かがみ
「人は自分を映し出す鏡」と昔からよく聞くけれど、最近それをとみに感じます。
たまたま(たまたまなんてないんでしょうけど)出会った人が、自分と似たような思いを抱えていたり、似たような経験をしていたり、一緒に話していて「あ、ここが引き寄せ合ったんだなぁ」と感じることが多々あります。
不思議なものです。
世の中68億人以上の人がいて、こうやって人と出会う確率って、実はとんでもない希少性の中にあるんですよね。
よく、「私あの人とご縁があるんでしょうか?」って聞かれるんですが、それはもうご縁があるから出会ってるんでしょう、としか言いようがありません。
私が名前をあげられる親族、友人、知人なんて数えても数百人でしょう。この68億という莫大な数字の中のたった数百なわけですから、どんな出会いもくじに当たったくらいの確率で起こっているのではないでしょうか。
その中でも特に密接で濃い関係を築く人達はやはり、何か強く引き寄せ合うものがあり、私と彼らの中で共鳴するものがあると言うことに気づかされます。
その人達の話を聴いていると、まるで自分のことを客観的に見ているような気持ちになり、自分の心の整理整頓になったり、その人達に言っていることを私自身の中で反芻することで、自分にも気づきがあったり・・・。
「ああ、だからこのタイミングで出会ってくれたんだね
」って、ありがたい気持ちになります。鏡になって色々と教えてくれているんだ、と。
でも、その人を通して自分を見つめていると、「自分」だと思っていたものがもっとあやふやで、大きなものに感じられてくることがあります。その人も私も大きな何かの一部であるような感覚とでもいいましょうか。
以前、誰かが言ったこんな言葉があります。
「『かがみ(鏡)』と言う言葉の『が(我)』を取ると『かみ(神)』になる」
我、つまり「自分」と言うもの、これが私だと思い込んでいる概念が無くなっていくと、すべてと繋がっている感覚、つまり宇宙と繋がっているような感覚になっていくと言うことなんだと思います。
人が鏡となって教えてくれる色んなこと。その鏡を見ていると、その人は私であって、私はその人であって、「我」と言うものが存在するのは自分の概念の内だけだと言うことに気づかされ、その中にある共時性や繋がりを深く感じていくと、まさにそれは宇宙の神秘に繋がっていくものだと実感します。
人と言う鏡は自分の中に広がる広大な宇宙とその神秘に繋がる大切な役割を果たしてくれているのかも知れないと深く感じる、今日この頃。ありがたいです。
そしてそれと同時に、人が私の鏡であるなら、私自身も誰かの鏡であるわけで。それをイメージすると、お互いが合わせ鏡になることで、あのどこまでも永遠と続く不思議な世界が映し出されているのが思い浮かびます。
だから、人とのご縁って、もしかしたらそんな合わせ鏡のような不思議なもので、奥を覗くとどこまでも広がる大きな世界があるのかもしれません。未知の世界。そう考えると、人との関わりってとてもエキサイティングですね
たまたま(たまたまなんてないんでしょうけど)出会った人が、自分と似たような思いを抱えていたり、似たような経験をしていたり、一緒に話していて「あ、ここが引き寄せ合ったんだなぁ」と感じることが多々あります。
不思議なものです。
世の中68億人以上の人がいて、こうやって人と出会う確率って、実はとんでもない希少性の中にあるんですよね。
よく、「私あの人とご縁があるんでしょうか?」って聞かれるんですが、それはもうご縁があるから出会ってるんでしょう、としか言いようがありません。
私が名前をあげられる親族、友人、知人なんて数えても数百人でしょう。この68億という莫大な数字の中のたった数百なわけですから、どんな出会いもくじに当たったくらいの確率で起こっているのではないでしょうか。
その中でも特に密接で濃い関係を築く人達はやはり、何か強く引き寄せ合うものがあり、私と彼らの中で共鳴するものがあると言うことに気づかされます。
その人達の話を聴いていると、まるで自分のことを客観的に見ているような気持ちになり、自分の心の整理整頓になったり、その人達に言っていることを私自身の中で反芻することで、自分にも気づきがあったり・・・。
「ああ、だからこのタイミングで出会ってくれたんだね
