先日、ロシアの超能力の学校の紹介をテレビでやっていました。
コップを逆さにかぶせたような状態で、空気の動かない状態のオブジェを念力で動かす、ということをやっていました。
見事何人かのひとは動かしていました。
ウソか本当かはわかりませんが、わたしは本当だと思う、なんとなく。
しかし動かしたことより、動くまで待つことができるのが大したものだなあと思いました。
むかし古神道の修行をしたとき、透視というほどでもないですが、封筒の中身を当ててみなさい、というのがありました。先生は、
「情報を自分から取りに行くな!見えてくるのを待て」
というようなことをおっしゃいました。
アメリカのソローという詩人も、
「大切なのは、何を見るかではない、何が見えてくるかだ」
と同じことを。
また、これは願立剣術物語にある一文なのですが、
「器物に水を入れ、敬って待つ心地なり。乱りに腕を上げ下げするな」
という、これもつまり待てと。
なんというか、積極的受け身とでも申しますか。
待つこと。
これ、大事ですね。