ニトリデコホーム・モリシア津田沼店でウオッシュタオルなど購入 | それでも僕等は

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2023年6月25日日曜日は「佳佳苑・イオンモール津田沼店」で昼食を喰い、
そのあとニトリデコホーム・モリシア津田沼店で、
ウオッシュタオルなど8点1,561円分購入する。

イオンモールからミーナ津田沼を抜けて跨線橋を渡って南側に渡った。
この時、千葉工業大学の前を通ってモリシア津田沼に行った。



ここは千葉工業大学の通用門で、
かつての旧陸軍鉄道第二聯隊兵営表門跡である。



門柱は思ったより新しく、明治時代からの遺稿とはちょっと思えないが、
もしかしたら修復してこうなったのかもしれない。



近くには「登録有形文化財」のレリーフがあり、
そこには、

 この門は明治40年(1907年)当地に移駐した
 陸軍鉄道連隊第三大隊(大正7年に鉄道第二連隊に改組)
 兵舎の表門として使用されていたものです。
 第2次世界大戦後、ここが千葉工業大学の校地になった後も
 「工大の煉瓦門」として親しまれています。
 平成10年5月、国の登録有形文化財に指定されました。
 わが国の私立工業系大学で最も古い歴史を持つ本学の
 シンボルとして長く保存していきましょう。
                 千葉工業大学

と書かれていた。
そのあとモリシアの方に歩いて行くと、
「鉄道連隊跡」の案内板も立っていた。



そこには、

   鉄道連隊跡

  ここは旧陸軍の鉄道連隊があった場所です。
 鉄道隊は、戦地で鉄道の敷設・補修・運転・破壊に従事した部隊で、
 明治二八年(一九八五年)の日清戦争における臨時鉄道隊の編成に始まり、
 翌年には東京牛込に鉄道大隊が常設されました(翌三〇年、中野に転営)。
 日露戦争後の明治三九年(一九〇六)、
 派遣隊により津田沼-習志野間の軽便鉄道が敷設されます。
 そして翌四〇年(一九〇七)、鉄道大隊は鉄道連隊に昇格し、千
 葉と津田沼に転営しました。
 千葉には連隊本部・第一大隊・第二大隊・津田沼には第三大隊が置かれました。
 総武線津田沼駅の南側に本部・兵舎・作業場があり、
 北側には器材の保営・整備を行う材料廠がありました。
  鉄道連隊第三大隊は、大正七年(一九一八)に鉄道第二連隊に昇格しました。
 千葉の鉄道連隊は鉄道第一連隊となります。
 両連隊は、明治四四年に完成した津田沼-千葉間の演習線で訓練を行いました。
 千葉県営鉄道の建設にも大きく関わっています。
  日中戦争から第二次世界大戦にかけての戦時中、
 津田沼と千葉の両連隊をもとに多くの鉄道連隊が編成され、
 中国・東南アジアの戦地に派遣されて作戦に従事しました。
 中でも、多大な犠牲者を出した泰面鉄道の建設が知られています。
  戦後、連隊跡地は教育施設・鉄道車両工場などを経て、
 習志野文化ホール・千葉工業大学・習志野郵便局・商業施設へと変わり、
 総武線津田沼駅・新京成線津田沼駅を擁する本市の表玄関となっています。
 
                   平成30年3月 習志野市教育委員会

と書かれている。