かつらぎ町

 

10月22日〜24日、和歌山県伊都郡かつらぎ町に赴きました。この間3つのお話があり、それぞれはこのような順に催されています。

 

【1】10月22日、丹生都比売神社主催の「ひめの会」発足記念プレイベントにてゲストトークを行いました。

 

【2】10月23日、かつらぎ総合文化会館で開催されました、世界遺産シンポジウム「祈りと共生の世界遺産」にて記念講演をつとめました。
演題は、「漫画『陰陽師』と丹生都比売神社、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」との縁(ゆかり)」です。

 

【3】10月23日、記念講演直後のパネルディスカッション「祈りと共生の世界遺産」へパネリストとして参加しました。

 

3つともご報告したいと思いますが、まずは一番最後の、シンポジウムでの 【3】パネルディスカッション「祈りと共生の世界遺産」から書きますね。

 

 

【3】かつらぎ町パネルディスカッション

                     「祈りと共生の世界遺産」

 

去る10月23日、和歌山県伊都郡かつらぎ町のかつらぎ総合文化会館で開催されました、世界遺産シンポジウム「祈りと共生の世界遺産」にお集まりくださった皆さん、どうもありがとうございました。

 

23日は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」への、かつらぎ町にある「高野参詣道三谷坂」の正式追加登録前日とあって、後半のパネルディスカッションではズシンと盛り上がりましたね。

 

いらした方々はもちろん、来れなかった皆さんにもあの会場の盛り上がりを彷彿とできますか、ご報告してみますね。

 

                 シンポジウムのチラシです。◎クリックでpdfデータでごらんいただけます。

 

「高野参詣道三谷坂」というのは、文字通り高野山への参詣の道なのですが、弘法大師が高野山を開く為の守護神となった、丹生都比売神をお祭りする「丹生都比売神社」こと「天野大社」の鎮座する聖域天野地区と、麓(ふもと)の三谷地区を結ぶ参道から高野山へと入る道なのです。

 

麓の紀ノ川に近い三谷地区には「丹生酒殿神社」(にうさかどのじんじゃ)があり、二つの神社は天野大社創建当時からの参道である「三谷坂」で結ばれていて、「丹生酒殿神社」は山の上の本社である天野大社の遥拝所として酒殿が置かれ、それゆえ「丹生酒殿神社」と名がついたようです。
南北に長いかつらぎ町は、高野参詣に縁が深く歴史的に古いこの二つの神社をカバーして、紀ノ川をまたいで位置しています。

 

実は先に世界遺産に登録されている参詣道は、とてもメジャーな、弘法大師のご母堂を祀る九度山の慈尊院から、天野、高野山大塔に至るルート「町石道」こと「高野参詣道町石卒塔婆道」なのですが、「高野参詣道三谷坂」はさらに古く、弘法大師が高野を開いた当初は、高野山よりも早くから鎮座していた天野大社を参詣して、高野へと入った、高野参詣の正式なルートであったというのですね。

 

 

摂関、院政期の仁和寺の覚法法親王や上皇たちの高野参籠経路の記録や、三谷坂に残る、弘法大師の傘が風にあおられて飛んできた〜などの謂れも持つ(もちろん違うのですが)「笠石」や、大白蛇に化けて通りがかりの丹生明神の邪魔をしたところ丹生明神にほっぺを切られその傷が残ってもた〜という謂れもある(これはあり得るかもと思うのですが、)大きな自然石から現世に湧き出てきたかのような「頰切地蔵」等の中世の石造物のお話。

 

三谷薬師堂で近年発見された現存最古の丹生高野四社明神の木造のご神像が、実は天野の「丹生都比売神社」本殿内に祀られている銅製のご神像の原型の木型であったこと。然も木製のご神像は元々は三谷坂入り口にある「丹生酒殿神社」に祀られていた可能性があることなどと、次々と畳み掛けるようにパネリストの先生方から明らかにされてくる、高野参詣道の過去の姿、人の住まぬ聖域としての天野の姿、天野大社の女神、丹生都比売神の神領を譲り受けて高野を開いた弘法大師と、天野の深い関係が開示され、会場の温度が上がって行くのが見て取れました。

 

 

シンポジウムが始まるまで、まだよく知らなかった「三谷坂」。

 

歴史の中で埋もれていた参詣道の古のエネルギーラインが、ブルルっと、積もった埃や錆びを落として姿を表し、驚いたことに、丹の色から水銀の色に、さらに銀紫、紫磨黄金へと輝きを増しながら浮かび上がってくる。そんな様が会場内にも見えるようで、「うは〜〜っ、丹生都比売さんやる気だ〜〜。本腰入れる気だ〜〜。」と私も大いに汗ばみました。

 

最後は会場に、たくさんの笑顔の花がきらきらとほころんでいましたね。

 

あの日のあの時間、本当に宝物の時間のようでした。当日配られたシンポジウムの内容の濃いレジュメも私にとって宝物です。  

丹生都比売神社の鳥居。シンポジウムで尾上恵治棟梁のお話にあった稚児柱が付いてます。神仏習合でお寺が一緒だった証ですね。

丹生都比売神社の鳥居。シンポジウムで尾上恵治棟梁のお話にあった

稚児柱が付いてます。神仏習合でお寺が一緒だった証ですね。

 

 

熱気も冷めぬ翌24日、「高野参詣道三谷坂」は世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』へ正式に追加登録されたとのこと。「三谷坂」古の姿が多くの来場者の前で詳らかに現れ出てのご登録、なんと喜ばしいタイミングでしょう。

 

世界的に例のない、神道、自然信仰(修験)、密教(仏教)3つの信仰が融和共存した聖地、熊野、吉野、高野、天野の寺社への参詣の古道、山岳修行の道、行の場が含まれた、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」。この存在は地球にとっても貴重な、天野の丹生都比売大神や弥山の妙音弁財天の女神の御座す、融和と共存のボルテックスです。

 

信仰の違いに壁を作らないで、融和両立させていく、それは古く宮中御神楽の本方末方の縒合の構成や、その構成の影響を受けついだ雅楽の唐楽・高麗楽の舞楽の番(つがい)の構成にも表れています。それはまるで絡み合う一対の蛇ですし、神社のしめ縄の姿です。そこにあるのは絡み合う相手と息を合わせ、力関係を釣りあわせる思いやりです。

 

 

紀伊山地の霊場の神仏習合の千年以上にわたる歴史は時間を横から見ると、三重に絡み合った太いしめ縄のように見えるのかもしれません。それをふつっと横に断てば、その断面は「巴」。丹生都比売神社のご神紋です。

 

これからその渦が地球上の本当の豊かさや、本当の幸せのために力を増していくような気がします。

 

日本古来の精神、神々や仏たち、即身成仏を説かれた弘法大師の望まれた未来へと、開かれていくように。

 

かつらぎ町の皆さん、真におめでとうございました。

 

これを期に、世界における「かつらぎ町」の役目へと、また新しい一歩を踏み出して行かれることになるのだと思います。

 

続きます。

 

                                             (参考 丹生都比売神社誌 昭和55年4月1日版)

 

      (【2】10月23日、記念講演「漫画『陰陽師』と丹生都比売神社、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」との縁(ゆかり)」にすすむ。)