」って、ありがたい気持ちになります。鏡になって色々と教えてくれているんだ、と。でも、その人を通して自分を見つめていると、「自分」だと思っていたものがもっとあやふやで、大きなものに感じられてくることがあります。その人も私も大きな何かの一部であるような感覚とでもいいましょうか。
以前、誰かが言ったこんな言葉があります。
「『かがみ(鏡)』と言う言葉の『が(我)』を取ると『かみ(神)』になる」
我、つまり「自分」と言うもの、これが私だと思い込んでいる概念が無くなっていくと、すべてと繋がっている感覚、つまり宇宙と繋がっているような感覚になっていくと言うことなんだと思います。
人が鏡となって教えてくれる色んなこと。その鏡を見ていると、その人は私であって、私はその人であって、「我」と言うものが存在するのは自分の概念の内だけだと言うことに気づかされ、その中にある共時性や繋がりを深く感じていくと、まさにそれは宇宙の神秘に繋がっていくものだと実感します。
人と言う鏡は自分の中に広がる広大な宇宙とその神秘に繋がる大切な役割を果たしてくれているのかも知れないと深く感じる、今日この頃。ありがたいです。
そしてそれと同時に、人が私の鏡であるなら、私自身も誰かの鏡であるわけで。それをイメージすると、お互いが合わせ鏡になることで、あのどこまでも永遠と続く不思議な世界が映し出されているのが思い浮かびます。
だから、人とのご縁って、もしかしたらそんな合わせ鏡のような不思議なもので、奥を覗くとどこまでも広がる大きな世界があるのかもしれません。未知の世界。そう考えると、人との関わりってとてもエキサイティングですね

あっというまに
なんか、あっと言う間にまた週末が来ました!
丁度一週間前は、ブスママ石川香さんのご好意で、香さんの高層マンションの32階から東京湾花火大会を楽しんできました。(あれもう1週間前なんだ・・・。)
って、誰も花火観てないじゃないか
みんな食べるのとおしゃべりに夢中の図▲
だいじょぶです、ちゃんと花火もエンジョイいたしました。
た~まや~!ベランダからの眺めは最高▲
遠くハワイから、快く会場を提供してくれた香さん、ありがとう
私は人ごみが嫌いなので、こんな素敵な会場がない限り、花火大会なんて足を運ばなかったでしょう(笑)
そして、いろんなお料理を用意してくれた広美さん、たこ焼き焼いてくれたボンド部長、ありがとうございました~。
なんか今更先週末のこと・・・って感じだけど、今週はあっ
と言う間に過ぎてしまった感じがします。特に先日ブログでアップした映画を観てから、なんか時間と距離の感覚がまたおかしくなってきたような・・・。とりあえず、なんか濃い。遠く離れた人も時間も、今ここにいる私と繋がっている感覚。
でも、そもそも距離も時間もこの3次元の世界における概念と言うし・・・。
数百年前の人が長い年月をかけて旅してきたこの世界も、今では1日、2日あれば大抵どこへでも行ける。ほんの十数年前までは海外に手紙を送ると1週間かかったのに、今ではインターネットで瞬時に送ることができる。
どんなに離れた人ともすぐに繋がることができて、コミュニケーションも、アクションもどんどん加速している。
今の私達が「当たり前」って思っているこの感覚って、実はすごいことなんじゃないかと思います。
距離と時間と言う、長いこと私達を縛っていた概念がどんどん壊れていく世界で、これからどんなことができるようになるんだろう?これからどんな世界を私達は創り出していくんだろう?って、すごくどきどきします。
余談ですが、エネルギーが濃い所に行くと、私は不思議な感覚に陥ります。
小さい頃から遺跡なんかに行くと、そこにある人の思いなのか記憶のようなものが、残像のようにそこにあって、私達のいる次元とは別の次元の世界がそこにあるような・・・。交わらないけど、共存している感覚を感じてました。
街を歩いていてもたまにそうゆうことがあります。
本当に世界って、一般的に私達が目で見ているものだけじゃない、って思います。本当は幾重にも重なった色んな時空の織物みたいなものなんじゃないかな。うまくこの感覚を言葉にできないけど・・・。
もしみんなから時間って概念がなくなったら、過去も未来も現在もこうやって同じところに共存しているんじゃないかな・・・って思ったのでした。そしたらそれもエキサイティングかも?
