつて、一度も、日本の高名な経済学者や政治家たちで税制や社会保険料に関心を持った者はいません。日本は呪われた国なのです。

 その上、こうした公権力の場合は裁判手続きが要らないことから、その特権を行使し、ただちに差し押さえを行うことが出来ます。

 むしろ、滞納しがちな税金を支払うために、金融機関に返済を猶予してもらっているのが一般的です。つまり、金融庁および政治家たちは貧困層の担税力に疑問を持つどころか、滞納者が増えれば、消費者金融以上に、滞納者に対して厳しく取り立てるよう指導しているのです。

 このことは、各々の市役所や町村役場に行って、県や金融庁から、固定資産税や消費税の滞納の取り立てや、差し押さえの方法の指導がどのようなスパルタ教育で行われているのかを聞いてみると良いかも知れません。

 中小企業は出来るだけ債務返済を待ってもらって、納税を優先して差し押さえを回避し、事業の継続をしたいのですが、もし、金融機関に債務者を助けたいという気持ちがあったとしても、金融機関もまた金融庁および政治家たちに経営健全化しないと潰してしまうぞ!という脅しをかけられているので、債務者に対する貸しはがしを行わざるを得ず、債務者を助けることが出来なくなっています。

 そして、また、この経営健全化の基準は、日本国民が要望しているものとはかけ離れており、(本当はやらなくても良いのに)国際基準のBIS規制で国内銀行の隅々まで統制され、日本国内の中小企業にほとんど融資出来なくなっています。なぜなら、BIS規制に入っておかないと、経団連などの国際資本企業が、海外で儲けさせてもらえないからです。

 むしろ、経団連などの国際資本企業にとっても、日本の中小企業が国内に投資できない状態は好都合なのです。

 このようなことから、瀕死の状態の中小企業が自発的に返済を急いでいると思うのは誤解であり、返済を急がないと潰されてしまうからです。よって、中小企業の節約を非難することも間違いです。

 このように苦しい中で民間というミクロの経済主体が節約しているときは、唯一、マクロの経済主体である政府が債務を拡大して(通貨発行量を増加させて)、減税や公共投資などの積極的な財政政策を行い、景気を上げて行くしかありません。

 逆に、民間の景気が過熱しているときは、政府は増税や政府支出の削減などの財政緊縮政策を採用し、景気を冷ますことを行わなければなりません。しかし、たとえ景気の良いときに行われる増税であろうと、その増税は応能税である法人税と所得累進課税の強化でなければなりません。なぜなら、税制は永久に続くものですから、決して、弱者に負担のかかる消費税や社会保険料(税)、あるいは国民の資産価値を下げるような固定資産税などの応益税であってはならないのです

 政府は民間経済で起こっていることと逆のことを行わなければなりません

 「合成の誤謬」は政府に向けられた批判のための論理です。

 しかし、自民党は、政府の財政政策の基本とすべきケインズの「合成の誤謬」理論を民間だけに押し付けて、民間が緊縮している時にも関わらず、政府も緊縮し、財政均衡を達成しなければならないと言っています。

 そして、自民党政府は、消費税増税、社会保険料の値上げ、公共投資の緊縮という、不況期の経済政策としては考えられないことを行っています。

 しかし、自民党政権のこれらの政策というものは、日本国内のデフレの継続を切望する経団連などの国際投資家の絶大な支持を受けて、自信を持って行っているのですから、いくら国民の眼から見れば狂気でも、政権の危機は訪れないでしょう。

 日本の三十数年に渡る不況は、国際投資家と自民党と財務省連携によって継続されており、国民も洗脳されて仕方のないことだと思い込まされていますから、もうどうにもならないかも知れません

 ちなみに、「合成の誤謬」の分析から導き出される経済政策(財政政策と金融政策)は、シーソーのように、ミクロとマクロで反対方向に振れていなければなりませんが、その経済政策の内容については、近代税制や社会保障制度をしっかり維持し続ける中で、「一時的な緊縮財政・金融引締」と、「一時的な積極財政・金融緩和」との間で振子のように振れなければならないのであって、決して、「ケインズ主義」と「新自由主義」といった経済体制の間で振れるべきものではありません。

 「ケインズ主義」は経済の主人公を交代させる革命であって制度的枠組みの変革を指しており、税制や社会保障制度という恒久的な社会の在り方、あるいは、社会の拠り所の変革を指しています。

 ケインズは、税制や社会保障制度でしっかり所得再分配のシステムを構築し、国民が生きていくための普遍的な社会資本(電気・水道・ガス等のエネルギー、山林・河川、公共交通機関、通信、教育機関、港湾、空港など国家の安全保障の基幹となる部門)を公営化し、どんな景気動向下でもそれを堅持しながら、なお、先進的な文明や文化の建設については国民の自由な経済活動に委ねるという社会を構想していました。

 たとえ景気の良い時であろうと、「新自由主義」的な政策であるところの、生産現場に課税する消費税の創設や、雇用の規制緩和に対して、軟弱な譲歩をすることは間違いです。

 景気循環のたびに、税制や社会保障における所得再分配システムが壊されたのでは、最後には、国民が再起不能となる経済体制が出来上がってしまいます。

 そして、現代のあらゆる国で証明されていることは、一旦、これらの労働者のための基本的な所得再分配システムが破壊されると、なかなか元には戻そうとする政治家が現れないという事実です。

 

 

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