今年の桜はどことなくはかなげでもの哀しい雰囲気を感じます。
桜の花はまだ2分咲きだけど蕾がふくふくと「今にも咲かんとしている」ぞ「元気出せよ」と写メールが届いた、持つべき友の温かい心づかいが嬉しく思います。
Mさんの葬儀の日程が決まったと昨夜連絡が入り、冷え冷えとする今夜がお通夜です。
私の尊敬する西行法師は桜の花の下で死にたいものだ「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の 如月の頃」と歌を詠んでいました。
この時期に死にたいと願う感性は日本人ならではなのかとMさんを追憶しながら思います。
「花見れば そのいはれとはなけれども 心のうちぞ 苦しかりけり」桜の花を見ると訳もなく苦しくなると西行法師は詠んでいる、桜は心のよりどころ諸行無常そのものかもしれません。
「仏には 桜の花を たてまつれ 我が後の世を 人とぶらはば」
桜の花を感じながらMさんのお見送りをして参りましょう、連日の朝の瞑想に出てくるMさんの顔は満面の笑顔でした。
はかない命の時間、今こうして息をして生きる力をいただいた「この大切な命を活き活きと生きよう」とMさんの声が聞こえるようです。