🍁🍁熊野の風景🍁🍁  その二

 

🔸産田神社から丹倉神社~大丹倉🔸

 

 

 

花の窟神社の ”お綱かけ神事” に参じた後は・・

 

どっしりと深い存在感の

産田神社”にお参り。

 

人の感覚を

超越したようなエネルギーに満ちていて、

けれど、包み込むように柔らかで。

 

熊野に入ったら、

私たち人間と、神聖な奥山、

そして"太古"を結び繋げてくれるような

産田神社”に

立ち寄らずにはいられません。

 

🍁 産田神社

伊弉冊命 が
軻遇突智命 を産んで
みほと焼かれて亡くなられた地に
建てられたという神社。

 古代の祭祀跡、石の並ぶ神籬が
社の左右に残っています。

🍁 

 

この日、

花の窟神社の”お綱かけ神事”に出払って
参拝者の姿はありません。

とても晴れやかな光に満ちています

🍁

 

 御祭神は現在は、
・イザナミノミコト
・イザナギノミコト
・カグツチノミコト
三神ですが、


 

もともとは長い間
二所大明神と呼ばれ
イザナミノミコト
カグツチノミコト

母と子二神だだったそうです。


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大地の女神
火の神の二神

というところが”(ミソ)”です。

 

🍁

 

“産田神社”を参拝した後は、

熊野の猿田彦こと

瀬古伸廣さんに案内されて、

そのままぐいぐいと熊野の山中・・

 

🍁

 

 

🔸丹倉(にぐら)神社~大丹倉(おおにぐら)🔸

 

 

🍁 大丹倉

尾川川に沿った、
山間の細い林道を走って、

急に視界が開けて現れる、
標高488メートルの大絶壁の“大丹倉”。
 
熊野市の指定文化財で、天然記念物の、
磐の大きさは縦が300m 横は500m。

🍁

緑の木々の間を割って突出する巨岩の
   その大きさにも、青空にそびえる
   赤みがかった巨大な磐の姿にも
 現実の景色ではないようで圧倒されます。


🍁

 

いまだに、天へ天へと
成長しているようです。

 

 

🍁 その昔は修験者たちの行場でもあって。
伝説もたくさん残っているそうなのです。


🍁

 

大磐の中腹に10畳ほどの
修験者の行場があるそうで、

修験者が何日もお籠りされていたようです。

 

 

🍁 大丹倉の瀧(右俣)が見えます。

 

 

🍁 大丹倉へ向かう途中にある
丹倉神社

赤みを帯びた巨大な球体の大磐が御神体。

きっと、火山の噴火の時に

この形が生まれたのでしょうが、


それが1400万年前と思うと、
この形がよく残ったなあと思います。

🍁

 

大丹倉もそうですが、
岩に鉄分が含まれていて、それが酸化して
岩を赤く見せているのだそうです。
 

鉄で剣を造る種族には、
聖地だったろうと。
教えていただきました。

 

 

🍁 大きいです。

 

 

🍁 大磐のお友達かな。
足元がとてもおしゃれな御神木。

 

 

🍁 この聖域の
指揮者のようでした。

 

 

🍁 林道の突き当たりから、
大丹倉へ向かって山の中へと。 

 

 

🍁 妖精が住んでいるような 

明るい森の道を抜けて”大丹倉”へ。

 

 

 

🍁 足元の苔の絨毯が
かわいすぎて、
気をつけないと
苔を踏んでしまいます。

 

 

🍁 地面がかわいすぎちゃって、
歩くのが苦しかった。

そっと優しく歩ったよ

 

 

🍁 こんなきれいな草原も。
切り株の中に妖精が住んでるかな

 

 

🍁ヒカゲノカズラです❗❗

足元見たら、ヒカゲノカズラがそこかしこに❗

乗鞍高原で見つけたカズラたちよりも
伸び伸びしてました!

 

 

🍁 いよいよ大丹倉です。

この岩は、もうすでにあの頂上の磐座の一部。

瀬古さんは、軽々スカスカと
登って行ってしまいました!

