皆様こんにちは。
昨日書いた
めちゃくちゃな長さのどうでもいい話。
↑ ↑ ↑ ↑
*暇な人だけ読んでください!*
さてわたしが官能小説を書いてた時期
ライターとしての収入なんて
微々たるものでした。
なので元旦那からいただいた慰謝料
切り崩し、細々と生活してたのですが
いらんこと自費出版なんかしてしまったので
お金が底を突き始めたんです💦
チャットレディーで稼ぐなんて
夢のまた夢。どうしようかな?
と思ってた矢先
チャットレディーを運営していた会社が
占い師を募集しているらしいことを
HPで知ったんです。
上記のク●長い記事で
お分かりかと思いますが
わたしってものすごく
浅はかなんですよ。
学習能力がないというか
メゲないというかなんというか。
それで男を喜ばせることがダメなら
女の子喜ばせればいいじゃん?!
と勝手に頭の中で
女の子ハーレムを思い浮かべ
「・・・悪くないかも、むふふふ」
>ぺぇぺぇのくせに上から過ぎ
と思い、占い師として
面接をしてもらったんですね。
そしたらなんと一発合格!
なんか人生ちょろいと本気で
思いました。
>当時のバカ頭の感想ですので
お許しを!!!
だってわたしの当時の目標は
書く仕事で生活できるようになること
だったので
ちゃんとした占い師になろうとか
一切思ってなかったのです。
さてわたしが入社した会社は
チャット占いがメインでした。
ノートパソコンに
チャットレディー時代からの
使い回しのカメラを搭載し
イヤホンで話すっていうスタイルですね。
お客様とは電話のようにお話もできるし
ご希望によってはこちらの映像は
流しっぱなしで
お客様は無言で
キーボード打つだけ
というパターンもありました。
このパターンは
すぐにレスポンスが返ってくる
通話での鑑定と違い
お客様の反応にタイムラグが
あるのでやはりドキドキしますが
前職で培った
キーボード打つ速さが
ここで役に立ちました!
ってことは
滑り出しは順調?!!
・・・・いえいえ、とんでもないです。
最初のお客様の
心痛なお声を聴いた瞬間
わたしの覚悟がいかに
甘かったか気づいたんです。
女の子ハーレム?
とんでもない勘違いでした💦
人気のある鑑定士がどれだけ
お客様のお心に寄り添ってきたか
他の先生方の
お客様の声を読んでいるうちに
これは生半可な気持ちで
やってしまっては絶対にダメなやつ!!!
と浅はかなわたしが
ようやく気が付いたのです。
実はわたしは亡き父と
神社を創立するために
昼夜問わず動いていた頃
「お前は40才になったら
本格的に霊能者として
活動することになるから
ここでやりよることをしっかり覚えとけよ」
と何度か言われたことがあったのです。
これは父の霊感というよりも
わたしの身を案じて
そう言っていたのかもしれませんが
当時は拒否反応しかありませんでした。
というのも父の活動が
あまりにもハードだったため
そして父は霊能者としての力は
それは凄いもので
神様がこの世にいるという証明は
父を介して学んだようなものでした。
しかしだからといって
わたしが父と同じ道を進むなど
わたしとしてはあり得ないことでした。
まずわたしのこれまでの
悪行の数々を神様が許してくださるとは
思えませんでしたし💦
なので占い師を始めたことを
当時まだ健在だった父に
報告するのを迷っていました。
ところがです。
累計50名ほどの鑑定を終えたある日
頭が割れるような偏頭痛と
今まで感じたことのない吐き気
そして体の震えが止まらなくなり
意識がふっと無くなるような発作に
襲われたのです。
ただその発作は10分程度で
収まりました。
冷や汗で濡れた顔を洗うために
洗面所で鏡をみると
「!!!!!!!!!」
そこには
「お化けの万華鏡」
みたいな光景が!!!
わかります?
お化けの顔が
一面万華鏡なんですよ。
「やば!!」
と思ったわたしは
すぐさま身支度を整えて
当時住んでいた
久留米のアパートから
実家のある福岡市郊外の町に
車をすっ飛ばして
父に会いに行きました。
慌てて帰ってきた
わたしを一目みた父は
「なにつけとんじゃぁぁ!!!
山120周歩いて来~~~い!!!」
と激怒。
山とは神社のある裏の山に
お遍路さんの
88か所をミニバージョンにした
行場のことです。
勾配が激しく、まむしも出ますが
そこを歩くのに1周につき
約15分はかかります。
掛けるの120ですからね。
わたしの足では2時間以上歩く行でした。
そのあと、神社境内のお掃除、
ご神殿での祝詞唱えの行
これを週に3回必ず神社に来てやれと!
*実はこの写真はその頃の写真です。
左は鬼父、真ん中わたし、現宮司*
父曰く
「占いの仕事は心を替えて
行えば善行になるのだから
がんばりなさい」
馬鹿娘が少しまともに
なっていける予感がしたのか
占いの仕事については
一切の反対はしませんでしたし
エロ雑誌で原稿を書いていることも
実はmixiをやっていた
神社職員さんのちくりで
知っていたらしく
それも何も言いませんでした。
(母も離婚後のわたしの生活については
何も言わず母から
お父さんは全部知ってるよと言われました)
こうして神社での修業をしながら
占いの仕事をしていくうちに
霊能者として独立するきっかけに
なったある事件が起こったのでした。
・・・・この前みたいに長くなるので
続きはまた今度!
それでは皆様
素敵な1日をお過ごしくださいね。