ヒプノセラピーの前世療法講座を受け

いくつかの前世を思い出して

ふと思ったことがあります。

 

 

それらの一生と

今のわたしのこの生の違い。

 

 

思い出した過去の一生では

どれもがそれぞれにつきひとつの人生だった。

 

ある特徴を持った人として

あるテーマに取り組んだ。

 

今回のわたしの特徴は「こう」

今回のわたしのテーマは「これ」

 

 

思い出した前世の中には、

その生で用意された課題やテーマに存分に取り組んで

「特にやり残したことはない」

「大満足です」

そのような生もありました。

 

ひとつの人生を全うして

十分に味わって

満足して、

でもその人生はそれでおわりだった。

 

 

 

 

わたしたち「人」というものが

どこに向かっているのか。

 

 

進化?進歩?

愛、ワンネス、光、源…

 

 

今のわたしにはこれだという言葉は

まだありませんが、

 

もし何かしらの方向へと向かっているのなら

 

それらの思い出した過去世と、

今この時代に生きているわたしとで

違いがあってもいい。

 

それらの過去世と、今とで

何かしらの方向へと歩みを進めていても、いい。

 

 

そのように思ったときに。

 

 

 

 

 

 

  


もしかして

今回の生では、一生でいくつもの人生を生きてもいいのかもしれない。

 

ふとそう思ったのです。

 

 

 

人生が途中でガラッと変わっても

いい。

 

 


それは例えば、何かしらの避けがたい強制的なこと

事件や事故や病気などで、

「それ」以前と「それ」以後がガラッと変わる。

 

ということは、これまでにも起こってきたでしょう。

 

そのような設定を事前にしてきた魂はこれまでにも多くあったことと思います。

 


 

もしくは、自分でも意図しないうちに

環境が変わることで

立場が変わることで

 

いつの間にか、気が付いたら、変わっていたということもあったでしょう。

 

このような変化はもっと一般的かもしれません。

 

 


けれど、今の時代は、そのような痛みを伴う変化ではなく

またはそのような受け身的な変化でもなく

 

 

自ら選択して

人生や自分自身をガラッと変えても

いい。

 

 

それまでの自分自身をわざわざトレースし続けなくてもいい。

 

 


清水の舞台から飛び降りるような決断や何かがなくたって

特にこれといった理由や影響がなくたって

 

直感で、ふと思って、

 

そんなふうに軽やかに

昨日の自分とまったく違う自分になっても

いい。

 

 


今のこの生で

新しい2個目の、3個目の、いくつもの人生を生きてもいいし、

そんなふうに生きることがぐっと簡単になったんじゃないか。

 


 


人は自然と「自分とはこうだ」という認識を持って生きていると思います。

 

でもその設定は、不要だと思えば変えることができて

その設定はもう十分と感じたなら、その生のうちに次の設定に進んでよくて、

 

もしかしたら今はそのような時代なのかもしれない。

 

そのように感じています。

 

 

 

前世療法を受けると、死後の視点を経験することができます。

人生を「振り返る」という目線を実際に体験することができます。

 

すると、意識さえすれば

死後の視点からこの今の生を見ることもできるようになる。

 

すると、意識さえすれば

生きながらに、次の生を始めることが

できる。

 


ああ、このフェーズはもう十分だ。

「この自分」はもう十分やったな。

 


そのように決めることで。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは比較的、がらっと変わることをいくつか経験した人生を

これまで歩んできました。


それは、外側から見た時にはそこまでわかりやすい形ではないけれど、

自分自身にとっては明らかな変化であり、

そしてそのうちのいくつかは自ら意図して選択したものでした。

 


いつか

わたしは引っ込み思案で、自分の意見をほとんど言うことができなくて

机の中にはあらゆるプリントがぐちゃぐちゃに入っていて

校舎の中で迷子になって泣いたり

習い事へ行く道がわからなくなって泣いたりしていた。

 


いつか

わたしは優等生で、学級委員で、生徒会長で

学年で一番テストの点数が良かった。

朝礼台や卒業式で代表のあいさつをした。

 


いつか

わたしは家出をして、学校を中退して、リュックとテントの放浪の旅をして

短期のアルバイトをいくつも辞めて

髪の毛を自分で短く切って、いつもほとんど同じ服を着ていた。

 


いつか

わたしは仕事帰りに六本木でほとんど毎日友人とお酒を飲んで

煙草を吸って

大きな声で騒いで、公園で始発を待ったりした。

 


いつか

わたしは自己犠牲的に仕事に身をささげて

まわりの人のために身をささげて

居場所と少しの信頼を得るかわりに

人目のないところでうずくまっていたりした。

 


いつか

わたしは仕事で責任者になって

指示を出して、会議をして、注意をして、励まして

80人以上のスタッフの前で6時間の講義をして

満足したりしていた。

 


そしていつか

アルコールも煙草も珈琲も止めて

玄米とサラダとアーモンドを主食にして

前世療法を学んで提供したりしている。

 

 

まあおもしろい人生です。

 

 

今の時代、いくらでも

新しい自分、新しい人生、新しい設定を

始めることができるような気がします。

 


一生に、いくつもの人生を生きても、いい。

 


 


前にこのような話をした友人との前世療法モニターセッションが

数日前にありました。

 

わたしに多くの気づきをくれる、わたしの前世でも登場したことのある

縁深い友人です。

 

モニターセッションは3人目でしたが、

その度に貴重な経験をいただき


そこにあらわれる人生の思いがけなさや多様さ

そして美しさに


わたし自身にとっても学びが多く、

この場をともにしてくれたことへ深く感謝しています。

 

 

・・・

 

 

💫本日も読んでくださりありがとうございます💫

 

あなたの人生も、あなた自身も、光であり神々しく愛しい

どのような道のりであっても

たとえば被害や、または加害のように見えることであっても

すべては光のあらわれであると、わたしは知っています

 

 

 

 ・・・

 

 

 

シリーズもの
あるひとつの前世(ビリー)シリーズ🌿