こんにちは。
気が付いたら人生の半分以上オーストラリアに住んでいることになっていた、シングルマザー歴24年、リメディアルセラピスト、桔梗のブログの部屋へようこそ
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2年前の今日、午後8時半、定期便の日曜夜のオンラインコールに母は出なかった。
何度家に電話をかけても、何度携帯に連絡をしても、母は電話を取らなかった。
例えようも無い不安と、嫌な予感。
そしてそれらを否定したくても否定出来なかったのは、今まで経験したことの無いような胸騒ぎが数時間経っても消えなかったからだ。
(たった一人の孫のアリスとのオンラインコールを毎週楽しみにしていた母が、電話に出ないはずはない)
日本の警備会社に電話を入れて、母の様子を見に行ってもらった。
その時私はおそらく気付いていたのだ。
母がもうこの世の人ではなくなっているであろうことに。
不思議なことに、警備会社に連絡を入れた時点で私の胸騒ぎは治っていた。
そして警備会社の方から電話が入り母が心肺停止状態であったこと、そして警察や救急車などの手続きをやってくださったことを聞いて私は安堵した。
(母の死を早く見つけてあげられて良かった)
あの胸騒ぎは、私に自分の死を見つけてもらいたかった母からのメッセージだったのか、それとも私を守ってくれているガーディアンからの知らせだったのか?
それとも、二年以上毎週日曜日に行なっていたオンラインコールを、理由も無くキャンセルする訳は無いという母のきっちりとした性格と生活から推測した私の脳が、母が電話をとらないのは絶対に不自然なことだと訴えていたのか?
多分あの胸騒ぎは、『第六感』と呼ばれるものだったのだと思う。
五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)以外の、人によって感じやすさは違うものの、誰もが持っているであろう感覚で、インスピレーションと呼ばれるもの。
あの夜に感じた胸騒ぎは、私にとっては絶対に無視をしてはいけない感覚だった。
第六感というのは、この世に存在する目に見えない何かの存在を信じていない人や物事を深く考えることをしない人は、もしかしたら感じ難いものなのかも知れない。
シェフになるのであれば、味覚の鍛錬というのは欠かせない。
音楽家は聴覚の鍛錬、私のようなマッサージセラピストであれば触覚の鍛錬というのは必要不可欠だ。
同じように第六感も鍛錬が必要なのだと思う。
第六感には『霊感』というのも含まれるようだから、自然霊やガーディアンと呼ばれる守護霊などの目に見えない何かの存在を信じている人はメッセージが届きやすい状態にあるのだと私は思う。
また、いろんな情報を抱える脳の働きを鍛錬するには『考える』ことが大切だ。
暗記というのは脳に情報を入れるだけ。その情報を使って脳で考えて生活で使わなければ、入れた情報は宝の持ち腐れになる。
なので、脳に入れた情報を考えて生活に役立てる鍛錬を積めば、いわゆるインスピレーションと呼ばれるものが働きやすくなるのではないだろうか?
2022年に母が亡くなった後、私は怒涛の二年を過ごした。
先ず母の家と遺品整理。
それが終わったと思ったら、突然90歳になろうかという叔父夫婦の施設への引っ越しと、それに伴う荷物整理と処分をすることになった。
母の死から三ヶ月も経たない六月に、私の弟のホオズキと叔父の兄である父が話し合って、叔父夫婦が二十年以上も住んでいた(私の)祖父母の家を処分するから身の振り方を考えろ、という手紙を父が送り付けたからだ。
けれど昨年の二月、ケアマネさんのご尽力により叔父夫婦は無事に施設の二人部屋に入居することが出来た。(しかも元の家から車で5分の場所)
それから一年も経たず、母が逝ってから一年七ヶ月後の2022年11月、叔父は90歳でこの世を去った。
実は昨年2023年11月の渡日は叔父の具合が悪くなって入院したから決めたのではなく、年の初めに売り出されたジェットスターのセールチケットを買ってあったのだ。
だから10月初めに日本の友人たちと連絡をとって会う段取りを決めたりしていて、半分観光の渡日のはずだった。
叔父の具合が急変したのは10月半ばで、私は友人との予定を全てキャンセルした。
そしてオーストラリアのマッサージのお客様にも事情を説明して、叔父の具合がかなり悪いので帰国が二週間より遅れるかも知れないことをあらかじめ案内した。
実は私は10月半ばに施設から叔父が入院したという連絡を頂いてすぐに、叔父が長くはないことを悟っていた。
理由は、4月から毎週行なっていたオンラインコールである。
毎週日曜日に施設の方に頼んで、数分のオンラインコールを行なっていた。
叔父が衰えていく様子が、手に取るように分かっていたのだ。
私が到着した日に退院して施設に戻った叔父は、一週間後に安らかに逝った。
なぜ叔父は、私が11月に渡日することを知っていたかのように逝ったのか?
私は母の写真を常に持ち歩いている。
母がチョコレートが好きだったこともあって、娘アリスは「おばあちゃんに」と言ってよくチョコを仏壇にお供えしている。
母が亡くなってから私は沢山の方々と出会い、縁を繋ぎ、その方々から助けを頂いて物事をスムーズに運ぶことが出来ている。
母かそれとも私のガーディアンたちなのかは分からないけれど、昨年11月に叔父が亡くなったのは、きっと私の負担を軽減するために予め予約していた渡日の時期に合わせて叔父を迎えに来てくれた、いわゆる御導きだと私は思っている。
昨年の12月、仏壇にはアリスが気に入っている叔父の若かりし頃の写真が増えた。
昨晩スーパーに行った時、安売りしていたイースターエッグを買ってきて仏壇にお供えした。(イースターが過ぎたからセール。クリスマス翌日のクリスマスケーキと同じ😅)
遺影の母は、私が最後に見たオンラインコールでの母と同じように微笑んでいる。
私はいつものように話しかけた。
「お母さんありがとう💜叔父さんもこれからも見守っていて下さい🤗」
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不幸があるから幸せが余計に感じられる。今でもシングルの私が、幸せを手に入れるまでの軌跡を綴ってます。
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