英語を話さなくても生活できることに感謝! | 零細企業の闘魂日記

【日本人が「いつまでも英語を話せない」悲しい原因】
https://toyokeizai.net/articles/-/425469
『とにかくたくさん英語を聞き流す、たくさん単語を覚える……。コロナで自分の時間ができて、英語学習を新しく始めた方はこのような学習をしているかもしれません。』

 
『しかし、人が言語を習得するプロセスを解き明かす「第二言語習得」という学問から考えて、こうした日本人の英語学習は決定的に間違っています。そしてここを正すだけで、日本人も劇的に英語が話せるようになります――そう語るのは、受講者数12万人超えの人気・英語講師の重森ちぐさ氏です。『英語 2語トレ』を上梓した同氏に日本人の英語学習の誤解を聞きました。』
 
『【誤解①】たくさん聞き流せば話せるようになる』
 
『【誤解②】間違ってはいけない』
 
『【誤解③】長く美しい英語でなければいけない』
 
『【誤解④】暗記すれば話せるようになる』

 
ときどき取り上げる語学の話題。
私は多分、まったくと言っていいほど英語が話せないと思う。
なぜ、“思う”か?
それは、話す相手もいず、話さなくても何の不自由もないから正直なところ話せるかどうかすら分からないのである。
 
足早に振り返ってみる。
まず、学校英語では中学校まで5段階で2~4
高校になると2か3
英語の先生だとか、英語が得意な人の勉強法は私にとっておそらく「馬の耳に念仏」であった。
 
もともと「英語の勉強が得意・好き」という人と「大嫌い」な私とでは脳の構造が違うのであろう。
 
大学に進むと、英語に加えてドイツ語が必修となった。
やってはいけないと言われる「暗記」だけで一年間をやり過ごした。
進級してそのまま英語とドイツ語を履修するか、それとも中国語を選択するかに迫られた際、私は中国語を選んだ。
 
ところが、である。
中国語の先生「王忠義 老師」が実に素晴らしい人物で、わずかな時間を見つけては、王先生の部屋を訪ねて多くのことを学んだ。中国という国がどうとかこうとかいう問題ではなく、王忠義先生には本当に畏敬の念を持った。
おかげで、中国語の試験は毎回満点を取り、簡単な中国語なら読み書きができ、日常会話程度は話せるようになった。
 
ドイツ語は大学院で再び一年間、必修となり何とか単位を取った。
その後、テレビドラマ「コンバット!」でドイツ兵がしゃべる言葉を耳にする以外、縁がなくなったが、英語とは縁が切れない。研究室に入ると来る日も来る日も英語論文を読まねばならず、一日の間、日本語の文字よりもアルファベットを見ているほうが長くなった。
 
果たして研究論文も英語で書かねばならない。

うまい表現をしているネイティブの英語を書きためた。単語を入替えていわゆる「英借文」からのスタート。
しかし、この頃が、私にとってのピークであったと思う。日本語よりも早く英語が読め、日本語ではまどろっこしい文章になるところ、英語ではスッキリ書けた。
 
恩師の教授からは、「研究報告書を書くときに、英語で表現できない文章はどこかがおかしい」と指導された。なるほど!
 
社会人になって、ようやく英語から解放されたと思うや否や、2週間に一回の割合で英語の試験があり、おまけに点数と順番が張り出されるのだからたまったものではなかった。
 
…このように、語学、とりわけ苦手な英語と無関係に生きようとしていたにも関わらず、無理矢理、関わりを持たなければならなかった。
 
今は英語も中国語も誰と話すこともなく、関東地方に居座りながら、私の母語である「関西弁」をまくし立てている次第である。