三日間の夏期禅学会より戻りました。
大自然の大雄山の懐に抱かれて、ただただ只管打座で静寂の心となり、自分を取り戻す貴重なひと時を過ごして参りました。
大雄山とは私自身が不動明王関東36不動の札所として初めて参拝して以来、なにかとご縁がありこれまでにも何度かお訪ねしておりました。
レイドウレイキマスターの岩渕正巳先生は大雄山の夏期禅学会は平成3年から22年間毎月御親友と参列されていることをお聞きしておりましたが、準備が整っていなかったのか、なかなか3日間の時間を創作することが出来ませんでした。
遍路に行きたくてもなかなか行けないように、また行ける予定は組んだとしてもそれが実現することは難しいことなのです。
昨年もお誘いを受けていたのですが、仕事の調節つかず参加出来なかったことを悔やむ一年前の同じ時期にブログに書いていました。
今回の参加は時機がやっと来て、岩渕先生と「今まさにこの瞬間」ご一緒させていただくことができたことはまことに光栄なことだと思います。
朝は4時から夜が白々と明けるころからの禅は坐禅の時の合図と共に朝の行動の始まりを告げる山の鳥たちの美しい声が聞こえてきます。
大自然なかで座禅を組める幸せは言葉に表すことが出来ません。夜は夜で暗闇の中本堂で行う坐禅は滝の流れ落ちる音だけが聴こえている。
岩がねにせかれざりせば滝つ瀬の 水のひゞきも世にはきこえじ (滝)明治天皇御製
禅が終わると経行をする、経行そのものの意味は、機の縦糸のごとく、まっすぐに往きかつ帰ることと言われている。
慌てふためき歩く日常生活では決して行うことのできない、歩きながらの禅も本堂の静けさと相俟って、格別の作法です。
私も各所で禅の修行を積んで参りましたが、細かな作法はそれぞれの修行所によって違います、それでも禅の本筋は変わることはないのです。
そして食事作法も大変丁寧にご指導いただきました。
道元禅師は「赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)」の冒頭に「本当の仏の教えが自分の身に備わったならば、仏としての食事の作法がきちんと行われなければ、自ずと仏の教えが自分の身に備わる」と記されています。
現代社会での食事では到底おこなうことは出来ないかもしれない、食事作法も禅修行では静かに味わい深く精進料理を有難くいただきました。
大雄山最乗寺の石附周行山主老師は昨年大本山總持寺の福貫首として昨年の8月にご就任されたそうです。
その石附山主老師は提唱として2日間にわたり従容録の講義をしてくださいました、また泰寧寺住職山岸弘文老師も「尽大地の人」とテーマされて感動的な講演をお聞きしました。
坐禅を中心に講演そして写経までまことに充実した3日間は一人ではできない味わい深い経験を積ませていただくことが出来ました。感謝に尽きます。
昼間はまだまだ日差しが強い今日この頃ですが、大雄山の大自然の中は朝晩は涼しく、クーラー不要の生活はまさに極楽の時であったと述壊します。大雄山で心身浄化して参りました