🍁🍁熊野の風景🍁🍁 その一
🍁花の窟神社の”お綱掛け神事”に訪れた折の
熊野の風景をいくつか。🍁🍁
🍁名古屋から
特急「南紀」に乗って紀伊半島を南下。
🌸春にワークショップで訪れた時は、
🌸
伊勢を過ぎ、瀧原宮を過ぎ、🌸
ダイナミックな山間を縫って
熊野に近づくと、🌸
🌸
山々のあちこち、川に沿って咲き乱れる
満開の桜に向かい入れられましたが・・・🌸
🌸
🍁 10月は・・思いがけず・・
山の麓、畑の側、野のあちこちに
燃えるように群生する
満開の彼岸花に迎え入れられました。
🍂名古屋から3時間半。
エメラルドグリーンの熊野川を渡って
新宮市へ。
🍂新宮駅で待っていて下さったのは
熊野の猿田彦こと瀬古伸廣さん。
熊野をお庭のように知り尽くした方
御杖村に行った時にもワークショップでも
大変お世話になりましたが、
一泊二日の熊野滞在に
盛りだくさんのご案内をしてくださいました。
🍁新宮を見下ろす山上から始まり、
🍁万葉集にも読み込まれた”三輪(神の)崎”
“孔島” “鈴島”。
🍁熊野灘に沿って続く 熊野古道の
“高野坂”へ。
新宮の海側の、表に出ない歴史の旅でした。
🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁
"新宮"探訪・・
大漁 の画像! に
結構、コアな旅です。
けれど、なんだか外せない、
熊野の懐奥へ。
よろしければ
どうぞお付き合いくださいませ。
そして・・
熊野の風景 その二へ
続きます。
熊野・・多重層すぎて・・ああ、
エライコッチャ
山登るより大変かも💦
🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁
💐秋季例大祭“お綱掛け神事” へ💐
🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁
🍁瀧原宮を過ぎ
熊野に向かって南下する紀勢線に
西へ東へと蛇行して
絡み合って流れる”大内山川”。
🍁伊勢のデルタ地帯を形成する
“宮川”の最大の支流で、
この大内山川が宮川に合流する
川の出会いの地に”瀧原宮”があります。
🍁最終的に御鎮座の地が
”伊勢”と定まったのも、
三重県で一番長い川で、
大台ヶ原に水源を発する”宮川”が・・
その”宮川”の河岸と、水源の地質が・・
決定の重要ポイントだったのではと
思うのです。
🍁紀勢線の車窓から見える
清らかな川や緑や・・
遠くに垣間見える山々の影を見ていると、
ふと過去の秘密が紐解かれる。
そんな気持ちになります。
🍁彼岸近くに一斉に花を咲かせる
彼岸花に出迎えられて。
あっちにもこっちにも彼岸花。
春来た時は、満開の桜に出迎えられて。
🌸春の彼岸、🍁秋の彼岸・・
奇しくもぴったり、半年ぶりの
熊野入りでした。
🍁
🍁名古屋から 特急南紀で3時間半。
エメラルドグリーンの熊野川を渡って
新宮市へ。
🍁出迎えてくださった、新宮在住の
瀬古伸廣さんのご案内で、
🍁まずは新宮を見おろす山の上へ。
神武天皇東征の上陸のお話から、
熊野川の地勢の歴史も、新宮の町の成り立ちも。
見晴らしの山の上で
滔々とお話しくださいました。
🍁
🍁瀬古さんの生まれ故郷
新宮市よりも歴史の古い「三輪崎(みわさき)」へ。
🍁新宮の港に浮かぶ、”孔島(久嶋)” ”鈴島”を繋ぐ
新しい堤防の道へ。
https://www.shinguu.jp/spots/detail/A0016
🍁”鈴島”🍁
🍁”鈴島”から新宮港を挟んで向こう岸は
「三輪崎」と並んで、万葉集の歌にも残る
「佐野」。
🍁”孔島” 。
柔らかい円錐形の島です。
🍁ハマユウが自生していたり、
珍しい鳥たちも住んでいる
貴重な島なのだそうです。
ハマユウが咲いている6月ごろの孔島も
訪れてみたいです。
🍁大鳥居の額には”厳島神社”と。
🍁お母さんのお腹の中に入るように
島の中へ鳥居が続きます。
🍁産道です。
🍁ご祭神は”市杵島比売命”。
鯨漁の地
鯨とともに生きてきた
「三輪崎」の氏神さま。
鯨漁の長が大切にお守りしていると
うかがいました。
🍁鳥居の真正面に「三輪崎」の町。
🍁神武天皇の上陸の地とも。
万葉集にも残る「三輪崎」の名前は
検索しても、熊野のこの地一箇所。
「三輪崎」の「三輪」が熊野川を遡り
玉置山を北上し、奈良桜井市の「三輪山」の名に。
と、おっしゃる瀬古さん。
🍂その流れ、よくわかるのです。
かつて 取材で「三輪山」から南下して
吉野へ、室生へ。天川へ。と
何度も紀伊半島へ入りましたが、
