①貨幣の認識または起源

 

 お金は物々交換の仲介手段として人類史に登場しました。米や野菜などを差し出して受け取る仲介手段は、大事なものを手放すのですから、ちゃんと自分の必要とするものと交換できるのだろうかという不安を振り払ってくれるものでなければなりません。

 そこで、最初は、金や銀などの貴金属がお金として使用されました。金や銀といった貴金属は必ず誰か(権力者や富裕層)が欲しがるという意味における普遍的な商品価値があり、その商品価値に依存することで物々交換の仲介手段としての信用を得ていたのです。

 しかし、金銀は重く持ち運びに不便なことから、金銀の預かり証(紙面)のやり取りで金銀のやり取りに代えるといったことが行われました。これが紙幣の始まりと言われています。

 しかし、政府がいくら紙幣を発行しようとしても、金銀と交換してもらえないのではないかという不安が頭をよぎれば紙幣は信用されません。

 政府はほとんどの時代において不安定で身勝手でしたから、国内の取引においてすら金銀の価値を頼りにするしかないにも関わらず、本当に金銀と交換してもらえるのかさえ不安な有様で、なかなか紙幣へ進化することが出来ませんでした。

 ようやく、紙幣という形式となったのは、1661年のスウェーデンにおいて、政府承認の下における政府機関的なストックホルム銀行の発行する銀行券として登場したのが最初です。

 しかし、この場合においても、あくまで本位貨幣は金銀または銅であり、紙幣は金銀または銅との交換を前提とした預かり証にすぎませんでした。それでも、預かり証が貨幣として信用されるような法体制が整備されただけでも大したものです。

 このような貨幣の発展過程に関する認識は、ケインズだけでなく、アダム・スミスやマーシャルなど多くの古典派経済学者にも共通するものです。

 ケインズの関心は、専ら、貨幣の起源ではなく、貨幣の機能に向けられていました。

 紙幣の交換価値を、金銀または銅といった貴金属の中でも、金(gold)にリンクさせる体制を金本位制と言います。

 金本位制においては、紙幣が国際交易上の貨幣と認められるためには、必ず金(gold)と交換出来ることが必須の要件になります。これを兌換紙幣(だかんしへい)と言います。

 金本位制は戦争などで中断したものの、1971年まで根強く続き、それまでは、結局のところ貨幣は必ず金(gold)と交換できるので、お金としての役割を果たすことができるのだと人々は思っていました。

 ところが、それは、1971年、アメリカ大統領のニクソンによって、あっさりと、間違いであることが証明されてしまいました。これはニクソン・ショックとかドルショックとかと言われます。ニクソン・ショックによって、貨幣は、金銀と交換できるゆえに貨幣となり得るという金属主義から、書面に価値を記録しただけのものであろうと貨幣となり得るという表券主義へと認識が完全に改まりました。

 ニクソン・ショックに至る以前においても、特に第二次世界大戦までは世界は戦乱の中にあり、金本位制が不安定化し、各国は紙幣を独自に発行しても結構経済は回るものだという事実を経験済みでした。

 すでに、人々は紙にインクで情報を記録しただけの表券貨幣に慣れていて、表券貨幣でも次の人が必ずなにかの物資と交換してくれるという強い信念が生まれていたのです。

 この信念が貨幣の本質です。(この「信念」は信用貨幣という場合の「信用」と意味が異なります。前者の「信念」は、貨幣的なものが物資と交換され、貨幣として通用する信用を意味し、後者の「信用」は、兌換紙幣や銀行預金が本位貨幣つまり金本位制においては金、紙幣本位制においては現金と交換される信用を意味します。)

 しかし、第二次世界大戦当時はまだ国家間の貨幣の交換比率の混乱から来る不安があったために、金本位制への復帰が望まれていました。

 そこで、第二次世界大戦の終盤期1944年7月に、連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)でブレトン・ウッズ協定が結ばれ、1オンス35USドルと定め、そのドルに対し各国通貨の交換比率を定め、各国通貨の信用を回復しました。