それでは、みなさまも素敵な週末を
丁度一週間前は、ブスママ石川香さんのご好意で、香さんの高層マンションの32階から東京湾花火大会を楽しんできました。(あれもう1週間前なんだ・・・。)
って、誰も花火観てないじゃないか

みんな食べるのとおしゃべりに夢中の図▲
だいじょぶです、ちゃんと花火もエンジョイいたしました。
た~まや~!ベランダからの眺めは最高▲
遠くハワイから、快く会場を提供してくれた香さん、ありがとう
私は人ごみが嫌いなので、こんな素敵な会場がない限り、花火大会なんて足を運ばなかったでしょう(笑)そして、いろんなお料理を用意してくれた広美さん、たこ焼き焼いてくれたボンド部長、ありがとうございました~。
なんか今更先週末のこと・・・って感じだけど、今週はあっ
と言う間に過ぎてしまった感じがします。特に先日ブログでアップした映画を観てから、なんか時間と距離の感覚がまたおかしくなってきたような・・・。とりあえず、なんか濃い。遠く離れた人も時間も、今ここにいる私と繋がっている感覚。でも、そもそも距離も時間もこの3次元の世界における概念と言うし・・・。
数百年前の人が長い年月をかけて旅してきたこの世界も、今では1日、2日あれば大抵どこへでも行ける。ほんの十数年前までは海外に手紙を送ると1週間かかったのに、今ではインターネットで瞬時に送ることができる。
どんなに離れた人ともすぐに繋がることができて、コミュニケーションも、アクションもどんどん加速している。
今の私達が「当たり前」って思っているこの感覚って、実はすごいことなんじゃないかと思います。
距離と時間と言う、長いこと私達を縛っていた概念がどんどん壊れていく世界で、これからどんなことができるようになるんだろう?これからどんな世界を私達は創り出していくんだろう?って、すごくどきどきします。
余談ですが、エネルギーが濃い所に行くと、私は不思議な感覚に陥ります。
小さい頃から遺跡なんかに行くと、そこにある人の思いなのか記憶のようなものが、残像のようにそこにあって、私達のいる次元とは別の次元の世界がそこにあるような・・・。交わらないけど、共存している感覚を感じてました。
街を歩いていてもたまにそうゆうことがあります。
本当に世界って、一般的に私達が目で見ているものだけじゃない、って思います。本当は幾重にも重なった色んな時空の織物みたいなものなんじゃないかな。うまくこの感覚を言葉にできないけど・・・。
もしみんなから時間って概念がなくなったら、過去も未来も現在もこうやって同じところに共存しているんじゃないかな・・・って思ったのでした。そしたらそれもエキサイティングかも?
それでは、みなさまも素敵な週末を

ヒロシマ・ナガサキダウンロード
ちょっと時間があきましたが、「聴くということ」というテーマでアップした先日のブログの終わりにちょっとご紹介した『ヒロシマ・ナガサキダウンロード』と言う映画。
メキシコの国境の町Tijuanaに在住の竹田さんと言う方が監督の作品なのですが、ひょんとしたご縁で、メキシコで大学の教授をしている親戚のSお姉さんから紹介され、先週末の上映会に行ってきました。
ヒロシマ・ナガサキダウンロード予告編
上映会の様子もレポートされているHPはこちら。
私も東京大空襲を経験した祖父の話を聞いて育ちました。「戦争映画を観ても、あんなもんじゃない、と思ってしまう。」と言う祖父の話に耳を傾けて、自分なりに色々と理解をしようとしてきました。
先週京都でもその当時の話を聞いたばかりだったので、この映画はある意味とてもタイムリーで、色々と考えさせられるものでした。
アメリカ西海岸に住む原爆被爆者の方々を訪れる若いクリエイター達のロードトリップを収めたこのドキュメンタリー映画。原爆を語る人がどんどん減って行く昨今、戦争を知らない世代の私達に残された時間はわずかしかない・・・。そんなタイムリミットをつきつけられている私達に出来ることは何か?