玉置山まで入り、
玉置神社の磐座、玉石社に参拝すると、
「はっ、こちらが先だ」と
直感的に気づくのです。
さらに、熊野、新宮へ至ると、
熊野側に発端があるのを
感覚的に、確信してしまいます。
🍂ついに、その発端の地に
その地に生まれ育った瀬古さんに案内され、
お参りすることができました。
🍁鳥居の左手に見えるのは
佐野の町。
🍁防波堤から見る
熊野灘。
🍁三輪崎から程近く、
海沿いの丘陵地に続く
“熊野古道”高野坂へ。
🍁暖かな日差しの中
阿須賀神社・神倉神社へと
向かう”高野坂”を登ります
🍁熊野古道らしい
石畳の道が現れました。
🍁苔むして、夕陽に映えて
なかなか味のある古い道です。
🍁見事なシダの壁面
🍁シダの瀧です。
🍁熊野古道をはずれて
“鯨山見跡”へ。
🍁道の傍らに石積みが。
とても古そうです。
🍁この辺りは
“おな神の森”と呼ばれて
上陸した神武天皇と
戦って倒れた
「丹敷戸畔」(にしきとべ)の部族が
住んでいたとも
戦いの地とも
伝えられているそうです。
🍁とてもデリケートな場所でも
あるのだけれど
「早くおいで !」と
呼ばれているように
ワクワク感が湧き上がって
🍁高野坂は、夕陽を浴びて
黄金色で、苔の緑も鮮やかに映えて
まるで妖精たちが
いつも通り抜けているような
楽しい愛らしい道だったので、
自然と言葉と歌が降りてきて・・
(道が、驚かないように、
わたしたちを待つものが驚かないように)
歌を歌って、周囲と和みながら
石畳の坂を登り
鯨山見の展望への道を
歩んでいました。
🍁鯨山見跡への道すがら、
瀬古さんがお話しくださったのは、
また、思いがけないお話し。
瀬古さんが生まれて間もない頃、
昭和南海地震が起こって、
まだ赤ちゃんの瀬古さんは
お母さんに背負われて、
この山の坂を登って津波から逃げた
そうなのです。
「よくわからなかったけれど、
お母さんにおぶさってこの山を登った、
波から逃げた、記憶が残っている」
と。
鬼気迫る記憶を。
🍁その時津波から逃げてくださった
お母さんのおかげで
今こうして瀬古さんと
熊野をめぐることができる・・。
ちょうどこの辺りは、何か時空間が
熊野古道とちがって、
時空が交錯しているような、
普通の時空間と感覚的に違うところなので、
まさに津波から逃げる
お母様に背負われた瀬古さんと
オーバーラップするようで
クラクラしました。
🍁鯨山見跡の丘の上です。
🍁鯨漁が盛んな頃、鯨のことを
“山”と呼んだそうで、
この見晴らしから遠洋の鯨を発見して、
のろしを上げて
海上の鯨漁の船たちに
知らせたそうです。
🍁右手の一番手前が”鈴島”。
真ん中に”孔島” が。
🍁鯨山見跡の丘の上に、
遠い昔、地元に住む部族を巻き込んで
対峙した二人の長。
神日本磐余彦尊 と
神熊野丹敷戸畔 と
碑がたてられていました。
🍁ここを訪れられた多くの方々の祈り、
その功 あられてか、
地元の御魂たちの
輪となって和む存在を
感じていました。
🍁人それぞれ、感じるものは
違うのではありますが、
ここにそっと記しておきます。
わたしたちを迎え入れてくださって、
ありがとう。
🍁鯨山見丘から熊野古道へ戻る道は
全体柔らかい黄金色に包まれて
まるで道の先が
この世ではないようなくらい、
金色に煌めいて。
うっとりするほど美しかったのです。
🍁このまま
黄金色の光の方に歩って行ったら
一体どこへ出てしまうのか。
急いでいなければ、時間を忘れて
ゆっくりしてしまいそう。
🍁道に広がる苔が可愛くて。
どこを見ても美しいので、
ちょっと、
ホビットになったような
気分。
🍁熊野古道に戻りました。
なんとなく普通の感じに。
🍁あ、そう普通でもないか。
古道を下り始めて、
実はずいぶん急な山道を
登っていたことに気づきました。
🍁新宮に着いてから
休憩なしで
三輪崎の防波堤を歩って、
高野坂を上り下りして。
夜のお食事は、ここ。
瀬古さんのお友達の
新宮市内の”古式手打ちうどん”のお店。
古式手打ちうどん”まさ屋”さん。
まさ屋さんの「うどんすき」 !
🍁食べたことのない美味しさ❗
🍁とても運よく、山盛りの松茸! に、
お野菜も、お肉も、たっぷり、
そして、実はメインは
食べ出したら止まらない、
もちもちのおうどん❗です。
🍁わざわざ新宮まで
食べに行きたいくらい
絶品でした!!
🍁“まさ屋” さん、瀬古さん、
ご馳走様でした。
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