🍁菅原道真公を通しての白山🍁
🍁
🍁 第二段 の 今回は、
白山と、魂的に繋がりのある
求道心あつき男たち 🍁
🍁漫画「陰陽師」第10巻冒頭を中心に
“八瀬天満宮”の写真と合わせて
記していきます。
🍁
うっかり公開が
漏れておりました。
「菅原道真公を通しての白山その3」
と 前後してしまいますが
急ぎ公開いたします。
🍁
漫画「陰陽師」全13巻という作品は
連載初めは、すごく気楽に
始まったものの、
徐々に・・
特に、8巻以降は、
制作の主導権は、
描き手ではなくて、
上の方にいる
目に見えない、
“何だかでっかい存在たち” に
握られていました。
🍁
たとえていうなら・・
描き手は、
神様ビルディングの
1階にいる、
言い付けられれば
せっせと何でもやる、
よろず引き受け、受付嬢 ?!
そんなの、描くの大変だし、
もっと楽で楽しいもの描きたい、
と思っても、
どこからか資料が送られて、
誰かが、詳しい人に紹介してくれて、と
本気で描かねばならない状況に・・。
毎回冷汗かきながら
入稿した・・そんな感じ !
🍁
「何とか 完結まで 持って行ってもらいたい」
という、サポート側のエネルギーと、
「これが 完成されては 非常に困る」
という、エネルギーの
せめぎ合いを
常に背後に感じながら、
執筆を続けていた作品でした。
🍁
そんな中で・・
漫画「陰陽師」自体も
口の中で”呪”を唱えたり、
袖の中で”印”を組んだりして
理を説いて
時々美女たちに囲まれて・・
スマートに解決する
美形陰陽師 安倍晴明から
身体を張って、
落馬したり、烏帽子を吹っ飛ばして
髪が被髪になって・・
だんだん体裁お構いなしに。
🍁
内裏炎上では
炎上に共感して 大熱出し、
同時に 博雅も
火災の中に飛び込んで、
大事な楽器や書物を救出、と
主役二人も、
生死の際ギリギリ
内裏も、燃え尽きて、
全体が次の段階へ移る前の
厳しい浄化作用を受けたような
ハードな流れへと
展開してゆきました。
🍁
内裏の炎上も、史実ですから、
天徳四年は、
春の晴儀の「天徳内裏歌合」から
急転直下の「内裏炎上」で
桓武天皇 建都以来の内裏が
焼亡してしまったので、
平安時代の中でも、
大きな急転を招いた
大変な年だったと思います。
🍁
漫画「陰陽師」第10巻 では
後半に向かって、
全身全霊、身体を張って
覚悟を決めることで、
内裏を再建する前に、
前例のない地鎮法を
実現させる
(これはフィクションです💗)
晴明自身の底力が、出現した巻でした。
( 読んでるだけでも
胆に力入っちゃうのですが
記録として残して欲しいみたいなので
ただの流れですから、
どうぞ、
気楽に脱力なさってください☺️)
🍁
その序奏にあたる前半。
幼い頃から天台密教に帰依し、
梵字にも様々な御修法にも通じた
加持祈祷の名手 浄蔵 は、
まだ19歳という若き頃、
菅公の怨霊に憑かれた 藤原時平を
加持したことでも有名でした。
同じ異能の人として、
気持ち、退いて構えつつも
筋金入りの魔術師魂の、先輩と
心ひそかに
浄蔵 に惹かれてもいる 晴明が
その浄蔵に会いに
まだ満身創痍の博雅と
連れ立って
八坂の五重塔へ向かいます。
🍁
歓待を受けて、
胸襟開いて語り合う、
僧 浄藏 と 陰陽師 晴明
その道に長けた 魔術師二人。
話題は
内裏を炎上させたと
噂される
菅公の怨霊から
菅公と白山の関係へ。
🍁
白山を開山した
越の大徳こと、泰澄和尚の伝記
「泰澄和尚伝」誕生の時のこと。
🍁
ついに、菅原道真公の本地について
記載に出会ったことなど、
画像と一緒に・・
今回も
白山でのワークショップに向けての
解説と(一人再検証)・・
最初に直感あり、後から物証に大当たりで
撃沈されぶり❗️
記録として、記してみましたので、
どうぞお付き合いくださいませ。
🍁”八瀬天満宮”
御祭神は
菅原道真公。
師檀の契りを
結んでいた、
という
比叡山の
尊意に
仏道の教えを乞うために
菅公が比叡山に通った
八瀬坂の登り口です。
菅公亡き後
尊意が
菅公の霊を
この地に勧請して
“八瀬天満宮”を建て
菅公の霊を
慰撫したそうです。
🍁とても清楚な雰囲気の
神社です。
随分前ですが、
初めてお参りした時は、
ご本殿に菅黄の気配がなくて、
何だか階下右手に控えて
静かに座っているように
感じられて、
あら?
