2020.8/6~7 たびてつ2(四国満喫 内子・中村旅)~松山から“宇和海7号”で内子に~ からつづく




“宇和海7号”で9:32に内子に到着しました。

さて、ここから江戸時代から大正時代にかけて和紙や木蠟の生産で栄えた内子の街をプチ観光していきます。

古い街並みが残されている八日市・護国の街並みまでは少し駅から離れていますので、駅前を出て少し歩いていきます。土休日なら、周遊バスも出ているのですが…。この日は平日でしたので。





約10分で内子座に到着です。暑い日でしたので、10分歩いただけでも汗だくでした。





ここから少し入ったところに、愛媛県下最古の木造芝居小屋の“内子座”があります。











この“内子座”は、木蠟や生糸の生産で栄えていた1916(大正5)年に県内の有志によって建てられた瓦葺き入母屋造りの劇場で、農閑期には歌舞伎や文楽などが上演されていました。この建物は1985(昭和60)年に復元され、廻り舞台などの内部が見学可能になりました。

1階の桝席の左側には舞台から吹き出て客席を貫通した花道があります。その舞台の上の扁額には“芸於遊”と書かれています。芸で遊ぶという意味みたいですね。

舞台の背景には大きな松が描かれています。また、舞台の左側には黒御簾(くろみす)と言われてお囃子のいる所と、右側には義太夫席(ぎだゆうせき)の義太夫狂言で舞台上手、義太夫語りをする人がいる所もきちんと復元されていました。

かつての桝席には座布団が並べられていて、桝単位で販売されていたみたいですね。


(๑'ᴗ'๑)オシバイハ マダデスカ?



舞台から見た客席です。





奈落も見学可能になっていました。奈落とは、舞台や花道の床下の総称で、この中に廻り舞台を動かす仕掛けなどがあったみたいですね。





奈落の壁は石積みですね。





廻り舞台の近くには“せり”と呼ばれる、人力で役者や大道具を奈落から上げるものもありました。今でも、人力で上げることができるらしいです。





こちらは“すっぽん”と呼ばれるもので、花道の七三の位置にある切穴で、忍術使いや妖怪のたぐいが花道にせり上がる所みたいです。こちらも人力みたいですね。





上の花道の場所です。四角く切りとられていますね。





2階の客席に上がってみました。ここからも舞台がよく見えますね。下の桝席よりは低料金で見れたみたいですわ。





舞台と桝席などの客席だけでも見る価値があるのですが、床下の奈落まで復元されているのには驚きでしたね。来てみて良かったですわ。

内子座のパンフレットと内子の街のガイドブックに、今回使用した“内子座”“商いと暮らし博物館”“木蠟資料館 上芳我邸”の3館共通の入場券(900円)です。別々に入場券を購入するより200円お得みたいですわ。







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