実家療養 外出訓練&一時帰宅 | 結婚準備&脊髄腫瘍日記

結婚準備&脊髄腫瘍日記

40過ぎて結婚しました。
入籍しましたが、結婚式はこれから。
本格的に準備をはじめようとしたところで、
長年患った腰痛の正体が、脊髄腫瘍(神経鞘腫)であることがわかりました。

10年前につけてたブログの続きに書くので、
前の記事との整合性はありません。

17日にある退院後2ヶ月検診。
そこで復職許可をもらい、職場復帰すると決意。

先月末くらいから右足神経痛も少し楽になった気がして、ここから先の回復は、長期戦になると思われたので、この痛みや麻痺と付き合いながら仕事する覚悟をせねばと思い始めた。

そこで先週から、日常に戻る訓練を開始。


3日

日中バスで外出。
祝日朝のバスをなめていた。座れない。30分立ちっぱなしだったけど、何とかクリア。

2時間買い物。
帰りのバスは何とか座席ゲット。

夜、主人に迎えにきてもらい、帰宅。
寝るとき、右足神経痛が酷い。うまく眠れなかった。

4日

疲れたのか朝からダルくて外出断念。
洗濯、衣替えと家の片付け、術後初夕食作り。

夕食のための買い物~夕食作りで1時間30
超の立ち仕事。

かなり辛い。

そういえば、術前も電車バスに座れずに仕事から帰ってきて、そのまま夕食の支度(2時間30分立ちっぱなし)が辛かったなぁと思い出す。

5日

朝の通勤にチャレンジ。

バスには何とか座れたものの、当然ながら電車は無理。でも、女子専用車両だから、隣のひとと肩が触れるくらい。

スマホをいじるスペースを死守しようとする隣の女子たちにより、背中や肩にスマホが当たって真っ直ぐ立てない…ショボーン

途中から右足の痛みが強くなったけど、何とか会社の最寄り駅まで到着。

ここまで1時間15分。
会社のデスクまでだと1時間30分。

デスクに着くのがゴールじゃないからなぁ~。
そこからがスタートだからなぁ~。
今の状態では、仕事に集中するのは厳しい。

でも、術前もそうだったな…。
一番酷いときは、電車30分ずっとつり革にしがみついて、腰の激痛と闘ってた。それに比べれば大したことないかも。

でも、体のこと考えたら、隣の駅まで行って、始発の各駅停車で行こうかなぁ。
でも、そうすると通勤2時間になるなぁ。

帰ってから、夏物の洗濯、休憩がてら録画されてた「遺産争続」観賞、夕食の準備。

6日

やはり朝ダルい。
余裕があったら「隣駅から各駅停車」がどんな具合か試したかったけど断念。

主人を見送った後、洗濯機2回転。

ダルさが半端なく、ベッドに横になると…2時間経過してた…

掃除して、洗濯もの取り込んで、翌日の診察に備えて実家に戻る。

7日

近所のおじさま漢方先生受診。

右足の神経痛は少し良くなっていること。
再来週の復職にむけ、外出訓練、通勤訓練したこと。
お通じは、薬を1日2回にしたら、2日に1回になってしまったので、3日に増やしたら 毎日になったこと。
を報告。

腹診。

「疲れてるな。薬変えます。」
と。

奥さんには
「徐々にやらなきゃだめ。」
といわれ。

「再来週復職するって決めたんで」
といったけど、

「やってみて、どうなるかみて、徐々にやらないと。先にゴール決めて、そこに合わせるんじゃだめ。病人なんだから」

と注意された。

もう30分は歩けるし、2時間買いものも出来たし、この状態で会社を休んでいる背徳感が辛い。

帰宅後、エアロバイクで「2㌔✖2(9分✖2)」チャレンジ。

2回目、息がかなり上がる…
心臓バクバク、汗しっとり。久し振り。

午後はのんびりぐうたら。

8日

昨晩は痛みで目が覚めることなく眠れた。
ダルさもない。
のんびりしてたからか。

でも、朝食後、珍しく腹痛。
横になると、右足神経痛が強い。

昨日の先生の「疲れてる」が気になる。
一気に外出モードあげたからかなぁ。

昼食後もお腹落ち着かず。

今晩からは本格帰宅する。
上げ膳据え膳生活もなくなり、1週間で日常生活と仕事モードをとりもどさねば。

明日は美容院に行って、外出&1時間超の座りっぱなしにチャレンジ。

そして、今週中に会社に履いていける歩きやすい靴を探そう。

でも、このダルさと腹痛とおじさま先生の「疲れてる」発言で、復職が一気に不安に。

主治医の先生は整形外科の先生だから、ダルさとか、体力的なこととか、痛みや筋力低下とかは関係なく、私が復職したいと言えば、許可してくれそう。
(というか、そもそも許可するまで復職してはいけないと言われてないので、「まだ休んでたの?」と言われそう)

復職するかどうかは実質自己判断。


明日も美容院行っただけで、またダルくなっちゃうのだろうか。