偽物ならもっとうまく仕組むだろう・・・。 | 零細企業の闘魂日記

【国宝の金印が偽物、ではないことがわかった】
https://www.meiji.net/international/vol360_hideshi-ishikawa/3
「漢委奴國王」金印は、日本史の教科書に必ず登場するので、多くの人によく知られた歴史資料だと思います。』
 
『そもそも、AD1世紀から3世紀にかけて中国を治めた後漢の時代の出来事を記した「後漢書」の中に、建武中元二年(西暦57年)に、日本(倭)の奴という国から貢ぎ物を持った使いが来た、という内容の記載があります。』
 
『それに対して、ときの光武帝は印綬を授けたとあります。印とは、はんこのことで、綬とははんこに通す紐のことです。』
 
『つまり、弥生時代日本人が中国まで行き、皇帝と交渉したということで、これは、日本最初の外交記録になるわけです。』
 
『しかし、「後漢書」は後世(3世紀もしくは5世紀)に書かれたもので、その内容は確かではない、という説もあります。』
 
『ところが、江戸時代の1784年に、福岡藩の志賀島「漢委奴國王」と刻まれた金印が見つかりました。これを、福岡藩の藩校の学者であった亀井南冥が「後漢書」の記載に見合うと考証したのです。』
 
『つまり、弥生時代の日本が中国と外交していたことが事実であると、証明されたわけです。』
 
『しかし、この金印偽物ではないかという議論が起こります。背景には、この金印の発見が不自然なことがあります。周囲に弥生時代の遺跡などはまったくない田んぼから、農作業中の農夫がこの金印だけを見つけたというのです。』

この記事の著者、明治大学の石川日出志教授は本物説の論客としてよく知られた方である。私はこちら方面の基礎が無いので何の根拠も示せないが、本物だろうと思っている。
志賀島での発見、田んぼからの発見、特に不自然さは感じない。