御祭神じゃなかったかしら?
と すごく驚いたものでした。
写真は昨年撮ったものですが、
写真を見ると
白い鳥居に威厳があって
菅公を感じます。
🍁
🍁天徳四年の内裏炎上後、
八坂に廬を結ぶ僧 浄蔵を
博雅と訪ねた晴明。
話題は
内裏を炎上させたと
噂される
菅公の怨霊から
菅公と白山の関係へ。
🍁浄蔵は
明法博士 三善清行の八男。
七歳にして出家。
護法童子を使役し、
顕教にも密教にも通じ、
験力も優れ、
梵字、文章、管弦、天文、
易道、卜筮、占相、
医術にも長けていて
霊験譚もたくさんあります。
美声の持ち主としても
有名でした。
🍁晴明は、
その浄蔵が
父の三善清行から受け継いだ
五条堀川の「化物屋敷」を
潰してしまったことがあります。
・「瓜仙人」(漫画「陰陽師」第9巻)
そのせいか、
同業者嫌忌か、
普段は 浄蔵に会うと
なるべく遠くへ
退いてしまっていました。
そのわりには
浄蔵の験徳に詳しい
晴明さんです。
🍁
🍁晴明は、
浄蔵が19歳の時に、
菅公の怨霊に取り憑かれた
藤原時平公の加持祈祷を
命ぜられて、
加持を途中で
止めたことから、
師であった宇陀法皇から
勘当された事、
その後
横川に籠った理由の
推測を語り
晴明自信が
天徳内裏の歌合せの後、
紫宸殿の南庭で、
菅公の怨霊と遭遇した時
菅公の背後に降りてきた
こちらの情勢にも微動だに
揺らぐことのない
高貴な存在のことを
浄蔵に確認したくて
その神名を口にします。
🍁
🍁「北野天神縁起」より
菅公の霊に取り憑かれた
時平公。
父の三善清行公と
加持に訪れた浄蔵。
この時、浄蔵が
時平公を加持すると
時平公の両耳から
青龍が現れ出て、
父の清行公に、
“私は神仏より正当な許しをもらって
仇をとっているのだから
浄蔵に加持を止めさせるように”
と、訴えます。
父清行公に止められて、
浄蔵は加持をやめ
時平公は息絶えます。
見ると、襖を纏った
時平公(左上)の耳から
細く青龍が出ているのが見えます。
🍁
🍁さらに・・
菅公の背後にいる
高貴な女神の存在に
気づいているのでは・・。
その女神が、
浄蔵にとっても
深い関わりがある
女神であったのでは・・。
それ故、菅公の調伏を
途中でやめたのではないか、と
言及します。
🍁
🍁さらに・・
その女神は
比叡山の背後にもあって、
天台宗を
静かに支えているのも、
大きな、
白山の女神なのではないかと
続けます。
🍁次の一コマで、
晴明は
浄蔵が
一昨年前(天徳二年)に、
門下の者たちを集めて、
白山を開山した
”泰澄和尚の伝記"を
口頭で語り伝えたことに
触れます。
🌼”越の大徳”とも呼ばれる
泰澄和尚は、
人がまだ足を踏み入れられない
霊山であった、霊峰白山に、
霊夢の中に現れた
女神に招かれて、初めて
白山山頂にいたり、
山を開いた行者です。
🌼泰澄和尚の霊験に満ちた
最初の伝説は、
10世紀に記された
「泰澄和尚伝」なのですが、
今回、全文を見つけて、
読んでみましたら、
末尾に、
“この伝記は
浄蔵貴所の面授口実によって
門徒の神與聖人しるし、
後代の亀鑑(手本)として備えた”
と書かれているのを発見。
つまり・・
晴明が触れた、
浄蔵の口述記の一件は
正に、歴史上に
「泰澄和尚伝」の誕生した時 に
触れていたのです。
