12月11日亡き母の49日法要を行ないました。
ここ数ヶ月、母の事ばかり書いていますが、年内の大きな勤めが一段落できた気持ちです。
今にも雪が降りそうな曇天の日曜日、兄弟・孫・曾孫が一同に集まり「賑やかが」大好きな、寂しがり屋の母の思い出を皆で話し合いました。
当日法要をしていただいたご住職からは母よりのよき教えを守り、お母さんに生前に伝えたくとも伝えられなかった思いはこころの中で伝えなさいとのお話でした。
しかし、母は若かりし頃より短歌の心得があり(我流ですが)その時々の思い出をノートにつれづれとしてしたためてありました。この短歌の綴りが母の私たち子供への言い残したかったこころを知る大切な遺品として残して逝ったのでしょう。
母は文学が好きで昔は新聞に投稿して賞をとり文房具をいただいたことがあると苦労話を聞いた事があります。むかしの物足りぬ時に母は自分の才能を発揮して家を助けたようです。ともかく本を読みなにかを書く事がとても好きでした。
来年の納骨までに遺品である大切なノートに綴られた母の想いを整理してあげようとも思います。
母が体調悪くしてから、あいだみつをさんのこんな詩が母の寝室の壁に貼っていたようです。
うまれかわり 死にかわり 永遠の 過去のいのちを 受けついで いま
自分の番を生きている それが あなたのいのちです それがわたしのいのちです
この詩をみながらこころの準備をしていたのでしょうか?
そしてもういつぽうの柱には「幸力」のカードがありました。
母のノートの最期の方に、こんな歌をみつけました。
手術後の吾に変わりて息子が 長野の墓に参りてくれたり
故郷の香りも届きし息子の やさしさ伝わる墓参りなり
写真まで添えて届きし 子の便り願いかなえし 墓参りかな
思わず涙で字がかすみ読み上げが出来ませんでした。
母に短歌に対して私も思わず返歌として
母の願い 一つの望み叶えたり 我がこころに悔いはなし
光の国で安らかに眠って下さい、最愛なる母上