川崎大師「夏期講座」の最終日を迎えました。
今日は「弘法大師と四国遍路」のテーマで四国霊場第4番・大日寺住職・真壁俊照さんの講演です。
私が初めて四国のお寺に訪ねたのは高知の山崎真理先生のもとでセミナーに参加した後日、「折角高知に来たのだから四国八十八箇所のお寺に行きましょう」とご一緒していただいたのが第36番札所青龍寺でありました。
もう何年前になるのでしょう2月のまだ寒いお寺に参拝したことが懐かしく思い出されます。
それが縁となり四国八十八箇所の巡礼をいたしまして、4年ぐらいの時間をかけて満願することが出来ました。
その4番寺である大日寺さんの住職の講話とお聞きし、わくわくした気持ちで川崎大師の夏講座最終日に参加してきました。
徳ある人はその姿見ただけで手を合わせたくなるといいますが、まさしく壇上に立たれた姿に合掌してしまいます。
私は自分の教室では自慢話や人の悪口や愚痴は言わないのですよと先人から伝承されています。
「四国のお遍路を訪ねてくださる皆様が多くおいでになられて心より感謝しています、今日は癒しやエネルギースポット巡りなどという観光ムードが求められる時代ですが、本来四国へのお遍路とは何だったのかをご存じない方にその真を伝承するのが講演の目的なんです」と優しいお声でお話が始まりました。
昔の四国遍路というのは不治の病や難病の方が大変多くいました、その人たちは一生懸命にお祈りを捧げていました。
私の寺でも忘れらないお話は色々在るのですが、参拝されていた病気回復祈願の親子のことを思い出します、昭和36年の夏でした。
30代後半の父親が包帯ぐるぐる巻きで山門にいました、その傍にまだ小さい娘さんがいました、お父さんの病気はハンセン病と思われます、今でこそ病気治療は進展して不治の病から回復も出来る時代ですがその当時は医療回復は望めない病の方が多く四国遍路をされていたのです。
こういう病気の方に接すると「治らない」病気と分かりながら、やすっぽい言葉がけは言えませんでした。
そのお子さんは小さいながら父親の不治の病を知っているかのように大師堂の前で一生懸命に手を合わせて拝んでいるのです、常人では計り知れない祈りの深さに驚きました。
遍路とは触れ合うこと接待して差し上げたくて、冷たいお水を出してあげたら喜んでおいしそうに飲んでくれました。
家族も心配して二人分の「おにぎり」を差し上げると「お礼」をいい、食べずに頭陀袋にしまいました、遍路の旅とは本来「死」への旅路を意味します。
親子は夜になると次のお寺へと移動していきました、当時は辺境の海岸線の道を辺路(へじ)と呼びこの語源が「遍路」となったのです。
話が長くなりましが、その後御住職のもとにその時の子供さんから手紙が届いたのだそうです、その手紙には「お水をありがとう」とだけ書いてあったそうです、このことを思い出して住職は涙ぐまれていました。
きっとその子供さんのお父さんは子供に死に水をしてもらい亡くなられたのでしょう。
伝承するというのは言い伝えていくことです、形あるものはいずれ無くなるでしょうが「祈り」だけが積み重なって今の四国八十八箇所の基礎となっていることを忘れてはなりません。
印象にのこるお話をお聞きして、三日間の川崎大師「夏期講座」が終わりました。
この三日間の参加は私の身体・心・魂まで響き渡るものが多く在りました、真夏の川崎大師「夏期講座」に参列できたことを深く感謝いたします。