🌼よく、こんな一コマ、
描いておいたものだなあ、と、
絶句致しました。
🌼
🌼晴明が
心中で、感じている
菊理姫の役目、
働きについて、
独白が続きます。
🌼
🌼この見開きの
女性性側からの
対として
「陰陽師玉手匣」の
この見開きが
描かれました。
🌼
🌼浄蔵の
魂あつい独白も
続きます。
🌼
🍁少しだけ、7巻の
「天徳内裏歌合」にもどります。
🍁百人一首にも残る
歌人、壬生只見(みぶのただみ)の
🌼“恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思ひそめしか”
この歌は、
前回のテーマ「天徳内裏の歌合」で、
歌人 平兼盛の
🌼“しのぶれど 色に出にけり わが恋は
ものや思ふと 人の問ふまで”
とともに、晴れの御遊の
“フィナーレを飾った” 歌でした。
フィナーレを飾っても、
優劣は決めなくてはなりません。
激戦の上、兼盛の
“しのぶれど・・”が
勝ってしまいます。
🍁下級貴族だった壬生只見は、
自信作だった
”恋すてふ・・”の
負けを苦に、
物を食べずに息絶えてしまった
伝説が残ります。
🍁才能ある、苦悩の霊を
菅公が見逃すはずはありません。
壬生只見を、我が眷属にと
取り込もうとしますが、
只見に同情し
”恋すてふ・・” と詠み歌う
博雅の歌声が、
只見の魂を昇天させてしまいます。
🍁菅公の
歌人の怨霊友達を 得ようとの
目論見は破談に・・!
悔しさに、憤る菅公
怒りのあまり
霹靂を飛ばす菅公に
お構いなしに、
🌼瑞祥のしるし、
神の加護の証、
まるで菅公を
祝福しているかのように
白菊の花びらが
雪のように
降り落ちているシーンです。
🌼
🌼カンカンに怒る
菅公の怨霊の背後に
視えるのは
微動だにしない
平安のバランスの
菊理姫。
そのさらに奥の
計り知れぬ深淵・・に
宇宙的な生命の女神
白山比咩を感じてしまう
晴明。
🌼
🌼背後の姫神を前に、
調伏することなどできないので、
魂を高みへと昇らせる
心づくしの祈りを唱え
菅公の霊を慰撫する晴明。
🌼
🍁再び10巻に戻り
牛車の中で
菊の花について
語りあう
博雅と晴明。
菅公亡き後、
比叡山への登り口に
建立された
“八瀬天満宮” のことを
語ります。
🍁菅原道真公を通しての白山🍁その一
🍁白山にふれながら
晴明が
賀茂忠行に弟子入りばかりの頃
師匠に付いて大路を進む途中
菅公率いる
百鬼夜行に遭遇したことを
語ります。
⚡️この時、忠行は印を組み
百鬼夜行をやり過ごしますが、
菅公は、時平公の霊を掴み
髪を逆立て 自らが作った漢詩を
詠い上げながら 通過します。
⚡️時は、延長八年(930年)6月26日
その日正に
歴史に残る 落雷が清涼殿にあり
清涼殿の南庇が焼け、
雨乞いの会議で集まっていた
公卿たちを直撃して
死傷者が出、内裏は大混乱に。
そしてこの時の
落雷事件の惨状を
目にしたことががもとで、
醍醐天皇は3ヶ月後に
崩御します。
⚡️「陰陽師」第1巻の
第一話は
清涼殿落雷事件の直前に
菅公に遭遇した
晴明10歳の時を
想定した作品でした。
⚡️
⚡️清涼殿落雷事件
⚡️
🍁八瀬天満宮。
この神社の裏手に
八瀬坂から
若き菅公は比叡山の
尊意から学ぶために
山道を通いました。
二の鳥居は
