間もなく秋分の日が来ます、先祖を敬い、亡くなった大切な人を偲ぶ日です。
対岸の岸のお話は大切ですが、自分自身も何時か老いの時代を迎えなければなりません。
最近では老いていく自分の姿が受け入れられない、そんな悩みを持つ高齢者が心の不安に苛まれて「うつ症状」になると聞きます。
生まれて、老いて、病んで、死んで、こんな苦しみを誰もが体験していくのものです。
有り難いことに、元気で病気一つしたことがないと言われる方に多くお見受けする苦なのかもしれません。
病気闘病中の渦中の方に聞いたら「贅沢な悩みですね」とでも言われそうです。
頭では分かっちゃ居るが誰もが老いを受け入れるのは跨いでは通れぬ道なのです、靈氣道の究極の課題は大往生です。
靈氣の学びは大切な人生を如何に「生ききる」を教えるでしょう。
先日、坂東33観音をお遍路しているときに訪ねたお寺で朱印を書いてくださる住職のそばに面白い言葉が書かれていたので、老いについて教えをいただいたので今日のブログで紹介しましょう。
「ぼけたらあかん」
年をとったら、出しゃばらず、憎まれ口に、泣き言に、人の陰口、愚痴言わず、他人のことは、ほめなはれ。
聞かれりゃ教えてあげてでも、知っていることでも、知らんふり、いつもアホで、いるこっちゃ。
勝ったらあかん、負けなはれ。いずれお世話になる身なら、若いものには、花もたせ、一歩下がって、譲るのが、円満にいく、コツですワ。いつも感謝を、忘れずに、どんな時でも、ヘイ、おおきに。
お金の欲を捨てなはれ。なんぼゼニカネあってでも、死んだら持っていけまへん。
あの人はええ人やった、と そない人から言われるように、生きているうちにバラまいて、山ほど、徳を積みなはれ。
そやけど、それは表向き。はんまはゼニを離さずに、死ぬまでしっかり持ってなはれ。
お金があるから大事にし、みんなベンチャラ、言うてくる。
内緒やけれど、ほんまでっせ。
昔のことは、みな忘れ、自慢話は、しなさんな。
わしらの時代は、もう過ぎた。なんぼ頑張り、力んでも、体がいうこと、ききまへん。
あんたは偉い、わしゃあかん、そんな気持ちで、老いなはれ。
わが子に孫に、世間さま、どなたからでも、慕われる、ええ年寄りに、なりなはれ、ぼけたらあかん、そのために、頭の洗濯、生きがいに、何か一つの、趣味持って、せいぜい、長生き、しなはれや。
横浜鶴見 生き仏の寺 實蔵院 住職編纂