今日は節分です、寒い冬もあと少し春の到来を楽しみに毎日を過ごしましょう。
先日、建長寺の吉田管長の管長法話を見る機会がありました。
レイキを探究する私にも印象に残るお言葉がありましたのでご紹介してみましょう。
私達は常に、生と死、善と悪、是と非、勝と負などの二つの相対する概念を持っている。
その一方に執着して苦しみ、もだえ迷っています、この二つの相対的な分別心そのものが妄想なのです。
大空のように何ものにもとらわれない、自由な世界や、何かの目的を持ち突き進むひたむきな行動の出来る辛抱強い自分自身となって、その生や死、善や悪、勝や負などの二つの対立する相対的な観念を打ち砕いて自由自在となり「さっぱり」とした境涯にならなければなりません。
分別心のこだわりを解して全身全霊を打ち込んで、一心不乱にやりぬくことです。
そんな境地を「なり切り三昧」と言います。
大慧禅師の語られたお言葉を通して、不識本来真面目(本来の真面目を識らず)とは何かとして、一心不乱に、全身全霊を打ち込んでやりぬく時は自分の存在すら忘れている。
苦しい時は苦しいだけ、悲しい時は悲しいだけに、ただそれだけです。
意味深き会話に「人生とは何か?」を重ね重ね合わせてみました。
レイドウレイキは心の深きところをともに探究するお手伝いをしています。
散りやすきうらみはいはじいく春も かわらでにほへ山ざくら花(花対言志)
すぐに散ってしまうとの恨み言はいうまい 毎年春には少しも変わらないで咲き薫ってくれる山桜花よ (レイドウレイキ訳)