 

 

🍁  谷から見上げた あの巨大な磐座に。

革靴だろうと、お構いなし。
「この磐は滑らないから」との案内に、
磐の頂上へ。

 

 

🍁 開けた絶壁の大丹倉の磐は
意外と滑りにくい、
ザラザラとした肌。

 

靴の下のそのざらっとした感触が

 山上にいるのに

磯を歩いているような錯覚を覚えてしまうのです

遥か先の山の頂上が見えているのに

 

 山の上なのか波の打ち寄せる磯なのか

 

足元に海がありそうで、気を取られてしまう

 

不思議な感覚です

 

🍁 巨大な磐座の頂上は、
下から見るよりも
自然の姿のまま、
一段と南に向かって開けていて、
東南から西へ、
熊野の山々を一望に見渡せます。

 

 

🍁 こんな、常にはあり得ない 

エネルギーフィールドだから、

修験者にとって、見渡す限り、

熊野全体が巨大な聖地

 

谷底に流れる水の、その底に、

揺れる枯れ葉から、

 

見過ごされてしまいそうな
磐の隙間の細く、

暗い、磐穴。その中の湿った苔から

小さな生き物たちから・・

 

山頂の磐座、

山々を見遥かす尾根の道道、

 

巌岩を削り落とす瀧のような雨水。

大空を行き交う鳥。

 

常に姿を変えて

自然からのメッセージを届けてくれる

空の雲雲の、一つ一つに至るまでが、

 

修験の行の導きであり

身を置く全てが、

神聖な行場であられたのでしょう。

 

何日もお籠りする

修験者たちに心を馳せ

月夜の大丹倉の山頂に、満ちくる神秘を思うと

鳥肌が立ってくるのです

 

🍁

 

まるで、磯にいるみたい」の言葉に、


そうですよ、この辺りは

海底が隆起しましたから。

 

この山々は、大きな火山だったんですよ。

“熊野カルデラ”というカルデラの縁なんですよ

 

と、瀬古さん。

 

大丹倉の磐は、噴出した溶岩が

流動して固まった、流紋岩だったのです。

(それでザラっとした肌触りだったのですね)

 

🍁

 

そこで、”熊野カルデラ”を調べると、

1400万年前に巨大噴火を起こしたと。

(もう皆さんご存知なのかもしれませが、)

その大きさは、地球史上3番目くらいの

大きさだったそうなのですね。

 

新第三期(まだ人間もいない頃)・・

その時代は、日本列島全体の

地殻変動も活発だったようですが、

 

熊野カルデラ大噴火は

 

大規模な火砕流を発生させて

地球全体の気温を10°Cも下げて

 

地球上に大規模な大量死滅を

起こしたようなのです。

 

🍁

 

熊野には幾つかカルデラがあるようで、

 

熊野那智大社や新宮方面にある

熊野カルデラと、

 

花の窟や、鬼ヶ城の、熊野市側の、

熊野北カルデラ

 

大丹倉は、その二つから噴出した火成岩が

繋がったような場所にあります

 

🍁

 

 

イザナミの死・・・・

 

🍁

 

(以下、古事記 の中のイザナミの亡くなる箇所です。) 

 

次に、

🔥火之夜芸速男神(ヒノヤギハヤオノカミ)を生んだ。

 

亦(また)の名は

🔥火之炫毘古神(ヒノカガビコノカミ)と謂(い)い

 

(また)の名は

🔥火之迦具土神(カグツチノカミ)と謂(い)ふ。

 

この子を生みしに因(よ)りて、

みほと炙(や)かれて病み臥(ふ)せり

 

たぐり(嘔吐)に成りし神の名は、

金山毘古神(カナヤマビコノカミ)、

次に金山毘売神(カナヤマビメノカミ)。

 

次に屎(くそ)に成りし神の名は、

波邇夜須毘古神(ハニヤスビコノカミ)、

波邇夜須毘売神(ハニヤスビメノカミ)。

 

次に尿(ゆまり)に成りし神の名は

弥都波能女神(ミツハノメノカミ)、

 

次に和久産巣日神(ワクムスヒノカミ)。

この神の子は、豊宇気毘売神(トヨウケビメ)と謂ふ

 

かれ、伊射那美神(イザナミノミコト)は、

火の神を生みしによりて、

ついに神避り(かむさり)ましき。・・

 

🔥

 

火の神を産んだことによって

ついに亡くなられた

 

🍁

 

かねがね、記紀の中の

イザナミの死に至るまでに

 

生まれた子供たち、

その生まれる描写を読むと

 

火山の噴火を

思い出さずにいられませんでした。

 

🍁

 

"たぐり(嘔吐) "は 火砕流

 

"屎(くそ)"は 噴出する溶岩

 

"尿(地下水)"に触れた高熱の溶岩から

噴出する蒸気

 

溶岩が冷えて固まり、

時がたって溶岩の間から芽吹く命たち

・・(ワクムスヒノカミ)

 

🍁

 

火の神カグツチ

母神イザナミの墓所である

 

花の窟”の聳り立つ巨大な岩壁も、

 

熊野カルデラの巨大爆発の時の

🔥火砕流🔥から成っているそうなのです。

 

大地(母イザナミ)が、

産みの苦しみの中で大爆発を起こして

 

🔥火の山(カグツチ)を産み落とし

 