約70分という短い時間に集約された中にも、被爆者の方々のインタビューと交流を通して、彼らの気持ちが変化していく様子がありありと観られて、共感できることが沢山あります。
また、アメリカと言う国で被爆者としての経験をずっと胸の内に秘めていた人々が、監督さん達に心を開いて涙ながらに語っていくプロセスの中、「すっきりした」「ありがとう」とお礼を言っている姿がとても印象的でした。
人に話を聴いてもらうことで、癒えていくものってあると思います。
映画上映後にタイトルの「ダウンロード」にはどうゆう意味があるのかを監督の竹田さんからお聞きすることができたのですが、インターネットで情報をダウンロードするように、語り部から色んな情報をダウンロードし、そしてダウンロードされたものを自分たちがどうしていきたいのか?を問う、と言うような意味があるようです。
翌日監督の竹田さんとプロデューサーの若松さんとお食事をする機会を頂いたのですが、二人とも同年代とは思えないくらいしっかり考えて、行動していて、たくさんインスパイアーされました。ありがとうございました。
それにしても、人の話をダウンロードするって、とても現代的な言い回しかも知れないですけど、コンピューター世代の私達にはしっくりくる。
先日の「聴く」と言うことにも繋がると思うのですが、自分の中にそれを受け容れて行くと言うこと。その人の一部を自分の中に受け継いで行くこと。私的にはそんな気がします。そしてそれが私達の器をどんどん大きくし、世界が大きくなり、理解が深まるのかもしれません。
でも大切なのは、その自分の中に受け継いだものをどう自分が消化して、そして還元していくのか・・・と言うところだと思います。時にはダウンロードしたものも、自分で整理整頓しないとパンクしちゃいますから。
私もこの映画を観て、たくさん気づかせてもらったことがあったので、私なりにできることで、どんどんサポートしていきたいと思いました。
と言うことで、10月、11月あたりにニューヨークでも上映会をするかも知れないので、ニューヨークの皆様、ご協力お願いいたします
そして、今後日本でももっとこの映画を多くの人に観てもらうべく、協力してくださる映画関係者の方なども探しているようなので、心あたりのある方はぜひよろしくお願いします。
メキシコの国境の町Tijuanaに在住の竹田さんと言う方が監督の作品なのですが、ひょんとしたご縁で、メキシコで大学の教授をしている親戚のSお姉さんから紹介され、先週末の上映会に行ってきました。
ヒロシマ・ナガサキダウンロード予告編
上映会の様子もレポートされているHPはこちら。
私も東京大空襲を経験した祖父の話を聞いて育ちました。「戦争映画を観ても、あんなもんじゃない、と思ってしまう。」と言う祖父の話に耳を傾けて、自分なりに色々と理解をしようとしてきました。
先週京都でもその当時の話を聞いたばかりだったので、この映画はある意味とてもタイムリーで、色々と考えさせられるものでした。
アメリカ西海岸に住む原爆被爆者の方々を訪れる若いクリエイター達のロードトリップを収めたこのドキュメンタリー映画。原爆を語る人がどんどん減って行く昨今、戦争を知らない世代の私達に残された時間はわずかしかない・・・。そんなタイムリミットをつきつけられている私達に出来ることは何か?
約70分という短い時間に集約された中にも、被爆者の方々のインタビューと交流を通して、彼らの気持ちが変化していく様子がありありと観られて、共感できることが沢山あります。
また、アメリカと言う国で被爆者としての経験をずっと胸の内に秘めていた人々が、監督さん達に心を開いて涙ながらに語っていくプロセスの中、「すっきりした」「ありがとう」とお礼を言っている姿がとても印象的でした。
人に話を聴いてもらうことで、癒えていくものってあると思います。
上映後に質疑応答をする竹田さんと若松さん
映画上映後にタイトルの「ダウンロード」にはどうゆう意味があるのかを監督の竹田さんからお聞きすることができたのですが、インターネットで情報をダウンロードするように、語り部から色んな情報をダウンロードし、そしてダウンロードされたものを自分たちがどうしていきたいのか?を問う、と言うような意味があるようです。
翌日監督の竹田さんとプロデューサーの若松さんとお食事をする機会を頂いたのですが、二人とも同年代とは思えないくらいしっかり考えて、行動していて、たくさんインスパイアーされました。ありがとうございました。
それにしても、人の話をダウンロードするって、とても現代的な言い回しかも知れないですけど、コンピューター世代の私達にはしっくりくる。
先日の「聴く」と言うことにも繋がると思うのですが、自分の中にそれを受け容れて行くと言うこと。その人の一部を自分の中に受け継いで行くこと。私的にはそんな気がします。そしてそれが私達の器をどんどん大きくし、世界が大きくなり、理解が深まるのかもしれません。
でも大切なのは、その自分の中に受け継いだものをどう自分が消化して、そして還元していくのか・・・と言うところだと思います。時にはダウンロードしたものも、自分で整理整頓しないとパンクしちゃいますから。
私もこの映画を観て、たくさん気づかせてもらったことがあったので、私なりにできることで、どんどんサポートしていきたいと思いました。
と言うことで、10月、11月あたりにニューヨークでも上映会をするかも知れないので、ニューヨークの皆様、ご協力お願いいたします

そして、今後日本でももっとこの映画を多くの人に観てもらうべく、協力してくださる映画関係者の方なども探しているようなので、心あたりのある方はぜひよろしくお願いします。