二本の樹を注連縄で結んだ
自然の作る鳥居の姿。
自然の樹を 注連縄で結んだ鳥居や、
締めはないけれど、
二本の大樹が鳥居のように
聳えている・・
そのような神社や、聖地は、
たとえ神名が記されていなくても・・。
白山比咩か、菊理姫、
(何となく自然に、二神の違いが
わかるのですが)
が、関わっているな・・
というのが、香る・・というか
感じられます。
🍁この写真を見ると
一枚目の白い鳥居から写した写真と
ちょっと雰囲気が変わります。
中央の白い鳥居は 男性を感じますが、
緑が多いせいもあるのかな。
手前の注連縄は、
ふわふわと柔らかい
女性性のエネルギー。
奥の社は、パリッと、
素光を放って、
次元高く感じます。
手前の菊理姫と奥の白山比咩に
挟まれて
菅公が・・ そんな風に
見えてしまうのです。
🍁
🌼八瀬八幡宮の
清楚なご本殿。
張りのある空気感・・。
初めてお参りした時は、
背面までは回らなかった。
一介の訪問者が
背面まで回っては、
神様に大変失礼と・・
そう感じて
行動に移せない、
力がありましたから。
けれども、
白山の姫神の存在を
感じていました。
🌼昨年、
京都でのワークショップの
参拝場所の候補一つとして
再度お参りした時、
お社の背面へ。
後ろ戸があり、
「十一面観音」
と記された
小さな御賽銭箱が
置かれていました。
然り。
然り。
🌼ネットを検索すると、
社殿の後戸の内側には
十一面観音画像が祀られていると・・
“十一面観音は、菅公の本地物”
という記事を複数見つけました。
十一面観音は白山比咩のことです。
🌼何年も経て、
改めて、作品中の
菅公を検証している
今、この時に、
本地が十一面観音と、
知らされることも
深い導きを感じて
言葉に詰まります。
🌼八瀬の人々に守られた、
魂がジーンと痺れる
素晴らしい神社です。
🌼
🌼こういうところも、
比売神っぽい。
こんなに可愛いものが
辺り一面でした。
🌼
🌼去り難い
御神域です。
🌼
🌼振り返ると
遠くに一の鳥居が
見えるのでした。
🌼
🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁
白山信仰ゆかりの地を
巡りながら、深く自分の内側の豊かさへも
繋がってゆくワークショップ。
聖地をめぐる、バスの座席の都合で、
残席もあとわずかとなりました。
ご縁を感じられました皆さまの
お申し込み
お待ちしております。
🍁
🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼
白山信仰ゆかりの地を
巡りながら、深く自分の内側の豊かさへも
繋がってゆくワークショップ。
WSの案内など
お目通しくださいました皆さん、
ありがとうございました。
🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼
貸切バスが満席となり、
チケット販売を一度締めておりましたが、
自家用車でのご参加でしたら、
受け付けられますので、
再度販売ページを開けています。
バスのお席の方も、
キャンセルが出た場合、再開しますので、
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