大地女神の身体は、そのまま溶岩に覆われ

焼け爛れて死に至り・・

 

女神が嘔吐したものに

地球全体が覆われて陽のエネルギーが遮られ

惑星全体が冷え込み

 

命たちも大量に死滅した・・

 

🍁

 

🍁

 

イザナミの死・・

 

イザナミの本拠地、熊野での

太古の火山巨大噴火の歴史を知ると、

ますます、記紀の中のイザナミの死

 

地球史上稀有の大量死滅を引き起こした

破局的大噴火”を暗示するように

 

見えてきてしまうのです。

 

そして熊野は

1400万年前から

大地母神の死を悼み、

 

”と、””の復活を祝う地と・・

決まっていた・・。

 

破局的大噴火を後世に伝えられる

生き物

いなかったにも関わらずです。

 

そして・・

 

記紀のトリックのように感じるのは、

 

母神の死を招いた禍いのお産

 

その時生まれたが故に、

本来大切敬われるべき自然神たち

 

食物を産み育てる ”” や、”

人間に  力を与えた ”” ・・

 

”、や “尿”、や 

新しい生命をこの世にもたらす ”お産”が

忌まれ・・

 

人間に力を与えたまでもが、

父に斬り殺される 火の神”」 として

描かれた故に、

 

記紀に倣って

 

不自然に

敬われぬままなので、

 

🍁

 

火の山”  ”” と崇める種族・・

火山” と ”” と共に生きる精神と

文化を持つ種族が

 

火の山""と見なす種族・・

火山” ・・あまり知らない種族に

征圧された・・。

 

そんなようにも、

見えてくるのです。

 

🍁

 

 

🍁 太陽の真下に”玉置山”。

深い緑の谷間に瀞峡(どろきょう)へと流れ込む
一筋の銀色の煌めきは、

大地の女神のユマリ(尿)・・。


女神の身体を流れる
罔象女神(みづはめのかみ)。

露出を落として密やかに。

 

🍁 

 

 

🍁 銀色の流れを見ていると、

多重層の熊野の歴史が縒り合わさってきます。

 

大地が記憶した、遠い過去を

聞く耳を持つ人間に

そっと教えるように。

 

🍁

 

 

 

 

🍁 1400万年前の溶岩の
岩肌をもう一度。

 

 

🍁 花の窟神社の磐座

🍁

 

1400万年前の熊野カルデラの
巨大噴火で起こった

火砕流”だったとは!

それがが今も残り、
古事記にも記されている
大地母神、伊弉冊命の墓所に


🍁

 

写真は花の窟神社の”お綱掛け神事”で

“お綱”が磐座の頂上に結ばれて、
三流れの幡が登っていくところ。

お綱”は
イザナミノミコトがこの世に生み出した
七つの自然神象った七本の綱
六角形(断面)に束ねられた大綱です。

イザナミの子供たち、七つの自然神
風の神・・・級長戸辺命(しなとべのみこと)
海の神・・・小童命(わたつみのみこと)
木の神・・・句句廼馳(くくのち)
草の神・・・草野姫(かやのひめ)
火の神・・・軻遇突智尊(かぐつちのみこと)
土の神・・・埴安神(はにやすのかみ)
水の神・・・罔象女(みつなのめ)
     

🍁

 

熊野カルデラが存在すること、
1400万年も前に破局的大爆発を起こしたこと、
それがわかったのは今世紀に入ってからなのに、

まるで、熊野の有馬では当たり前のように
昔から知っていたようです。

 

 

🍁 女神の嘔吐物の遺跡です。

 

 

大丹倉の磐座の上にいたのは

ほんの40分ほど・・。

 

けれど、14000万年前から、

日本の記紀に記された時代・・

そして現代へ

 

地質、文化、歴史、精神・・他にも数々の

膨大な情報、

言葉にできない地球の記憶・・

 

時間も次元も地球の記憶も

多重層のままに

一度に湧き上がってきます。

 

🍁

 

しばし・・
破局的大噴火によって噴出したであろう
かつての溶岩の縁に座って

大地の回復と命の循環を
感謝し寿ぎたい。


修験の聖地、
地球の記憶

地上の保管庫の一つ、

大丹倉

なのです。

 

 

🍁 熊野の山を知り尽くした
瀬古伸廣さん(中央)と、
旅の朋、楓子ちゃんと。

ありがとう💖

 

 

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南紀熊野ジオパーク

https://geopark.jp/geopark/nanki-kumano/

 

花の窟神社

https://hananoiwaya.com/hananoiwaya/iwaya_index.html

 

大丹倉

http://kumano-kankou.com/?p=65

 

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 Reiko Okano

 

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