今、活字断ち中なので
備忘録的に記事を残します。
ここ数日、釈迦岳から下山したYちゃんにお食事を出した翌日、体調を崩し。
その後、持ち直したと思っていたが。
看護師のお客様H様と話したら
やはり体調がまた落ちていて。
エンパスのせいか知らないが、今のタイミングは皆さま、陰が12月22日辺りの冬至に向かってかなり極まってきているように感じる。
皆々様、闇を解放するときだろう。全体的に重かったり、ざわざわしたものを感じたりしました。
ちなみに、12月23日は平成天皇の誕生日。陽が始まる日だ。
さて、そんな中。
エネルギーワークを受けようと、友人Sにメッセージしたが、同じく体調が悪い。
いつもの、エネルギーを通す整骨院に予約の電話をしたら、予約が取れない。
さて…と、頭を悩ましていたら。
この前、柚子狩と朝倉の三社を回った、Yちゃんから、キツイ時はエネルギーワークをしますよとメッセージが来た。またまた救われた。
しかも、彼女のエネルギーワークは、龍だそうだ。たまたまお風呂上がりだった為、そのままお願いして就寝。なるほど、今日は龍でないといけなかったらしい…
夢を見た。
なんだか象徴的な夢だった…
3階建ての建物で、新たな物件を見つけた。1階はビストロ。
2階は、浮世絵や骨董品がある和の雰囲気。上手くすれば、1階とも調和するだろう。
3階は住めそうで、隣のビルに子ども達が住んでいて、手を振ってくれている。
スタッフは2人、男性と女性。女性は幼馴染。若いスタッフも居そうだ。
2階と3階の間に、仏壇がある。
文字がはっきり読めた。。
『東大寺 真言宗』と書いてあった。
空海が、真言宗。
日本での宗教的、リーダーでもあり
今年は行く先々、やけに縁があった年でもありました。
東大寺は華厳宗、だけど、東大寺の第八代当職もしている。から、あながち間違えではない。
わたしが、作っているGOHANは
淡路島の南。天台宗の熊野権現系の諭鶴羽神社でのひらめきだったけども
空海は、唐の天台宗で修行している。
そして、二羽の龍が南淡路に飛来している。それが、諭鶴羽神社の由来だ。
それが、福岡の英彦山に甲の寅の年に飛んでから英彦山神宮がある。
ちなみに、わたしは、偶然にも甲の寅の生まれ。なんだか壮大な話の偶然の一致である。
ちなみに、その南淡路の諭鶴羽神社には、宝剣の塚があり、わたしは宝剣を授かるビジョンをそこで見た。
それが、体を繋ぐGOHANのビジョン
塩のレシピとわたしのエネルギーの出所である。
その発端になった
この図が諭鶴羽神社にて頭に降りて来た。
カドゥケウス(ギリシア語のケーリュケイオン、伝令使の杖)
ギリシア神話のヘルメース神の携える杖で一般的に使者が手にする杖でもあり
古代ローマの図像表現では、神々の使者であり、死者の導き手でもある。
…ん?ラストにでてくるが。
もしや、この時からお役目を頂戴したか?
死者の導き手か…
この棒は眠っている人を目覚めさせ、目覚めている人を眠りにいざなうと言われる。死にゆく人に用いれば穏やかになり、死せる人に用いれば生き返るという魔法の杖である。
で、日本にまつわる宝剣について調べたら。
宝剣は、調べたら2種類あったのだが、関門海峡の赤間神宮の宝剣。源平合戦の折に、まだ幼き子どもの安徳天皇と三種の神器の1つは海に沈んだ。
平家側が、平清盛が摂政についたばかりに戦争に巻き込まれてしまった。この時に、源氏側にも平家側のまだ子どもの大将を殺し、手柄よりも良心に耐えきれず出家した将がいる。(ちなみにわたしにもローマ時代に、そんな過去世がある)
もう一つは、陽剣と、陰剣。
仏教を広めようとした聖武天皇と、光明皇后の宝剣。仏教だけでなく、広く民を救う為に医療を提供していた2人だ。
二箇所とも、諭鶴羽神社の後に向かった。
宝剣があったという正倉院にも行った。
たまたま東京に行った際も、正倉院国宝展があっていて立ち寄った。善きものが好きで、善きものは時間がかかると知った。
さて、夢の言わんとせんことは、、
1階は、洋風。2階は、和風。
2階と3階の間は、自分自身の土台ということだろう。
おまえは、真言宗、仏教と華厳の教えをもとに
未来の子ども達の為に
汝 仕事に励めよ。というメッセージであったかのように思った。
ひた華もりは、厳しくないといけないようである。笑
真を言わないといけぬのである。
南淡路島には、諭鶴羽神社に向かう間に、お菊茶屋と、薬の診療所があった。
わたしの役目は、そこに(山の頂上、魂の向かう先)向かう方々に
食と癒しと、薬の診療所の役目を食ですることにあると感じた。
最初の、Yちゃんや(ホメオパシー)
看護師のHさんのように、世を救う為に働く人を癒す為に仕事を成す為にある。
新しき、革新を起こす
2つのチャンネルを作ることだ。
繋ぐ TUNAGU
更には、子ども達の未来のために
何かわたしにも出来ることがあるのではないか?そういう発想が浮かんだ。
エネルギーワークをして浄化し
店の大掃除をしたら
そこに来ていたものに氣が付いた…
はは〜ん、死者の導き手というわけか。
そうそうにあの世に行って頂きました。
寒くひもじかったのでありましょう…
どうぞ、あの世で温泉にでも♨️お入りゆっくりされてください✨
修験の山には、沢山の無念のうちに亡くなった修行僧がおるのであろう。
が、わたしは、生きている。
生きているだけでも有り難い…と
現世修行にて、少しでも沢山の人を癒したり救済、未然に健康に出来るといいです。
ただ、生きている今懸命に愛を注ごう✨