父の命日に想う、躾けと愛のむち |  レイキと共に歩む青木文紀(レイドウレイキ主宰)

 レイキと共に歩む青木文紀(レイドウレイキ主宰)

東京都品川区大井町レイドウレイキ主宰、ヒューマン&トラスト研究所
レイキ専任でいよいよ32年目を迎える、レイキヒーリング施療とレイキヒーラー養成講座。信頼のレイキ療法、西洋レイキと伝統霊気の融合であるレイドウレイキの活動。

暴力で指導することはいけません。
今日は空海所縁の寺、善通寺において指導する40代のお坊さんが若い20代のお坊さんの修行の姿に是正を求めてか?
暴力があったと報道されていました。
古いしきたりのお寺の修業の世界には、厳しい指導は昔なら当たり前のことも、今はそれは「いけないこと」と評されます。

話は変わりますが、昨日は父親の祥月命日を31日に迎えることもあり、静かな一時を過ごしておりました。
第三段階神秘伝の研修では人生を振り返る課題があります、私自身も両親のことを想い時間と空間を旅していました。
静かな書斎で第三シンボルを描き特に父親に焦点を合わせて昔の事を走馬灯のように思い出します。
今日は我が心のうちに何時も共にいてくれる父親の事を書こうと思います。

亡き父は62歳の生涯を全うしました。臼井先生も林先生も62歳で人生を終えていて父も同じ年代とは不思議な偶然です。
我が父は実業の世界では成功したり失敗したり、山あり谷ありでそのたびに家族は共に喜び共に悲しむの波瀾万丈の人生であったかと追憶します。
その家の長男として出生した私は父親の跡取りとしての厳しい躾けをうけながら、期待と重荷に苦しむ子供時代を生きてきました。
父親も長男ですのでその息子に期待をかけるのはその当時なら当然で、戦争体験者の父にできなかったことを子供に託すそんな時代でした。
父は鉄鋼関係の仕事に従事しており、第二次産業は戦後の日本復興に向けて経済の柱です。
私が生まれた時は父は某鉄鋼関係の工場長として何人もの工員さんを束ねて、大きな仕事に取り組んでいました。
仕事に明け暮れて、納期が間に合わなければ徹夜で仕事をするなど当たり前の社会でした。
油まみれの作業服で映る、懐かしい父親の写真は私には逞しい存在でした。その後父は独立して一代事業を興しました。

父親と共に過ごした幼少のころはともかく躾けで手を上げられて育ちました。
今でこそドメスティクバイオレンスなる心理用語の通じる世界ではなく、育成の手段として殴られることはしばしばでした。
それが自分のトラウマとなっていたことは心身の癒しの世界に生きて学んでよく分かることです。
男の子は人の前で泣いてはいけない、歯をくいしばれ「バシ」という日常生活でしたから。
何か悪いことをしたのでしょうか、私の右手の親指の付け根に御線香でつけられてと思う焼けどの跡があります。
よっぽど父親の感に触ったのでしょう!今では父親との波動のコンタクトにその後はスイッチの役割をしています。

私が父から叩かれたのは悪いことをして怒られることばかりではなく「母」に手を上げようとする父を子供ながらに制止しようとした時もありました。
母を守ろうとしても父親の力にはどうしたって敵いません、飛ばされて配給だったころの玄関だったり窓だったりのガラスをよく割りました。
いやいや、そのたびに嫌味を言われ、代償を求められ子供心は傷つきました。
それでも近所では豊かな暮らしをしている家だったようで、見栄を張る父はテレビを買い窓越しに近所の人が見に来ていたことが自慢でした。
こんな事を書けば父親は鬼のような存在になってしまいますがそればかりであはりません。

徹夜続きの毎日で母も家事が忙しく「父親の働く場所に着替えをもっていったことがありました」地図を渡されて、初めて一人で電車に乗り、父のいる場所にたどり着いたときの嬉しかったこと、工場から父が出て来てくれて、油いっぱいの作業着の父親の手の中に飛び込んで行ったことも忘れられない出来事でした・・・書き出せばきりなくいろいろな出来事が思い出されて、いずれも最愛の父親から学んだことを書いておこうかと思うほどです。

いろいろありましたが、愛のむち(無智)でも一生懸命に育ててくれた父には慈父の想いを感じます。
第三シンボルを使い「まだ癒されていないことを想い出し」その出来事を許し・癒し・解放することができることをレイキの道では教えます。
その効果は過去の出来事が癒えて、そこから学び「今の」自分に反映させて感謝の心で解放することが出来るようになるのです。
閉ざされたふたを開けるといろいろな出来事が溢れてきますが、その一つ一つを感じ、そこに光を照らしてみましょう。
天の父に伝えます、私はいま第三次産業に身を置いて、癒しの道を歩んでいますと尊敬と感謝の想いを捧げます。

レイドウレイキは暴力は反対です、お大師さんも暴力は反対されることでしょう、愛と平和の波動で癒しが起きますように祈念します。