 しかし、アメリカ大統領ニクソンは、1971年8月15日、ドル紙幣と金との兌換一時停止を宣言し、ブレトン・ウッズ体制はあっけなく終結を告げたのです

 それで何が起こったかと言えば、ニクソン・ショックの2~3年後に各国通貨は固定相場制から変動相場制に移行し、多少の景気変動があったりしましたが、そうしたわずかな動揺以外の重大な変化は何も起こりませんでした。

 世界経済は何の不都合も無く、不換貨幣を信用し続け、淡々と経済活動を行い続けました。

 世界は戦後の混乱期を脱しており、国家がしっかり紙幣を管理し、偽造の可能性の排除などの危機管理をやっていれば、必ずしも金銀と交換される必要はなく、紙幣だけで十分だということが、経験的に証明されたのです。

 管理通貨制度になる前は、本位貨幣は金(gold)のことだったので、政府はその預り証にすぎない兌換紙幣を自由に増やすことは出来ないという認識がありました。

 管理通貨制度に変わった現在、インフレや為替相場に気を付けてさえいれば、貨幣は各国政府の判断で自由に増やせるものだという認識が一般的になっています。

 金本位制と管理通貨制度を問わず、消費物資との交換の能力以外に、国家が貨幣の何を管理していたかと言うと、貨幣とモノとの交換比率つまり物価、あるいは、外貨との交換比率つまり為替相場だけでした。

 つまるところ、国民の貨幣に対する信頼とは、金(gold)が欲しかったのではなく、必ず生活物資と交換できるという信用であったという結末です。必ず生活物資と交換できるのなら、金銀であろうと、紙切れであろうと、何でも良かったという言い方も出来ます。

 砂漠で飢えている者にとって必要なものは水と食物であり、金銀財宝ではありません。金銀財宝があれば水と食物と交換できるという前提において金銀財宝を欲したのであり、だれも水と食物と交換してくれなければ、その飢えている者にとって金銀財宝は無価値です。

 実際、あらゆる経済活動において、貨幣の動きを捨象すれば、あとに大まわりの物々交換の実体が浮かび上がります。

 つまり、経済の本質は生産と交換にあります。

 そのことを少し上から俯瞰すると、つまり、マクロ経済で見ると、経済とは生産と分配であるということになります。

 ただし、交換されるモノやサービスには価値のズレが存在し、この場合の物々交換は必ずしも等価交換という意味ではありません。そして、価値のズレは満足度という感情に関連しますから数値では測れません。

 金本位制と管理通貨制度(紙幣本位制)の違いは、金属主義(金属貨幣または商品貨幣)と表券主義(表券貨幣)の違いでもありますが、この違いは、貨幣それ自体に商品価値があるかどうかです。金(gold)のように貨幣に商品価値がある場合は、貨幣で商品を買うということは、商品と商品の物々交換であるとも言えます。金(gold)の預かり証である兌換紙幣で売買を行っても同じことですから、全ての売買は物々交換であったと言うことが出来ます。

 金(gold)は嗜好品や原材料として富裕層や企業が欲しがりますから、貨幣の役割が無くなったとしてもそれ自体に利用価値があります。だから、商品貨幣とも言います。

 しかし、紙幣は紙にインクで価値を記録しただけのものですから、その紙幣に対して商品を売らないと言うことになるとそれ自体の価値は無くなります。これを、価値が記録されただけのものという意味で、表券貨幣と言います。

 表券貨幣による商品の売買は、表券貨幣に商品価値は無いのですから、物々交換とは言えません。

 また、管理通貨制度(紙幣本位制)における紙幣(不換紙幣)は何らかの契約があって信用されているわけではありません。

 社会的な契約などは存在せず、貨幣を差し出せば必ず交換に応じなければならないという法律もありません。ただ、ひたすら、次の人も、次の次の人も、その貨幣で必ず商品と交換してくれると信じることで貨幣として成り立っているのです。

 誰も商品と交換してくれないのではないかという不安が頭をよぎるようになると貨幣としての価値は無くなります。

 そうならないように、誰かが懸命に支えれば、すなわち、商品と交換し続けてくれるなら、貝殻でも、紙切れでも、ビットコインでも、何でも貨幣になります。

 

 

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